Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マダガスカルのイタコルマイト(こんにゃく石)」

鈴木 博之(元同志社大学理工学研究所教授)

2006年夏に本会会員の蟹江康光・由紀夫妻によって、マダガスカルのAntsirabe南方の山中から、イタコルマイト(和名・こんにゃく石)が発見された。マダガスカルはブラジル,インド,北米(アパラチア山地)に次ぐ、世界で4番目の産地国である。イタコルマイトの研究で学位を取得した著者は、世界に数名しかいないイタコルマイトの専門家として、2007年夏に蟹江夫妻とともに、マダガスカルのイタコルマイトの現地調査を行った。その結果、新たに2ヶ所の産地を発見し、イタコルマイトに関する重要な新知見を得た。


マダガスカルのイタコルマイト発見の経緯

蟹江康光氏と著者は名古屋の私立東海高校地学部の同窓生であり、高校時代に一緒に鉱物採集や化石採集に励んだ仲間である。蟹江夫妻はご承知の通りの古くからの「マダガスカル通」であるが、随分以前にアンタナナリブの鉱山省付属博物館に「イタコルマイト」と表示された岩石(図1)が展示されているのを知り、私のためにその産地を探していた。しかし、マダガスカルの地質文献にイタコルマイトを見つけることはできなかった。標本ラベルにはAnalabe産と記されていたが、そこを訪れる機会もなかった。

図1

図1:
鉱山省博物館のイタコルマイト、実はイタコルマイトではなくて、その母岩

やっと2006年夏に、夫妻はAntsirabe南方のIbity山地に砥石用の採石場があることを地元民から聞き及んだ。Ibity山地はAnalabeから北方に延びる一連の山地で、地質図ではともに原生代(5〜25億年前)のコーツァイト(石英質岩)が分布する地域とされていた。ブラジルでもインドでもイタコルマイトの産地は採石場であったし、時代も岩石も同じである。ここならイタコルマイトがあるに違いないと確信し、蟹江夫妻は同じ東海高校地学部後輩の石原隆司氏と新婚早々の祐子夫人とともに、2006年夏に片道4時間をかけてVohibongo山のこの採石場に登り、ついにイタコルマイトを「発見」したのである。

本来は鉱山省博物館関係者が発見者であるはずであるが、実は手にとって調べてみると、鉱山省博物館の「イタコルマイト」標本は撓曲性を示すイタコルマイトではなくて、イタコルマイトになる前の母岩の非撓曲性コーツァイトであった。ラベルにある産地Analabeには、後述するように本当のイタコルマイトが産出するので、博物館ではイタコルマイトだけでなくその母岩もイタコルマイトと呼称したようである。

マダガスカルにイタコルマイトが存在すると聞いて、著者は2007年夏に勇んで現地調査を行った。もちろん蟹江夫妻と同行である。この時には蟹江夫妻の旧知であるアンタナナリブ大学地学教室のR. A. Ram beloson教授とV. Ramasiarinoro博士が同行してくれた。両氏は中央山地の原生代の岩石の研究者であり、現地を精通していた。そのおかげで更に新しい産地を2ヶ所見つけることができた。

新しい産地の1つは博物館標本の産地Analabe山の峠である。この産地は四輪駆動車なら露頭まで車に乗ったままでたどり着ける場所である。もう1ヶ所はIbity山地の北方にあるKiboy山の東麓である。Vohibongoを含めて3ヶ所の産地は全て原生代のItremo層群(10〜18億年前)に属するコーツァイトの分布地であった(図2)。


図2:
マダガスカルの地質概略図とイタコルマイトの産地(X)

図2

イタコルマイト(こんにゃく石)とはどんな石か?

