Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マダガスカルの織機とテキスタイル」

吉本 忍 (国立民族学博物館 名誉教授)

 織りの技術は、新石器時代から今日に至るまで、人類史の中枢技術として人類の社会や文化の進化と発展に深く関わってきた。地球上には、歴史的に織りの技術を持たない民族も若干数見いだされるが、マダガスカルでは、最近まであらゆる民族のもとで織物が織られてきた。しかし、そうした織りの技術は、手仕事によるモノづくりがつい最近まで、しっかりと継承されてきたマダガスカルでさえ、衰退の傾向が著しくなっている。


織機の型式と特徴

 織物を織るためには、多くのばあい織機が使われる。世界各地で使われてきた織機は多種多様であるが、それらは、織物を織るために不可欠であるタテ糸の張力との係わりによって、からだ機(ばた)、手機(てばた)、足機(あしばた)、腰機(こしばた)、芯機(しんばた)、弓機(ゆみばた)、杭機(くいばた)、棒機(ぼうばた)、錘機(おもりばた)、重石機(おもしばた)、枠機(わくばた)という11型式に大別される。そうした織機型式のうち、マダガスカルでは、腰機、杭機、棒機、枠機の4型式を確認している。ただし、それらをさらに、タテ糸を開口させるための綜絖(そうこう)の有無、開口具[1]の操作方式の違いなどによって分類すると、以下に列挙する6型式となる。


① 腰機1

開口具が輪状綜絖[2]手動・開口保持具手動式の腰機。インドネシアからの移住にともなって、マダガスカルに持ち込まれたと考えられる織機型式で、かつてはマダガスカル全域で使われていたと考えられる。1997年の時点では、ザフィマニリ(Zafimaniry)のもとでの使用例のみを確認したが、現在、その使用例は確認されていない。

写真1

写真1:
腰機1でタテ縞の織物を織るザフィマニリの女性


② 腰機2

綜絖が備わっていない腰機。投石紐の中央の石を乗せる小さな楕円状の織物部分を織る例を、ベツィミサラカ(Betsimisaraka)のもとで1997年に確認している。

写真2

写真2:
腰機2で投石紐の中央部の楕円状織物を織るベツィミサラカの男性


③ 杭機

開口具が輪状綜絖固定・開口保持具手動式の杭機。現代マダガスカルにおけるもっとも一般的な織機型式であり、ザフィマニリ以外の民族のもとで使用されている。

写真3

写真3:
杭機で浮織と縞織を併用した織物を織るベツィレオの女性


④ 棒機

開口具が輪状綜絖固定・開口保持具手動式の棒機。1997年にメリナ(Merina)のもとでの使用例を確認している。この織機型式は、20世紀に③の杭機から展開したと考えられる。

写真4

写真4:
棒機で織物を織るメリナの女性


⑤ 枠機1

開口具が輪状綜絖固定式の枠機。第二次世界大戦後にモヘアを糸素材としたカーペットを織るためにフランス人が導入した織機型式で、1997年にマハファリ(Mahafaly)の居住地域の中心地アンパニヒィ(Ampanihy)での使用例を確認している。

写真5

写真5:
枠機1でカーペットを織るマハファリの女性


⑥ 枠機2

開口具がつがい目綜絖[3]足踏み式の枠機。第2次世界大戦後にアンタナナリヴ(Antananarivo)でスイス人が経営していたラフィア布の製織工場で使われていた織機型式が、1960年代にメリナのもとに導入され、ラフィア布量産用織機として使い続けられている。

写真6

写真6:
枠機2でラフィアの無地布を織るメリナの女性


腰機から杭機への型式展開

 マダガスカルで使用されてきた織機型式としては、上記の6型式を確認しているが、それらのうちで、腰機1と枠機1は、人びとの衣服となる織物を織るために使われてきた主要な織機であり、マダガスカルでは、歴史的に輪状綜絖手動・開口保持具手動式の腰機1から輪状綜絖固定・開口保持具手動式の枠機1への型式展開があったと考えられる。しかし、輪状綜絖手動・開口保持具手動式から輪状綜絖固定・開口保持具手動式への移行例は、世界の織機の歴史的な型式展開に逆行する、他に類例のないことといえる。そうした特異な移行は、インドネシア系の機織り技術がアラブ系の機織り技術に凌駕されたためと考えざるをえず、インドネシア系の人たちの移住のあとにつづいたアラブ系の人たちの移住が大きく作用した結果と推察される。

