Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マダガスカルの野蚕」

木内 信 (独立行政法人農業生物資源研究所 昆虫科学研究領域)

はじめに

今から13年も前の1996年6月、マダガスカル中部で野蚕の調査をする機会があった。事前の情報がほとんどない中での短期間の滞在だったため、野蚕の生態と利用のほんの一端を垣間見ただけの調査に終わってしまったが、その後文献で得た情報も交えて紹介したい。

野蚕とは

野蚕(やさん)とは家蚕(かさん)に対する言葉で、文字通り野外の蚕(かいこ)を指す。繭から絹糸をとる虫としては家蚕=カイコ(Bombyx mori)がよく知られているが、カイコ以外にも繭から絹糸をとって利用する蛾の仲間があり、それらを総称して野蚕と呼んでいる。カイコは、今から5000年以上も昔の中国で飼育が始まったといわれる完全に家畜化された昆虫で、人手によって屋内で飼育され、野外には全く生息していない。一方、ほとんどの野蚕は、家畜化されておらず、一般に野外の飼料樹で放し飼いにされるか、野生の繭を採取して利用されている。

現在利用されている野蚕はほとんどがアジアの種で、昔から利用されている主な野蚕としては、日本の天蚕(ヤママユガ:Antheraea yamamai)、中国の柞蚕(サクサン:Antheraea pernyi)、インドのタサールサン(Tasar:Antheraea mylitta)、ムガサン(Muga:Antheraea assamensis)、エリサン(Eri:Samia ricini)などがあり、最近利用が始まった野蚕としてはインドネシアのクリクラサン(Cricula trifenestrata)がある。これらはいずれも、分類学的にはカイコが属するカイコガ科(Bombycidae)に比較的近いヤママユガ科(Saturniidae)に属する。このように、野蚕を利用しているのはほとんどがアジア地域の国であるが、それ以外の地域で唯一野蚕の糸を利用しているのがマダガスカルである。

マダガスカルの野蚕との出会い

私が勤務している独立行政法人農業生物資源研究所は、農林水産省のいくつかの研究所を統合して平成13年に設立されたものである。私はその前身の一つである蚕糸試験場に30年ほど前に採用され、最初に携わったのが野蚕の研究であった。そして野蚕に関する文献を調べていて出会ったのが、現地語でlandibeと呼ばれる繭を作る、マダガスカルに生息する不思議な野蚕Boroceraだった。明治37年に発行された『野生絹糸虫論』(須田, 1904)に図示されていたその虫は、前述のような、野蚕=ヤママユガ科という常識に反して、カレハガ科に属するという毛虫であった(図1)。カレハガの仲間は日本にも何種類かいるが、繭は貧弱であまり役に立ちそうもない。Boroceraの繭から織物に利用できる糸が本当にとれるのか、半信半疑で、図書室のほこりだらけの古い本の棚をさらに漁ったところ、マダガスカルの養蚕について書かれた本(Prudohmme, 1906)を見つけた。そこには、当時フランスの植民地であったマダガスカルにおける養蚕の紹介とともに、問題のBoroceraという野蚕についても書かれており、確かにカレハガと思われる毛虫の写真が載っていたが、残念ながら繭の写真はなかった。さらに、この虫が、Antananarivo周辺の高原地帯からMajungaのマングローブにまで生息し、キマメやtapia、tsitoavina、afiafyなど広い範囲の植物を食べることがこれらの食樹の写真とともに紹介されていた。このように非常に広い分布と食性には非常に興味を覚えたが、当時はこれ以上の情報を得ることはできなかった。

図1

図1:
Boroceraを紹介した「野生絹糸虫論」の扉とBoroceraの成虫、幼虫および繭

19世紀のヨーロッパで何が起こったか

ところで、19世紀の中頃から末にかけての一時期、ヨーロッパで野蚕が注目された時期があった。図2に3種の野蚕、シンジュサン(Samia cynthia)、ヤママユガ(Antheraea yamamai)およびサクサン(A. pernyi)について書かれた論文数の年代別の推移を示した。1850年頃まではごくわずかだった論文数が、その後30年ほどの間に急増してまた減少したことがわかる。図2にはフランスとイタリアの生糸生産量の推移も示したが、こちらはこの時期に急減している。生糸生産量の急減は、フランスやイタリアで微粒子病という、原虫によって引き起こされる病気がカイコに蔓延したためであり、野蚕についての論文数が増加したのは、微粒子病対策として、世界中から野蚕を探し出し、カイコに代り野蚕を馴化して利用したり、カイコと野蚕を交配して強健なカイコを作り出す試みが盛んに行われたためであった。これらの試みはいずれも徒労に終わったが、Boroceraもこのような野蚕探索の中で発見・報告されたものであった。

