Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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森づくりは人づくり~マダガスカルにおける自然林の復元保全

吉田 彰 (東京情報大学教授/ボランティア サザンクロス ジャパン協会事務局長)


ボランティア サザンクロス ジャパン協会(以下サザンクロス)は、(財)進化生物学研究所理事長・所長であった近藤典生博士によって1990年に設立された。そして翌1991年から郵政省(現・日本郵便)の国際ボランティア貯金の配分金を得てマダガスカル南部フォールドーファンFort-Dauphin市の西60km前後のラヌマインティRanomainty村周辺で乾生有刺林の復元保全活動を開始した。年間降水量が500mm前後のこの極度な乾燥地が選ばれた理由は、きわめて特異な植物種からなるマダガスカルでも最も不思議な景観を誇る自然林だからである。

活動開始にあたり近藤が掲げた基本理念は、次の3本柱からなる。


  1. これは自然保護でも植林でもない自然林復元である。なぜなら、住民に何らかの規制や我慢を強いる自然保護はエゴであり、緑を増やせばいいという発想の植林は自然景観や生態系への配慮を欠くからである。
  2. こうした活動は地域住民が主体となってこそ実現できる。なぜなら、よそ者の主導による活動は一定期間内の成果を求めがちであり、最も重要な永続性にまで考えが及ばないからである。
  3. 以上のことは住民生活との両立および住民自主という発想なくしては実現できない。


図1

図1:
スパイニー・フォレストの自然植生。活動開始から10数年を経て村人たちが誇りに思い始め、以来、積極的に保全に取組んでいる。


1.活動の歩み

活動の初期段階には、炭焼きと製材をできるだけ抑えるよう指導するとともに、自然林を侵蝕する外来植物の除去に力が注がれた。対象はウチワサボテンや、サイザルとその仲間のリュウゼツラン類で、いずれもメキシコ原産である。両者とも種子および栄養繁殖による増殖がきわめて旺盛である。前者は生垣に好適で果実は食用になり、後者は繊維作物であり路肩の土留めなどにも利用される。そのため不要なものは除去するとともに、利用する際の管理について指導が行われた。

また、それと並行して植生復元の準備が行われた。選ばれた樹種はこの地域の植生の優占樹種の一つ、アルオウディア・プロケラAlluaudia proceraである。これが選ばれた理由は、植生景観の重要な要素であること、挿し木繁殖が可能なこと、優れた板材として経済価値をもつことである。この段階ですでに景観復元、苗木作りの省力化、および将来の経済的効果が考慮された。当初は水分条件のいいフォールドーファン市近郊に設けた育苗場で、挿し木繁殖の試験を兼ねて育苗が行われた。穂木は盗伐で捨てられた枝や、村落周囲に植えられた生垣の枝打ちにより入手した。やがて、時期を選べば直挿の活着率も大差ないことが判り、乾季に外来植物の除去、雨季入りの直前から挿し木を行うというシフトが確立された。この方式は植栽効率の飛躍的向上とともに、作業が農閑期の乾季に集中するため住民生活への負担軽減をもたらした。

次のステップの課題は、次世代の人材育成と持続的な収入である。ここで若いボランティアスタッフの自由かつ大胆な発想が発揮された。まず、スタッフたちが自らの判断で企てたのは、学校の設立であった。先生に選んだのは、村で唯一の読み書きができる男である。それは、予算措置もないまま自らの滞在費を削って先生の給料を捻出するという無謀な計画であった。教室は、村の集会所に建てたもののあまり利用されない建物が充てられた。誰も止めることのできない、みごとな作戦であった。この学校はいわば私塾であり、そのまま上級学校に進学することができなかったが、開校から数年を経て国の検定試験をパスし、進学をはたす生徒が現れ始めた。その後、実績が評価されて公立校になった。

製炭・製材の代替収入源の素材は、ここではいくら見回したところで森林資源以外に求めるべきものはない。そこで使用資源量が少なく、付加価値の高い製品としてスタッフたちが住民に提案したのは木彫りである。外国人観光客が数多く往来する国道沿いに立地する村の条件を活かそうとする試みであった。ここでスタッフたちが、道具は与えてもデザインなどの指導に踏みこまなかったのは見識で、住民の感性がにじみ出る味のある製品が生まれた。生活の道具以外にものづくりの経験がない住民にとって、いきなりいいものができるわけがない。そして1年以上が過ぎ、脱落する者も出る中、諦めずに続けていた者の作品が売れた。それから俄かに活気付き、競うように工夫を重ねて腕をあげた者たちの木彫りは、今では地域の名物に成長した。


