Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マダガスカルにおける家屋建築の多様性」

飯田卓(国立民族学博物館)

マダガスカルの建築には、家屋だけでもさまざまなタイプがある。一般に、伝統的な家屋建築は、素材となる植物の育成状態すなわち自然環境や、信仰などを含む広い意味での文化を反映しているといわれる。マダガスカルの家屋建築の多様性も、自然環境と生活文化の多様性に裏づけられているといってよい。

しかし、ひとくちに多様性といっても、それこそさまざまな意味がある。「あの店は商品が多様だ」あるいは「品ぞろえがよい」といったとき、たとえばあらゆる大工道具を扱っている専門店と、大工道具は少ないが日用品から贅沢品まであらゆる品目を扱っているスーパーマーケットでは、多様性(品ぞろえ)の意味が異なってくるだろう。

そこで本発表では、「どのような意味で多様といえるのか」「何が多様性をもたらしているのか」という問いかけに答えるべく、車窓から見て気づいたかぎりでの家屋の特徴をお話しした。じっさいにこの問いに答えるためには、緻密な観察と体系的な資料整理が必要だが、今回の発表は立論の足場を得るための準備作業となる。以下の記述は、ことわりのないかぎり、2007年度の調査行で観察したものである。

中央高地部のようすは、アンタナンリヴAntananarivoからアンブシチャAmbositraを経てフィアナランツアFianarantsoaに行く道での観察にもとづいた。ほとんどの家屋建築は、レンガ積みで壁をつくって土で上塗りをし、屋根を単子葉草本bozakaでふく、というものである。平屋もあるが二階建てが多く、なかにはラヴァランガ(lavaranga)様式も少なくない。これは、壁から庇を長く延ばし、バルコニーをそなえた様式である(写真1)。しかし、こうしたようすは、半世紀前とは大きく異なっているようだ。デカーリによると、中央高地では木造の家が多く、一部が日干しレンガでつくられていたという。現在は、日干しレンガでなく焼きレンガが主流である(Decary 1958)。

写真1

写真1:
ラヴァランガ様式の家屋

東部への移行(1)は、フィアナランツアからマナカラManakaraへ向かう道での観察にもとづいた。この道では、ラヌマファナ国立公園Ranomafanaをすぎたあたりから、建築が一変する。レンガづくりが急に少なくなり、ラヴィナラ(オウギバショウまたはタビビトノキ;ravinalaまたはfontsy)の幹を開いて板状にした素材rapakaが壁の材料となる(写真2)。屋根には、ラヴィナラの葉ratyを用いる。床と地面とのあいだに隙間をもつ高床式であることも、特徴的である。

写真2:
ラヴィナラを素材とした家屋

写真2

車を下りて村のなかに入らせてもらうと、穀倉が見つかることがある。倉を支える足にはねずみ返しがついている。日本の高床式倉庫を連想するのは短絡的だと思うのだが、どうしても日本との結びつきを考えてしまう。

東部への移行(2)は、アンタナナリヴからタマタヴTamataveへ向かう道での観察にもとづいた。この道では、マングル川Mangoroを過ぎたあたりから土壁の家が多くなる。土壁づくりはレンガづくりとちがい、まず木や竹で家の骨組みを建て、そこに土を塗っていく。車からでは両者を区別できないことも多いが、壊れかたが区別のポイントである。土壁づくりは壁から壊れはじめるのに対し、レンガづくりは屋根から壊れはじめる。こうしたちがいを見ていくと、土壁とレンガづくりが入り混じっている村も少なくない。

アンダシベAndasibeの付近から、植物素材の家が増える。壁の素材はラヴィナラの幹を細長くわった材falafa、または竹voloの幹を開いた短冊を編んだものrimbaである。屋根はラヴィナラの葉が多いが、竹の短冊を使うこともある(写真3)。いずれの場合も、まず例外なく高床になっている。竹とラヴィナラのいずれか一方が多い村もあるが、その理由は定かでない。自然環境や輸送といった材料の入手可能性が大きく関わっていると思われる。

写真3

写真3:
竹を素材とした家屋

東部への移行(3)は、中央高地から東海岸にいたる途中の急斜面に沿った複数の谷沿いで観察した。これらの谷では、中央高地から東海岸に下りる道で一瞬に過ぎ去るような地形や植生が広範囲にわたって広がるためか、ユニークな建築素材が用いられている。アンダシベから国道を南にそれてラカトゥLakatoへ向かう道では、タコノキ(パンダヌス)vakoaの葉を壁材にしているのを見た。また、アンブシチャから国道を南に行かず南東にそれたところにあるアントゥエチャAntoetraは、ザフィマニリ人Zafimaniryの町として知られているが、ほとんどが木造の家である(写真4)。中央高地では貴重になった木材が、ここではまだ手に入るらしい。ただし、建築に使う樹種は変化してきており、現在はユーカリkininyの材を使うことが多いという。