もう一つの微粒子病対策として、ヨーロッパの本国ではなく海外の植民地での養蚕が試みられ、こちらの方はある程度成功した。マダガスカルでは細々とではあるが現在でも養蚕が行われているが、これは19世紀イメリナ王国時代にイギリスから導入された家蚕と、フランス植民地時代に普及が進められた家蚕が定着したものである。

なお、カイコの微粒子病は、蚕糸業界の要請により研究に乗り出した有名な細菌学者のパスツールにより、原因究明と対策が確立されたが、フランスの養蚕は衰退の一途をたどった。

図2:
野蚕に関する文献数とフランスとイタリアの生糸生産量の推移

図2

Boroceraの幼虫と繭

前置きが長くなってしまったが、1996年6月22日から7月1日にかけて行った現地での調査結果の紹介に移りたい。出発前には前述のような古い情報しか得られなかったので、到着の翌日、政府の養蚕担当者から話を聞いた。それによると、マダガスカルで利用されている野蚕はBorocera madagascariensisという種で、多くの亜種あるいは系統があるという。この野蚕の繭はlandibe(大きい繭)と呼ばれ、普通のカイコの繭landikely(小さい繭)と区別されている。中央高地ではタピア(Uapaka bojeri)、南部ではメーザ(学名不詳)、西部海岸ではアフィアフィ(Rhyzophora sp.)を主に食べ、その他にキャッサバやキマメも食べるとのことであった。5、6月と11~1月の年2回の発生で、繭の生産(集荷=野外からの採取)量は年間40トンだという。後日、Antsirabeで聞いたところによると、前記の植物の他、マツやユーカリも食べるとのことだった。

Boroceraの幼虫と繭は滞在3日目に見ることができた。Antananarivo西郊のArivonimamoでタピアの林を探索した結果、わずか2頭だが幼虫を見つけることができた。また、帰途にたまたま見たキャッサバ畑でもこの幼虫を見つけ、半信半疑だった「キャッサバを食べる」という話もこの目で確かめることができた。はじめて見るBoroceraの幼虫は、古い写真で見たとおりのカレハガに似た毛虫で、木の枝の上では保護色になっていた(図3)。胸部に根元がオレンジで先端が黒い鋭い毛の束が4つあり、驚かすと威嚇するようにこの毛の束を開いて目玉模様を見せた(図4)。

図3

図3:
Boroceraの幼虫

図4:
目玉模様を開いて威嚇?する幼虫

図4

Boroceraの繭の特徴は、なんといっても繭の表面にとげが生えていることである(図5~7)。幼虫の背中に生えていた毛の束を、どうやるのかはわからないが、繭を作るときにとがった毛の先を外側に向けて繭に埋め込むのである。この毛の先端は鋭くとがっていて簡単に皮膚に刺さり、うっかり触るとひどい目に遭う。Boroceraの繭は、人々が山から集めてくるというが、こんな厄介な繭をどうやって大量に扱うのか不思議だった。話を聞いた農家の婦人は無造作に素手で繭をつまんで裏返して見せてくれ、特にいたそうな様子も見せなかった。皮膚が硬いのか、毛が刺さっても気にしないのか謎のままである。

繭は、その後訪れたAntsirabe近郊のタピアの林やMajungaの海岸のマングローブ林のアフィアフィでも、かつて見た古い報告の通りに繭がついているのを見ることができた(図7)。また、Antsirabe近郊では、タピアの他に松の木に着いた繭やユーカリの葉に卵を産んでいる成虫(図8)も見ることができ、様々な植物を食べていることを再度確認した。

図5

図5:
Borocera のとげの生えた繭

図6:
タピアの葉についた繭

図6
図7

図7:
アフィアフィの葉についていた繭

図8:
ユーカリの葉に産卵した成虫

図8

Landibeの糸で作る野蚕布

Boroceraの繭landibeからとった糸で作られる布は、死者を包むために使われるという。この布はかなり高価で、2m×2.4m(約1kg)で75US$という値段がついていたが、これが本来の価格なのか外国人向け価格なのかわからなかった。布は一言で言えばござのようにごわごわしていて、その上、繭についていたとげが残っているらしく、ちくちくして、とても生身の人間が身につけられるようなものではなかった。やはり、死者を包むための布なのかと納得した。

