Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マダガスカルの原猿類の起原について」-ザフィマニリ社会について-

島泰三(日本アイアイ・ファンド代表)

マダガスカルの陸上哺乳類には、霊長目、食肉目、齧歯目、食虫目というたった四つの目があるだけです(絶滅したコビトカバと移入したと考えられるカワイノシシを除くと)。これほどに哺乳類の分類群が少ないこととその固有種の割合が高いこと(移入種を除くとほとんど百パーセント)は、マダガスカルの哺乳類相のもっとも際立った特徴です。

マダガスカルは中生代の超大陸ゴンドワナの中心部に位置していましたが、ゴンドワナは中生代の間に、分離を始めます。マダガスカルとアフリカ大陸が分離したのは1億6500万年前で、それから南東方向へ移動して1億2100万前には現在の位置に達したと考えられています。この時にはインド亜大陸とマダガスカルとはつながっていて、インドーマダガスカル大陸を形成していましたが、インド亜大陸は8800万年前にマダガスカルから分離して、北方へ移動します。この時以来、マダガスカルは孤立した大島として歩み続けるわけです。

現在、モザンビーク海峡はそのもっとも狭いところでも392キロメートルで世界の海峡の中でももっとも幅の広いものです。ユベール・デシャン(1)の言い方を借りるなら、マダガスカルは「インドとの距離は3500キロメートル、インドネシアとの距離は6000キロメートル」にも達する広い海に囲まれた絶海の孤島となります。このインド洋方向からの陸上哺乳類の移住はほとんど不可能なので(人間は別ですが)、陸上哺乳類の起原についてはアフリカとの関係が調べられてきたわけです。

中生代の8800万年前は、現在マダガスカルにいる哺乳類の祖先の出現時期よりも古いので、マダガスカルの哺乳類はどのような起原を持っているのかについて、いろいろな推測がされてきました。

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第一の仮説は、マダガスカルにはゴンドワナ大陸以来の固有の哺乳類の祖先がいて(Gondwanan vicariance)、そこから現在の哺乳類が生まれたというものです(中生代祖先種仮説)。第二は、あるひとつの時代に、陸橋を伝って(Landbridge connections)、アフリカから現在の哺乳類の祖先たちがまとまって渡ってきたという仮定です(陸端仮説)。第三は、いろいろな時代に別々に、筏のようなもので海を渡る“賞金レース(Sweepstakes)”があったとする推測です(漂流仮説)。第四は、アフリカからマダガスカルまでの間にあった島々を経由する移動(Island-hopping)です(島経由仮説)。それぞれの仮説の名前は、筆者が適当につけたもので、後に説明するときの文字数を減らすという目的以外には他意はありません。しかし、島経由仮説でも島と島の間の移動では漂流しなくてはならないので漂流仮説に含めてもいいのではないかと思います。

ところが、マダガスカルの新生代の前期、第三紀の化石記録は、それに対応する地質が少ないために非常に貧困で、化石の記録によってマダガスカルの哺乳類の起原を語ることは今のところできません。しかし、現生の哺乳類の遺伝学的研究によって各哺乳類の分岐年代を推定することによってどの仮定が論拠をもっているかを示すことができそうです。イェール大学生態進化生物学科のヨダーたちは遺伝的研究によってマダガスカルのマングース類と原猿類のそれぞれの種の分岐年代を調べています(2)

マングース類は日本ではあまり知られていない動物なので、マングース科(Herpestidae)とジャコウネコ科(Viverridae)との類縁関係については詳しいことは省きますが、マダガスカルのマングース類はこの両方の科にまたがっているとされてきた従来の分類基準はどうもあやしいようです。ヨダーたちによれば、ジャコウネコ科とハイエナ科(Haenidae)の間にマングース科が位置していて、そのマングース科からマダガスカルのマングース類が生まれたようです。ヨダーたちは「まだ、マダガスカルのマングース類を全部調べたわけではないので」と断っていますが、マダガスカルのマングース類は食肉目の二つの科にまたがる独特の動物群というわけではなく、単一のマングース科の起原のようです。

原猿類との関係で注目されるのは、マングース類がマダガスカルで分岐した年代です。五つの遺伝子を調べた結果はそれぞれいくらか違った年代を示すのですが、その平均は1800万年前から2400万年前まで(95% credivilityの幅では1100万年前から3300万年前)と大きな目で見ると一致しています。マダガスカルの原猿類では、この年代は6200〜6400万年前(95% credivilityの幅では4700万年前から7800万年前)とまったく違った年代となります。