イタコルマイトは撓曲性コーツァイトとも呼ばれ、多数の石英粒からなる石英質岩で、板状にすると自重のみでよく撓み、著しい撓曲性を示す岩石として有名である(図3)。その名前はブラジル、ミナスジェライス州の古都オウロプレトの郊外にあるイタコルミ山に由来する。発見されたのは18世紀後半のことである。当初、ブラジルではイタコルマイトの産地がダイアモンドの産地と一致するので、注目されたが、インドのイタコルマイトはダイアモンドとは無関係であることから、ダイアモンドとの関連は否定された。

図3

図3:
マダガスカル(上)とインド(下)のイタコルマイトの撓曲性

和名の「こんにゃく石」は日本鉱物趣味の会創設者・益富寿之助博士の命名である。クネクネとよく曲がることからの命名であるが、一般の人はこの名前からはブヨブヨした岩石を想像するらしくて、実物を見るといささかガッカリされることが多い。しかし、原生代のカチンカチンの硬い岩石ばかり知っている地質学者にとっては驚異の岩石である。

これまでは、ブラジルのミナスジェライス州の数カ所、インドのカリアナ丘陵の1ヶ所、北米のアパラチア山地で数カ所が産地として知られていた。これら3カ国のいずれの産地でも、撓曲性のない堅硬な岩塊(非撓曲性コーツァイト)中の地層面や片理面に沿って、岩塊の一部のみがイタコルマイトになっている。しかしながら、マダガスカルではこれまでの産地とは異なって、そこら中から普遍的に産出する。母岩の非撓曲性コーツァイトの岩塊は原生代(5〜25億年前)の古い岩石とされているが、マダガスカルでもほぼ同じである。

撓曲性の原因はこの岩石の組織(構造)にある。石英粒子がお互いによく噛み合っていることと、一方で、その粒子境界に一様で狭い空隙があり(図4)、その空隙は3次元的に連結したネットワークをなしていることである(図5)。各粒子はこの隙間の量だけわずかに動くことができ。その積算効果で岩石全体では著しい撓曲性を示すわけである。粒子がよく噛み合っているので、隙間は存在しても、粒子はバラバラになってしまわないのである。このようなイタコルマイトの組織はジグソーパズルでモデル化される(図6)。

図4:
インド(上)とマダガスカル(下)のイタコルマイトの電顕写真

図4

図5

図5:
ブラジル(上)とマダカスカル(下)のイタコルマイトの空隙のネットワーク構造


図6:
イタコルマイトの組織のジグソーパズル・モデル(a:力を加えない状態、b:自重で撓んだ状態、c:破壊が始まった状態)

図6

かみ合い組織は、古い岩石の特徴で、石英粒子同士が押し合いへし合いながら成長することによって形成されるものである。粒子境界の空隙は、風化作用によって石英の粒界部分がすこしだけ化学的に溶解したためと考えられてきたが、母岩のごく一部だけがイタコルマイトになっている原因は不明であった。マダガスカルでの普遍的な産状は風化作用による化学的溶解説を確信させるものであった。


イタコルマイトはどんな役に立つのか?

イタコルマイトは極めて弱くて壊れやすい岩石であり、そのままでは役に立たない。イタコルマイトは多くの地質学者にとっては単なる珍しい石として扱われ、博物館でも奇石として展示されていることが多い。しかしながら、新材料の開発をめざす材料学者にとっては「自然に学ぶ新材料開発」の例として、多様な開発研究がなされている。石英のような常温常圧で脆い材料が著しい撓曲性(延性)を示すことが注目されたのである。石英ではなくて、もっと硬い材料でイタコルマイトと類似の組織をもつ材料が開発されれば充分実用になるのである。

名古屋工業大学のセラミックス基盤工学センターでは、イタコルマイトの組織を応用して、硬いジルコニアを材料に、人工靱性セラミックスの開発が行われており、特許も申請されている。セラミックスの弱点である脆さを克服して、粘りのあるセラミックスの開発をめざしている。