繭から糸をとるには、まず、繭を裂いて中の蛹を取り出してから、棒でたたいてとげを砕いて取り除き、さらに繭を一つ一つ裏返して中の脱皮殻などを除いた後、石けんで煮て真綿を作る。その真綿を紡いで糸にするという、かなり手間のかかる作業が必要である。なお、繭の中の生きた蛹は食用にするという。Landibeの最初の利用目的は食用だったのかもしれない。

Boroceraの種名

さて、ここまでマダガスカルの野蚕、landibeという繭を作る虫のことをBoroceraと呼んできた。生物の学名は、属名と種小名という2語の組み合わせによって特定の種を示すが、Boroceraというのは属名である。なぜ種小名を組み合わせた種名で表さなかったかというと、landibeを作る虫は1種ではないからである。Lajonquiere (1972) によるマダガスカルのカレハガ亜科の分類によると、Borocera属には少なくとも下記の6種が含まれる。

Borocera nigricornis Lajonquiere, 1972
B. cajani Vinson, 1863
B. madagascariensis Boisduval, 1833
B. mimus Lajonquiere, 1972
B. marginepunctata Guerin-Meneville, 1844
B. attenuata Kenrick, 1914

実際、現地の調査で得られた、とげの生えたBoroceraの繭からは2種の成虫が羽化した(図9)。前記のLajonquiere (1972) によって同定したところ、1種はB. cajani、もう1種はB. marginepunctataであった。B. cajaniが羽化した繭はタピアの木でとれたものだったこと、タピアの木についていた幼虫も同じ論文に図示されているB. cajaniの幼虫そのものだったことから、タピアの木を食べるBoroceraは、ほぼ間違いなくB. cajaniと考えられる。

ところが、昔(1800年代から1900年代初め)の論文では、タピアを食べてlandibeを作る虫の種名は、B. cajaniとなっているが、最近では、ほとんど例外なく、B. madagascariensisが使われている。いつ頃からB. madagascariensisが使われるようになったのかよくわからないが、調べた限りでは、Lajonquiere (1972) 以後にBoroceraの分類が見直されたという論文は見あたらない。おそらく、B. madagasucariensisの方がいかにもマダガスカルを代表する種のように思えることから、誰かが間違って使ったのが定着してしまったのではないだろうか。ただ、これは私の推測に過ぎないので、学名の妥当性やB. madagascariensisが使われている理由などについては、きちんと調べる必要がある。

実は私も、比較的最近上記の論文を見るまでは、よく調べないままに、多くの人が使っているからという理由だけで、B. madagascariensisが正しいと思いこんでいた。そのため、国立民族学博物館から、同館が発行している『月刊みんぱく』に堀内孝氏がマダガスカルの野蚕を紹介するので、その学名と和名および種の解説を書くようにと依頼され、マダガスカルトゲマユカレハという和名を作るとともに、B. madagascariensisという学名をあててしまった。もしかすると、私自身が間違った学名を広めることに一役買ってしまったのではないかと、きちんと調べなかったことを今になって後悔している。

13年前にはマダガスカルの野蚕についての新しい情報はほとんどなかったが、最近は、京都文教大学の杉本先生による精力的な調査が行われ、Boroceraについての生物学的な情報も蓄積されつつある(杉本, 2009)。私もなんとか機会を見つけて上記の問題・疑問を解決したいと思っている。


引用文献
堀内孝, 2002. 「マダガスカルトゲマユカレハ」.『月刊みんぱく』, 26 (10), 21.
Lajonquiere, Y., 1972. Faune de Madagascar, 34, Insectes Lepidopteres Lasiocampidae. O.R.S.T.O.M., Tananarive/C.N.R.S., Paris, 212pp.
Prudhomme, E., 1906. La Sériciculture aux Colonies, Étude faite à Madagascar. Librairie Maritime et Coloniale, 214pp.
杉本星子, 2009. 「エコツーリズムの聖地マダガスカルの野蚕シルク生産-森林資源の持続可能な開発に向けた考察-」. 『京都文教大学人間学部研究報告』, 11, 37-52.
須田金之助, 1904. 『野生絹糸虫論』.裳華房.

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