このデータからは陸橋説が否定されることになります。アフリカとの間に陸橋があったとする説では、その時代は始新世の4500万年前から中新世初期の2600万年前と設定されています。この時代に陸橋があったという根拠は薄いのですが、この遺伝的研究結果からも二つの哺乳類の分類群が、どちらもこの陸橋があったと想定されている年代とほとんど無関係でした。また、陸橋仮説ではアフリカ大陸の多くの哺乳類の分類群の中で、なぜ四つの分類群だけがマダガスカルにわたったのかを説明できないという論理上の難点もつけくわえておきましょう。

マダガスカルの原猿類とマングース類が年代的にまったく別の起原を持つことは、マダガスカルの哺乳類にゴンドワナ祖先種の存在を仮定することが間違いであることも示しています。もしも、そうなら分岐年代はそれぞれの動物群でほとんど同じはずだからです。

漂流仮説では哺乳類の祖先が筏のようなものに乗って、ばらばらにマダガスカルに到着したと考えるわけですから、原猿類とマングース類の分岐が年代的に別の時期であることは、漂流仮説を支持することになるでしょう。

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しかし、先に述べたように、マダガスカルとアフリカとの間には四百キロを越えるモザンビーク海峡があります。これを越えることはどの陸上哺乳類にとっても困難なことで、横断できるのは非常に稀な例だったでしょう。モザンビーク海峡を渡る長い間の乾燥や食糧の無い環境に耐えることができる動物たちだけが、かろうじてこの苛烈な旅を完遂してマダガスカルに渡ることができたのでしょう。その条件とは、長期間の休眠ができることではないかと、ヨダーたちは指摘しています。テンレックの仲間には長期間休眠できるものがいますし、原猿類でもコビトキツネザルは最長九カ月もの休眠をします。これは従来、マダガスカルの西部の長期間の乾燥に耐える適応なのだと解釈されてきましたが、モザンビーク海峡を渡る時に必要だった休眠能力を維持しているのかも知れません。

* * *

それにしても、6200〜6400万年前にアフリカから渡って来た祖先から、五つの科の体重200キログラムから30グラムまでの原猿類が生まれたことは、驚嘆せざるをえません。マダガスカルの原猿類には犬歯のないアイアイ科や上顎切歯のないメガラダピス科まで含まれていますし、乳首の位置ひとつをとっても、真猿類の乳首は胸部に一対と決まっていますが、原猿類では多様です。コビトキツネザル科では胸部、腹部、鼠径部に各一対計三対6個の乳首があり、キツネザル科のエリマキキツネザル属では胸部に一対、腹部に二対計三対6個の乳首があり、アイアイ科では乳首は一対ですが、それは下腹部にあります。

乳首の数と位置のバラエティーに見られるマダガスカルの原猿類の多様さは、原猿類の祖先がどれほど古い起原を持っているかを物語ります。また、6500万年前に恐竜の時代を終わらせたK-T衝突の直後、ほとんど同時代といえるほど接近した時代にマダガスカルに上陸した原猿類の前には、陸上生態系に占める哺乳類のニッチはほとんど空白だったのでしょう。昆虫食、葉食、新葉食、果実食、竹食、種子食とあらゆる食性を占めていることがマダガスカルの原猿類の特徴ですが、この食性の多様さは彼らの前に広がっていた空白のニッチがどれほど広かったかを物語っています。

原猿類の祖先がマダガスカルに現れてから四千万年後に、マングース類の祖先がマダガスカルにたどり着きました。原猿類の前には陸上哺乳類の完全な空白のニッチがあり、それを次々に埋めてゆくことができましたが、四千万年後に到着したマングース類には1科8種が展開するほどの空白のニッチしかなかったのでしょう。もしも、これが逆だったら、どうなっていたでしょうか?巨大マングースや果実食のマングースを仮定できるかも知れません。

最近、パキスタンの漸新世(3000万年前)の地層からキツネザル下目の化石が発見されました。コビトキツネザル属にごく近縁のBugtilemurです(3)

この発見は新生代に入ってもマダガスカルはなんらかの関係をインド亜大陸ともっていた可能性を示していて、注目されます。世界の霊長類の残り半分と優に対応できるほどの放散を示すマダガスカルの原猿類は、あるいはこの広大なインドーマダガスカル大陸の連絡に関係があるのかも知れません。「レムリア大陸」の夢が再びかきたてられるところです。