また、九州大学の建築学教室では、イタコルマイトの組織は地震の震動を吸収したり弱めたりする効果があるとして、イタコルマイトと類似した構造を、コンクリートと鋼板を組み合わせて作成し、耐震建築材料(凌震構造材)として建築会社と協力してすでに市販している(図7)。

さらに、島根県立出雲高等技術校では、コンクリートにイタコルマイトと類似の構造を取り入れて、撓曲性コンクリートや三次元かみ合いブロックを開発している。


図7

図7:
イタコルマイトの組織 (a)を応用した凌震構造材 (b)


マダガスカルのイタコルマイト発見の意義

まずは世界で4番目の産地が見つかったという点で意義がある。さらに、マダガスカルのイタコルマイトは、石英粒子が細粒のものから粗粒なものまで多様なコーツァイトがイタコルマイトになっている。これはこれまでの産地には知られていない特徴である。

また、イタコルマイトが特定の露頭のみに産出するのではなくて、コーツアイトが存在してさえいれば、そこら中どこからでもイタコルマイトが普遍的に産出するといった印象を受けた。そして、母岩の非撓曲性コーツァイトからイタコルマイトが形成されるのは、化学的風化作用によるものとの確信を与える産状であった。

いわば、マダガスカルこそ「イタコルマイトの本場」と言えそうである。



参考文献

1)Suzuki, H. and Shimizu, D.(1993) Petrography of Indian, Brazilian and Applachian itacolumites. Jounal of Geological Society of Japan, Vol.99, pp.391-401.
2) Suzuki, H., Yokoyama, T. and Nishihara, M. (1993) Scanning electron microscope and acoustic emission studies of itacolumites. Jounal of Geological Society of Japan, Vol.99,pp443-456.
3) Rambeloson, A.R. (2004) Precambrian Evolution of Madagascar. Gondwana Research, Vol.7,pp.1375-1376.

「太古のマダガスカル ゴンドワナ大陸のおくりもの」

蟹江康光・蟹江由紀(あーすコンサル)

ゴンドワナ大陸とパンゲア超大陸

南半球にあったゴンドワナ大陸は、約3億年前(古生代後期)には北のローラシアも加わりパンゲア超大陸となった。マダガスカルはゴンドワナ大陸の中核に位置していたとされている(図1)。古生代後期のグロソプテリス植物群など裸子植物の産出は、その証拠といわれてきた。

図1

図1:
マダガスカルは、2億年前にゴンドワナ超大陸が分裂するまで、その中核にあった。さらに北はローラシア大陸とつながっていた。図はモロッコ地質調査所作成(2004)作成のパンフレットに国名を追加し、マダガスカルを着色

かつてのマダガスカル地質調査所は、ゴンドワナ大陸の中核研究所の一つであった。そのため、フランス植民地で、もっとも地質調査が進められてきた。しかし、1972年の第一次共和政権崩壊後は資金も人材もほとんどが流出し、マダガスカル共和国そのものが経済的にも行き詰まり、外国との交流が途絶えた時代が続いた。蟹江康光が白亜紀層の調査に訪れた1973年と1975年はそのような時代であった。

1990年代になると景気も少しずつ回復して若い教育研究人材が育つようになってきた。再びマダガスカルを訪れたのは1994年のことで、大学の若い研究者と白亜紀層のフィールドを共同調査してきた。最近は、経済も学術も活性化してゴンドワナ大陸に魅せられた海外研究者との交流が活発化している。

マダガスカルをとりまく海底地形

マダガスカルは、インド洋に浮かぶ大きな島である。インド洋中央海嶺からアフリカ南沖合へ分岐する海嶺は、北北東-南南西の顕著なトランスフォーム断層で切られている。マダガスカル島東岸の直線的海岸線もそのひとつのようである。いっぽうで東アフリカとの間に中生代に誕生したモザンビク海峡がある。これら海底地形の解釈に関して、まだ不明なことが多い(図2)。

