Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
Top/トップ
Prospects/会の趣旨
Conference/懇談会
Newsletter/会報
Mailing list/メーリングリスト
Regulations/懇談会会則
Admission/入会方法
Link/リンク集
Guidance/渡航の手引き
Conference/懇談会
シンポジウム「生物多様性の国、マダガスカルにおける邦人団体などによる取り組み~持続可能な自然環境保全に向けて~」

モデレーター 川又由行 (クイーンズランド大学総合生物学研究科元研究員:理学博士)

はじめに

今回のシンポジウムを企画した背景をまず述べてみたい。私がJICAの専門家としてマダガスカルに着任したのは1994年の暮れであった。赴任前、JICA市ヶ谷の研修所でマダガスカルに係わる文献を検索したところ、「森の民、湖へ行く[1]」と言う論文がヒットした。何やら参考になるのではないかと、文献を読んだが、さにあらず、かえって、自分の頭が混乱したことを思い出す。学生時代に私は、中尾佐助や佐々木高明などの著書を読み、植生学と民俗文化に興味をいだいていたが、この文献の著者はその民俗性の内面にある思考を探っていたように想う。

マダガスカルに赴任したのだが、当時の日本大使館はアンタナナリヴ(Antananarivo)の中心街の丘に位置し、その1階の待合室に日本の書籍が並んでいた。そこで私が本を読んでいると、学生らしき青年と出会った。会話を交わしてみると、共通する友人を通してすでに互いが知り合っていた。そして大使館で出会ったこの青年は、この著者が、現在マダガスカルに滞在中であると言った。これは是非お会いしなければならないと考え、レストランにお誘いしてこの著者と語ったものだった。そして、この著者は論文に登場するフィールドを翌日訪ねるとの話であったので、その週末に私の車でこの青年も誘って訪ねることになった。山間の盆地にアラウチャ(Aloatra)湖面は広がり、走る車窓から木々の間にキラキラと湖沼が輝き、小高い丘の上にあった街は雲霧で覆われていたが、時折夕日の凝れ日が煉瓦色家屋を際立たせていた。それは幻想の世界の入り口のようであった。この晩はある有名邦人にまつわる話をして大いに盛り上がったことを忘れはしない。つまり、アンバトビ事業(Ambatovy project)のオフセット地のCorridor Ankeniheny-Zahamena(通称CAZ)の周辺地域こそが、この著者を訪ねて車を走らせた想い出の地でもあった。

時は経って学生時代の友人が日本から遊びにやってきた。空港で友人の到着を待つと住友商事の当時の所長と会った。到着したばかりの友人が名刺交換すると、「ああ、カゴメさんですか?」と所長は私の友人に言った。私の友人はカゴメ研究所に勤務していたこともあり、是非、会食をとの申し出があったが、双方のスケジュールが合わず、私の友人は南部のフォールドーファン(Fort-Dauphin)へ旅立った。カゴメはトルコに農場があるらしく、住友商事を通して農作物の輸入取引があると友人から聞いた。この時点で私は南部のフォールドーファンの植生環境を知らなかったが、その友人がアンタナナリヴに戻り、その植生を見たときの乾燥を驚きの表情で話していたことを今でも忘れない。それから友人は日本へ帰国の途についたが、これをきっかけに所長と話す機会も増えた。ある日、所長から鉱山プロジェクトの話を伺った。当時のマダガスカルは環境プロジェクトのフェーズ1からフェーズ2への移行時期でもあったので、マダガスカルでは環境憲章が整備され、現在行動計画が実施されフェーズ1の評価に基づいて今後の環境事業は推進する旨の話をさせていただいた。それから十数年が経ち、ビジネス界が環境に取り組む姿勢も大きく変化した。そして、先進国では戦後、各地で環境問題を生じ、開発途上国でも公害問題が頻発するようになったことから、近年、開発援助を実施する場合、国際機関の主導の下に自然保護/保全を考慮に入れた開発条約に基づいてプロジェクトが実施されるようになった。世界の環境問題に取り組む姿勢も、IFC(国際金融公社)やBBO(ビジネスと生物多様性オフセットプログラム)など後述するアンバトビ事業の事例でも理解できるように国際機関の開発事業のスタンダードが整備され、国際社会においても企業の環境に対する貢献が評価に繋がるように変わったことが大きい。