写真7

写真7:
ザフィマニリの織り途中のタテ縞織物


伝統織物の衰退とプリント・テキスタイルの流通

 マダガスカルの伝統的な製織技法のおもなものには、タテ縞、タテ絣、タテ浮織などの技法があり、タテ縞とタテ絣の技法は、ともにインドネシアからもたらされた製織技法と考えられる。しかし、現代においては、腰機による織りの技術はほぼ消滅し、杭機をはじめとする他の織機型式による織りの技術も衰退傾向が著しく、伝統的な衣服は洋装化へと急速に移行している。しかし、その一方では、東アフリカのカンガの系統に包括される安価なプリント・テキスタイル(ランバワニ lamba hoany)が工場で大量生産されるようになり、マダガスカル独自のデザイン的特徴をそなえた四角形のプリント・テキスタイルがおもに女性の衣服の選択肢のひとつとして広く流通している。

写真8

写真8:
サカラヴァのタテ絣の織物

写真9

写真9:
ベツィレオの織り途中の浮織模様の織物

写真10

写真10:
プリント・テキスタイルをまとった女性(アンチィラベの市場にて)


手仕事への回帰

 織りの技術の延長線上には、産業革命やIT革命がある。18世紀後半に、それまでの手仕事による織りの技術の集積として動力織機が誕生したことが契機となって産業革命が始まると、手仕事によるモノづくりという古くからの生産システムは、次第に動力で稼働する機械にとって代わられて、機械化による大量生産システムが全世界的に普及していった。そうした状況は、1980年代からはじまったIT革命によってさらに拍車がかかり、今やわれわれは、人類がこれまで経験したことのないきわめて便利な時代のなかで生きている。

 しかし、その一方で人類は、いたるところで環境破壊を引き起こし、文化遺産ともいえる手仕事によるモノづくりも放棄しつづけている。今や木を削ったことがない、薪を割ったことがない、火を熾したことがないといった人や、包丁もまな板も使わないで日々の生活をいとなんでいる人も急速に増えている。たしかに現代社会は、便利この上ない時代ではあるけれども、自然災害は今なお世界中のいたるところで頻発している。自らがモノづくりをすることなしに、機械化によって大量生産されたモノが容易に手に入る生活があたりまえになってしまったわれわれが、手仕事によるモノづくりを放棄しつづけていることは、人類がモノづくりをすることで日常的に培ってきた創意工夫をする能力を低下させ、自然災害でライフラインが途絶するというような非常時での生き延びる術をも放棄しつづけていることにほかならない。

 そうした人類史上未曾有のきわめて危機的な状況に立ち至っているといえる時代状況のなかで、われわれは今こそ手仕事への回帰を真摯に実行に移すべきである。

  • [1]^ ここでいう開口具とは、ヨコ糸を通すためにタテ糸を上下に開口、あるいは逆開口させる綜絖(そうこう)や、タテ糸をすくいとるための手すくい具、綜絖や手すくい具によって選んだタテ糸と残した奇数列と偶数列のタテ糸とを分けておく上下、あるいは前後に分離開口させておくための開口保持具などを含む。
  • [2]^ 輪状綜絖とは、糸の輪を多数連ねてそれぞれにタテ糸を通し、綜絖としたもので、マダガスカルの場合、糸の輪は棒に通されている(糸の輪を束ねて結んだ輪状綜絖もある)。
  • [3]^ つがい目綜絖とは、2つの糸の輪を鎖状に組みあわせ、繋ぎめ部分にタテ糸を通して綜絖としたもので、上側の糸の輪と下側の糸の輪は、それぞれに多数連なって棒に通される。
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