図2:
マダガスカル島をとりまく海底地形。マダガスカル南方沖合では海嶺を切るトランスフォーム断層の形状が顕著である。千葉達朗博士作成

図2

マダガスカル東部と中央高地の地質構造

イタコルマイトの調査は、1994年に地質調査所で見つけた岩石標本の展示ラベル「Itacolumite, Loc. Analabe, Ibity」から始まった。しかし、イビティはアンツィラベ(Antsirabe)の南にひろがる広大な山地である。手がかりはアナラベであるが、誰に聞いてもわからなかった。イタコルマイト(図3)は、2006年にヴヒブング(Vohibongo)地区にある石切場でローカルガイドの情報で偶然に発見できた(図4)。この調査では、ミグマタイト中のクォーツァイトにあるところまで解明できたが、アナラベのことは不明のままであった。2007年には、イタコルマイトの専門家である鈴木博之博士、そしてイビティ山地の岩石を調査されているアンタナナリブ大学のランベルスン(Rambeloson, R. A.)教授とラマシアリヌル(Ramasiarinoro V.)講師が加わってイビティ山地を調査できることとなった。なんと、調査地の一つはアナラベである。アナラベとキブイ(Kiboy)地区の調査で、原生代の砂岩が起源していることを確認できた。クォーツァイト化した砂岩には誕生当時の漣痕(さざなみの痕跡)が残されており、そこはイタコルマイトの産地でもあった(図5.6)。感激した私たちは記念写真を交互に撮影した。いっぽうで、イタコルマイト化していないクォーツァイトは、堅硬であることが普通で、アナラベ峠では、図7のような奇形となっていた。最近の研究では、この砂岩はイトゥレム(Itremo)層群と呼ばれる約17億年前のものとされているが、原生代の終わり(6億〜5億年前)におきたプレートの沈み込みでクォーツァイトに変成したと考えられている。これらの年代は、岩石に含まれる鉱物の放射年代測定法などによるものである(Rambeloson, et al., 2003)。

図3

図3:
イタコルマイト。撓曲性をもつ岩石は珍しい。標本はイビティ(Ibity)山地のヴヒブング(Vohibongo, Ibity)産

図4:
砥石の石切場。変成度の弱いクォーツァイトの母岩の一部にイタコルマイトが挟まれるような状態で産出した。この場所はイタコルマイト発見のきっかけとなった。イビティ山地中央部のヴヒブング(Vohibongo)で

図4

図5

図5:
イタコルマイト化したクォーツァイトの表面に保存された17億年前の蓮痕(さざ波の痕跡)で、原岩は砂岩である。図の中心にあるのは鉛筆。アナラベ(Analabe)で

図6:
およそ17億年前(原生代)の海に残されたリプルマーク前(アナラベ。Analabe)での調査スナップ。左からラマシアリヌル講師,鈴木博之,ランベルスン教授

図6
図7

図7:
イタコルマイト化していないクォーツァイトの産状。およそ17億年前の砂岩が5億年前(カンブリア紀)に変成を受けてつくられたクォーツァイト。T手前の人物から露頭の規模がわかる。アナラベ(Analabe)峠で

島で最古の岩石帯は島の北東部に偏在している(Maarten, 2003)。この岩帯はアントゥンギル(Antongil)岩塊あるいはアントゥンギル層群と呼ばれ、32億年前(地球が誕生したのは46億年前、38億〜25億年前は始生代と呼ばれる、)のものである。マダガスカルをつくる基盤岩は、大地質構造(断層)線で大きく3帯に分けられ、東部、中部、南部へと若い年代(25億〜5.5億年前は原生代と呼ばれる)が分布している。これら構造線はアフリカ東部やインド南部へ延長しており(Rambeloson et al., 2003)(図8)、その一部は現在も活動し、アフリカ大地溝帯となっている。原生代の終わりころにおきた大量の花こう岩化作用で、ペグマタイト性の宝石鉱床がつくられた。