写真4:
木造の家屋

写真4

フィアナランツアからマナカラに行く国道を途中で右折して南下すると、イクングIkongoにいたる。この枝道ぞいは、タナラ人Tanala(森の人という意味)の住む地域として名高いが、上に述べたようなユニークな素材は見られなかった。竹の家もラヴィナラの家も土壁の家も見られたが、分布の傾向を把握することはできなかった。

北東部から北西部への移行は、サンバヴァSambavaからアンビルベAmbilobeの分岐点を経てアンツヒーヒAntsohihy、マンピクーニMampikonyへとたどる道での観察にもとづく。サンバヴァからアンビルベの先までは、もっぱらラヴィナラ素材の家である。最初の変化は、アンビルベを200kmほどすぎたあたりであらわれる。ラヴィナラ素材の家にまじって、土壁の家が目につくようになるのである。この家屋は、マングル川付近の家と同じく地面が床になっているが、屋根の形が切妻でなく入母屋で、長く張り出した庇の裾が柱で支えられている(写真5)。屋根の素材はラヴィナラの葉だが、写真のように単子葉草本を使ったものもわずかにある。こうした土壁づくりの家があらわれてから、20kmほど走るあいだにラヴィナラの家は姿を消してしまう。

第二の変化は、マンピクーニに入る30kmほど手前の峠でおこる。この峠の手前ではラヴィナラの葉を屋根の素材としているのに、峠を超えたとたん、単子葉草本に置きかわってしまうのである。この地域のようにラヴィナラの少ない場所では、車などで運ばれてきたものを買うのだろう。だとすると、幹の材より葉のほうが運びやすいため、ラヴィナラ自生地から遠いところでも使われているのだといえまいか。

最後に、島の南西部の家屋についてもふれておこう。2007年度の調査ではこの地域まで足をのばせなかったが、それ以前の経験からおおよそのことがいえる。まず、この地域では、北西海岸にみられた入母屋式土壁づくりの家がもっとも多い。しかし、海岸近くやトゥリアラToliara以南では石灰岩質の土が多く、家を塗る土が入手しにくいのであろう、わずかな植物を建築に用いている。海岸近くのヴェズ人Vezoたちはガマvondroを、トゥリアラ以南のマハファリ人Mahafalyやアンタンヂュイ人Antandroyは木材を用いることが多い。アンタンヂュイ人の家屋については、前回に橋詰氏が詳しく発表された(橋詰 2007)。このように、土が入手しにくい南西部では、植物素材がきわめて豊富な東部とともに、今回記載しきれなかった建築素材がまだ見つかるはずである。

写真5

写真5:
西部の土壁づくりの家屋

以上、マダガスカルにおける家屋建築を概観したが、「何が多様性をもたらしているか」という問いを念頭においていたにもかかわらず、気づかぬうちに、建築素材の入手しやすさという観点から多様性を説明しようとしていたらしい。このことは、フロアからのコメントであらためて気づいた。いうまでもなく、とくに家屋の様式に着目するなら、建築素材の入手可能性だけでは説明できない。

例をあげれば、マジュンガMajungaからマエヴァタナナMaevatananaにあがってくる道で、写真6のように、棟の上に置き千木(ちぎ)をもつ家屋を見た。深澤秀夫氏によれば、この様式はサカラヴァ人Sakalavaの家屋にのみみられ、ツィミヘティ人Tsimihetyの家屋にはみられないという。民族集団としての経験が、家屋に関して特有のシンボリズムを生じさせたのだといえよう。

別の例。マジュンガに近いアンピズルア国立公園Ampijoroaの近くで、ラヴィナラの材を用いていながら高床式でないという家屋を見た。近くの人に尋ねてみると、その近辺の人たちは、公園制度が施行されたために公園内から移住してきたのだという。だとすれば、ふたつの可能性が考えられる。ひとつは、公園内では道路沿いと異なり、地面を床とするラヴィナラづくりがふつうである可能性。もうひとつは、ラヴィナラ以外の建材を用いてきた公園内の人びとが、強制移住の代償としてラヴィナラの建材を支給され、道路沿いの人びととは異なる工法で家を建てたという可能性。いずれの場合にせよ、特定の素材と特定の工法が厳密に対応しているわけではないのだ。

家屋建築が多様な理由、それは多様である。調査する前からそう思ってはいたが、事例を整理する前と後とでは、理解のしかたが異なる。読者にも参考になれば幸いである。

写真6:
棟の上に置き千木をもつ家屋

写真4

引用文献
Decary, Raymond 1958. Contribution à l'étude de l'habitation à Madagascar, Pau: Imprimerie Marrimpouey Jeune.
橋詰二三夫 2007. 「マダガスカル南部アンタンルイ族の生活の知恵と事情」第11回マダガスカル研究懇談会における発表、2007年3月31日、東京農業大学。

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