しかし、インド亜大陸とマダガスカルは8800万年前に分離しているので、原猿類の祖先がマダガスカルに入ってきた6200〜6400万年前にも密接なつながりを持っていたというのは、実際にはありえないことでしょう。

アフリカの原猿類とマダガスカルの原猿類との分岐は6200万年前、マダガスカルの原猿類の放散は5400万年前、レピレムール類、コビトキツネザル類、インドリ類およびキツネザル類の放散は、始新世の中期(3790万年前〜4650万年前)とされています。マダガスカルに入ってきてから、原猿類は一気にさまざまな形とニッチを獲得し、インド亜大陸へは、この中でふたたび休眠能力をもつコビトキツネザルの仲間がマダガスカルから漂流して行ったのでしょう。

原猿類を研究しているものはマダガスカルの自然史の凄さを毎日、まったく新しく思い知らされることになります。私たちが目にしているのは、六千万年、四千万年という桁外れの時間を背おった生命たちなのだと。

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追記:ここまで書いたところで、植物生態学者の川又由行さんが見えた。話はオーストラリアとマダガスカルの生態系の違いに及び、川又さんは「オーストラリアの植物の種子散布は鳥がやっているのですが、マダガスカルは原猿類がやっているということですけれど、本当ですか?」と言う。それは知らなかった。いや、種子散布ではなくて、花粉の受粉だったら証拠になる論文があります。たとえば、エリマキキツネザルやクロキツネザルでは、タビビトノキの花粉媒介者だと考えられていて、私は花蜜を食べるためにキツネザル科のサルたちは鼻口部が長いのではないかとさえ思っていますが。

「オーストラリアの果実では八十パーセントに色があるのですが、マダガスカルの果実は色がないと言いますが、ほんとうですか?」
それも知らなかったが、そういえば、ラミーの果実は熟してもやや黄色味を帯びるくらいで、あまり変らない感じだし、林の中で色鮮やかな果実を見たことはありませんね。

「オーストラリアでは果実の種子散布は鳥がやっているので、目立つ色が必要なのだと解釈されています。マダガスカルでは目立つ色は原猿類にとっては必要なかったのでしょうか?」
たしかに、原猿類は夜行性のものと夜も活動するタイプのものが多いから、その時に色はあまり関係ないかもしれません。

「だとすると、臭いですか?原猿類が果実を探すのは?」
それはそうでしょう。原猿類の鼻口部が発達しているのは、そのためと言われ、事実、脳の嗅覚部分の割合が大きいと言われていますからね。

「では、マダガスカルの果実はよく匂うわけで」
そう、きますか?しかし、人間の感覚の中で、一番弱いのが嗅覚だから、そうだと断定的に言うことはできませんが。

「どうして、マダガスカルでは原猿類が種子散布をするのだと思いますか?」
もしも、本当にオーストラリアとマダガスカルで種子散布者が鳥類と原猿類というほどまったく違うのなら、やはりK-T衝突の直後にマダガスカルに原猿類が入ってきたから、と考えなくてはならないでしょうねえ。鳥類やコウモリ類という空を飛べる動物たちは、マダガスカルに陸上哺乳類よりも簡単に侵入できたはずだけれど、原猿類の祖先は偶然にもその誰よりも早く、ニッチが空白のマダガスカルに入ってきたのではないだろうか? こう考えると、マダガスカルでは果実食のコウモリ類よりも原猿類のほうが適応放散していることも説明できるのではないだろうか?

「それなら、マダガスカルが島の大きさの割には鳥類相が貧弱だと言われてきたことも説明できますね」
こういうわけで、我が家の土曜日の昼下がりはマダガスカルの動物相の起原について、話が盛り上がった。私としては、原稿を書くという重責を果たす機会にも恵まれたという次第で、川又さんに感謝しなくてはならない。

【引用文献】
(1) ユベール・デシャン、(木村正明訳)、1989、マダガスカル、文庫クセジュ696、白水社、東京、179pp.(もどる)
(2) Yoder, A. D., Burns, M. M., Zehr, S., Delefosse, T., Veron, G., Goodman, S. M.,  & Flynn, J.J., 2003. Single origin of Malagasy Carnivora from an Africna ancestor. Nature 421(13):734-737.(もどる)
(3) Marivaux, L., Welcomme, J-L., Antoine, P-O., Metais, G., Baloch, I.M., Benammi, M., Chaimanee, Y., Ducrocq, S. & Jaeger, J-J., 2001. A fossil lemur from the Oligocene of Pakistan, Science 294:587-591.(もどる)

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