図2

図2:
村の名物になった木彫り。その収益は村の経済を潤し、自然林と社会との間に均衡の取れた接点を生んだ。また、その独創性により2010年の全国工芸コンクールで受賞し、フォールドーファンに50年ぶりのトロフィーをもたらした。


2.成果の分析

活動開始から20年以上を経た今、活動地の自然林は周囲から際立つ良好な状態が保たれている。2009年から3年間、愛媛大学農学部が受託した環境省の研究の一環として(財)進化生物学研究所が分担したサブテーマで、その成果の検証を行った。まず、製炭で使われる木材量について橋詰研究員と筆者とが別途に異なる手法で調査を行った結果、ほとんど差のない値が得られた。それは、約30kg入りの炭袋1つに対し約180kgの木材を要することである。炭1袋は3000アリアリ(約150円)で卸される。一方、同額の木彫りに要する原材料は平均で88g、木炭との比率にして約0.005%であった。材料には伐採、運搬、乾燥に労力と時間を要する生木ではなく、軽くてすぐに使える枯木を利用するので、自然林への負荷もかからない。

次に蒲生研究員が村の主な生業の収入を調査した結果、1位が製炭の33.61%、木彫りが僅差の30.46%でそれに次いだ。以下は農業の24.21%、製材の7.95%、コーヒーショップの3.78%である。新興の生業である木彫りが3分の1近くを占めることは予想しなかった結果であり、10数年で村の経済を約5割も底上げしたことになる。そして、製炭と製材は農業を兼業する場合が多いが木彫りは全員が専業であり、食料をはじめ生活必需品の購買を通じて村内における経済循環の原動力となっている。また、以前は各家庭で賄っていたコーヒーが商売になり始めたのもその効果の一つであろう。

お金が循環すれば、暮らしに豊かさとゆとりをもたらすのが経済の原理である。それが子供の教育や自然環境への関心へと繋がる。スタッフの指導により学校教育の一環として始めた学童による森作り、「子供の森プロジェクト」が続いているのも、こうした背景があってのことである。森の資源を使う一方だった社会に、森を守り育てるという新しい文化の芽生えが見え始めた。


3.地域系という概念

従来から自然の保護保全といえば、外部から資金や人材や技術を投入し、住民の生活を自然本位の方向に曲げがちだった。しかし自然の荒廃の経緯をみると、伝統に育まれた調和の取れた自然生態系と人間社会との関係が、外部から浸透した経済論理によって乖離することに原因があるように思われる。そうだとすれば、住民の生活を力ずくで捩じ曲げるような方策では根本的解決にならない。それを打開するのは、自然環境を保全しつつ上手に利用しながら住民に持続的な利益をもたらすという新たな発想であろう。そうした事例ですでに成果を挙げているものにエコツーリズムがある。自然の持つ価値を観光に結びつけ、宿泊などの関連施設も含めて地域に収益をもたらし、住民には雇用をもたらす。しかし、自然環境にも人間社会にも地域差があるため手法に決まりはなく、地域の特性に応じた手法を見いだす必要がある。サザンクロスの取り組みがその好例である。

この取り組みでは、外国人観光者が頻繁に通過する国道沿いに村落があるという立地を生かし、付加価値の高い土産物として木彫りを始めた。自然林に負荷をかけずに得られる素材から作る木彫りは、大きな収益を生むまでに成長し、それによってもたらされた新たな経済の潮流が、村のくらしを活性化した。自然環境における物質循環と人間社会における経済循環、この一見して異質な二つの系が小さな接点をもつことで、双方に利益がある一つの系として動き始めたとみなすことができる。この概念をここでは仮に「自然人間地域系」と称し、それに基づく活動を他の地域にも展開していきたい。


図3

図3:
学童が取組む「子供の森」プロジェクト。教師の指導により植樹が進められ、時には父兄も参加する。



図4

図4:
村の経済と自然林保護活動がうまくかみ合って生まれた、「自然人間地域系」の概念図。


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