一般的に自然環境保全というと植物や哺乳類に関する保護・保全を中心に考える場合が多いが、アンバトビ事業の取り組みの特徴は、魚類や両生類などの動物種にも力を入れていることである。もっともこの地域はラムサール条約下の湖沼が存在し、多くの絶滅危惧種の両生類が生息することが、マダガスカルのNGOが重要視したことに繋がる。例えば、日本の湖水環境でも同じ事だが、一度テラピアや雷魚などの外来魚が導入されると、固有種が捕食され絶滅も危惧される。特にマダガスカルでは標高が高くなるにつれ、固有種が少なくなる傾向があり(Sparks and Stiassny 2003)、高地養殖には注意深く取り組む必要がある。当然、河川域は繋がっており、その水系全体に影響を及ぼすことは明らかだ。一度外来魚が生息を拡大すると取り返しのつかないことになる。マダガスカル最大のアラウチャ湖周辺では海外の援助団体が外来種の導入を図っているケースもあるが、固有種でも養殖に向いている種(Loiselle and Stiassny 2003)もあるので調査を行っていただきたいと願っている。さらに、同湖の上流域では海外の援助団体が外来種による植林を行っているが、上流域の森林群落の構成樹種[2]によっては淡水魚の生育に大きな影響を及ぼすため、固有種による広葉樹群落を整えることが不可欠である。

赴任して一年半後やっと南部のフォールドーファンを旅することが出来た。空港には横山さんが迎えに来てくれた。横山さんはサザンクロスのボランティアで固有種の植林を行った後に外国人を相手に観光ガイド業を営んでいたが、現在では港湾施設の業務に従事している[3]。当時WWFが管理していた保護区に立ち寄った。ここには岩盤にパキポディウムPachypodium spp.が這い蹲るように広がっていた。西に向かうと次第に鬼の金棒のような木、アルオーデイアAlluaudia spp.が分布し、一方、東の数10km先には分水嶺山地の南斜面が見え、ここには亜熱帯多雨林が広がるが、わずか数キロの範囲に多雨林から乾燥林までが分布している。驚いて腰を抜かしてしまったことを今でも思い出す。しかし、本シンポジウムにおけるサザンクロスの吉田さんの発表でこうした植生群落の一部が焼かれたことを見ることは非常に悲しかった。

マダガスカルを離任して10年以上が過ぎ、アイアイファンドの島代表から公益社団法人国際農林業協働協会(JAICAF)の助成金を活用してマダガスカル北西部のアンジアマンギーラナ(Anjiamangirana)監視林のアグロフォレストリーに係わる植生調査を行ってくれないかとの依頼があり、私は再度訪問する機会に恵まれた。同監視林には湿潤林から乾燥林までマダガスカルの植生を凝縮したような植生地域があり、ここには数多くのマダガスカル固有の希少な動物が生息していることが驚きであった。アイアイDaubentonia madagascariensisなどの原猿類、マダガスカルトキLophotibis cristata、マダガスカルハイタカAccipiter madagascariensisなどの鳥類、フォッサ(Fosa, Cryptoporcta ferox)などのマングース類、翼の先端と足裏に吸盤をもつサラモチコウモリMyzopoda auritaなどのコウモリ類、ナイルワニCrocodylus niloticusなどの爬虫類などが分布している。このように生物の豊かさは、ラミー, (ramy, Canarium spp.)などをふくむ水辺の常緑樹の森林から岩性に生育するパキポディウムの群生地まで、幾多の植生モザイクのような組み合わせが、多くの熱帯雨林の要素を乾燥森林のまん中に保っていた。この森林群落は周辺集落の水源林として、また下流域に発達しているマングローブ林の水源地域としても重要である。さらに、森林の東部にある水系や湖では、絶滅危惧種のマダガスカルカイツブリTachybaptus pelzelniiやクロンボガモAnas melleriなどの水鳥が多いのが、印象的であった。

  • [1]^ 同論文は『墓を生きる人々』(1996)に記載、308pp. 東京大学出版会。
  • [2]^ 広葉樹群落の腐食層で育まれるフルボ酸は土壌に深く浸透することで母岩に含まれる鉄と反応してフルボ酸鉄となる。やがて湧き上がったフルボ酸鉄は河川に栄養を与え、水域植物の光合成を促進させることで酸素も豊富になり漁場も豊かにさせる。
  • [3]^ 2013年10月、テレビ番組で「アフリカに住む日本人」マダガスカル篇で横山さんが紹介されていた。歯は欠けてはいたが、映像で観る限り元気そうであったことはなによりであった(その後に帰国して歯の治療を行ったとのことであった)。
  • ▲ページトップへ