図8:
マダガスカルにおける太古代の岩石の分布。中南部へ向かって岩石の年代は新しくなる。これら岩石は、大構造線で切られており、その延長はアフリカ東部やインド南部にある(Rambeloson et al., 2003)

図8

マダガスカルではこの構造線に沿って、新しい火山が分布し、アンツィラベの東方(図9)やアンツィラナナ(Antsiranana、いままでのディエゴスアレス)で原生代の基盤岩を貫いて、新しい火山地形がつくられている。

図9

図9:
マールと呼ばれる水蒸気爆発でできた火口湖。ティティヴァ(トゥリトゥリヴァ,Tritriva)湖はマダガスカル島の形状に似ているので観光地となっている。原生代の片麻岩類を貫いてできた第四紀の火口で、片麻岩類は湖の周囲を取り巻くように露出している。片麻岩類を覆う噴石丘の残存形状から、単成火山のひとつで、噴火の年代は、第四紀の新しい時代と考えられる。

マダガスカルの顕生代堆積岩は島の西部に偏在

顕生代は、古生代、中生代、新生代をあわせた地質年代である。

マダガスカルでは、およそ2億年前から東アフリカとの間が分裂してモザンビク海峡が成立するのに伴って堆積した地層である(図10)。


図10:
顯生代(古生代・中生代・新生代)の地層は,ほとんどが島の西部で帯状に分布している。簡略化して作成

図10

1)イサルの湖成層 Isalo I層  2億年前にゴンドワナ大陸の分裂初期にできた凹地に堆積した湖成層。有名になったイラカカ(Ilakaka)での宝石鉱物鉱床は、この地層中にある。

2)1.5億年前(中期ジュラ紀)に海成層の堆積をもってゴンドワナ時代が終わった。中部や中西部では、サンゴ礁の海やアンモナイトがすめる浅海が出現したが、南西部ではまだ湖成層となっていることが多い。マハジャンガ(Mahajanga)南東産の恐竜はアフリカとの共通種で、陸続きをわたってきたのであろう。

3)1.4億〜6500万年前(白亜紀)になると、マダガスカルはアフリカと完全に切り離されたので、恐竜などの爬虫類化石はマダガスカルの固有種が多い。このころになって西部地域はマハジャンガ地域を除いてほぼ海没ししてアンモナイトなどが多産する海域となった。7000万年前になると、モザンビク海峡の拡大によって西部は全面的に覆われ、完全に島となった。マダガスカルの白亜紀については、蟹江(2002)に報告してあるので、それを参照されたい。

数十万年前、アフリカの大地溝帯の活動やインド洋の拡大運動はマダガスカルでも連動して、断層運動や火山活動があった(図9)。



謝辞 アンタナナリブ大学のランベルスン教授、ラマシアリヌル講師、ラスアミラマナナ(Rasoamiaramanana A. H.)教授との共同研究、現地情報を提供して下さった横浜国立大学の有馬 眞教授とラクトゥナンドゥラサナン(Rakotonandrasanan O. T.)博士、同行された石原隆司・裕子両氏、日本語ガイドのランドゥリアナスル(Randrianasolo J. R)氏の協力がなければ、この調査は実現しなかっただろう。



参考文献

蟹江康光 2002 マダガスカル島の白亜紀-一億年前の海と陸.SERASERA,8; 1-3.
蟹江康光・鈴木博之・石原隆司 2007. マダガスカルのイタコルマイト.『名古屋鉱物同好会誌』,23; 5-11.
Maarten, J. de Wit 2003. Madagascar: Heads It's a continent, Tails it's an island. Annu. Rev. Earth Planet. Sci., 31: 213-248.
Rambeloson, R. A., Yoshida, M., Ramasiarinoro, V.,Duc, L. Le and Ralison, B. 2003. The Central Granites-Gneiss-Migmatite Belt (CGGMB) of Madagascar: the Eastern Neoproterozoic Suture of the East African Orogen. Gondwana Research, 6(4): 641-651.

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