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「ラズエリナ暫定政権の一年 理念無き政争のその後」

深澤 秀夫 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

I. 四半期毎の主要な内政・外交上の出来事のまとめ

1.2009年3月~6月

◆3月
17日、ラヴァルマナナ(Marc Ravalomanana)大統領、全権を軍に移譲し、その後南アフリカへ出国。軍は即日、全権をラズエリナ(Andry Rajoelina)に移譲。
21日、マハマシナ(Mahamasina)の陸上競技場において、ラズエリナが暫定政権大統領就任式典を開催。ラヴァルマナナ支持派のラズエリナ暫定政権に対する街頭抗議活動の活発化および治安部隊などとの衝突が続発。
31日、暫定政権閣僚33名の発表と就任。

◆4月
10日、ラズエリナ暫定政権の発足と地方県(région)知事解任による地方政体の更新。ラヴァルマナナ前大統領による、マナンダフィ(Manandafy Rakotonirina)首相の指名と組閣工作。
29日、暫定政権によるマナンダフィとラヴァルマナナ支持派の逮捕。

◆5月
ラヴァルマナナ前大統領による<南部アフリカ開発共同体>(SADC)や<東部・南部アフリカ共同市場圏>(COMESA)を拠点とした、ラズエリナ暫定政権に対する外交的攻勢。

◆6月
3日、ラヴァルマナナ前大統領の公金不正支出による訴追と禁固4年、罰金7000万ドルの有罪判決。アフリカ連合、ヨーロッパ連合、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)、在マダガスカル外交団などによる調停活動の本格化。SADCおよびCOMESA共に、憲法に則った政権に戻ることを求めたものの、ラヴァルマナナ前大統領が要請した武力介入については、否定的態度をとる。ラズエリナ暫定政権首班、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ(Didier Ratsiraka)元大統領、ザフィ(Zafy Albert)元大統領、四者派閥間での和解に向けた交渉とその不調。
15日以降、首都アンタナナリヴ(Antananarivo)市内において手製爆弾爆発事件が続発。


2.2009年7月~9月

◆7月 手製爆弾爆発事件が続く。
2日、リビアのシルトにおいて開催された第13回アフリカ連合首脳会談において、マダガスカル問題への具体的言及はなされず。アフリカ連合、ヨーロッパ連合、在マダガスカル外交団などが<マダガスカル関係国団>(GIC)を結成し、8月にモザンビークにおいてラズエリナ暫定政権大統領、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領の大統領経験者4人の直接会談による事態解決のための交渉の場を設定するべく行動。

◆8月
5日~8日、モザンビークの首都マプトにおける、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領の大統領経験者4人の直接会談によって、暫定移行条項を承認。
25日~28日、四派閥による暫定移行体制の人事を決める第2回マプト会談が決裂。

◆9月
8日、第二次ロワンデフ(Monja Roindefo)内閣成立。マプト合意条項の実施をラズエリナ暫定政権に求め、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領とその支持者たちが、三者共闘を結成。再びラズエリナ暫定政権に対する街頭抗議行動が活発化。


3.2009年10月~12月

◆10月
6日、<マダガスカル関係国団>(GIC)によって、暫定移行政権の大統領にラズエリナ、副大統領にザフィ派からラクトゥヴァヒーニ(Emanuel Rakotovahiny)、首相にラツィラカ派からマンガラーザ(Eugène Mangalaza)が指名され、暫定移行政権における四派派閥の人事配分の大枠が決定。暫定政権首相の座を明け渡すことになったロワンデフがこの決定に対し強く反発。暫定移行政権の閣僚人事を決めるため、再度<マダガスカル関係国団>(GIC)が、11月3日~4日アジスアベバで行われる方向で、四派閥間の調整が決着。

◆11月
6日、アジスアベバにおける<マダガスカル関係国団>(GIC)主催の四者会談において、暫定移行政権の主要ポストの配分が決定。暫定移行政権の組閣作業が行われるが、法務大臣など幾つかの大臣ポストの配分をめぐり四派閥間での調整に失敗。12月3日・4日のマプト第3回会談において組閣問題が話し合われることで調整が進められるが、ラズエリナ暫定移行政権大統領はこの会談への出席を拒否。

◆12月
7日、第3回マプト会談においてラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領の三者によって、暫定政権の内閣および組織のポストの配分案が決定。これに対し、第3回マプト会談を欠席したラズエリナ暫定移行政権大統領が、強く反発。ラズエリナ暫定移行政権、第3回マプト会談参加者を一時入国禁止措置とする。
16日、ラズエリナ暫定移行政権大統領が、2010年3月20日に、国民議会議員選挙を実施することを発表。
18日、ラズエリナ暫定移行政権大統領、四者合意に基づく国民統合暫定移行政権路線を破棄し、単独政権路線を選択。20日、ヴィタル(Albert Camille Vital)大佐を首相に任命する大統領令を発令。
28日、アンタナナリヴに駐屯する支援砲兵連隊において、マプト・アジスアベバ合意条項の実施を求める一部士官・下士官の反乱未遂事件発生。ラヴァルマナナ前大統領の買収工作によるものと噂される。


4.2010年1月~3月

◆1月
21日、<マダガスカル関係国団>(GIC)代表として、アフリカ連合委員会委員長Jean Pingがマダガスカルを訪れ、マプト・アジスアベバ合意条項の実施と憲法改正国民投票→国民議会議員選挙と大統領選挙の同時実施の調停案を、四派閥に対して提示。2月6日を調停案に対する回答期限として設定。ラズエリナ暫定政権、3月20日の国民議会議員選挙日程を、5月に延期。

◆2月
ラズエリナ暫定政権大統領、フランスに滞在し、<マダガスカル関係国団>(GIC)による制裁回避に向け、閣僚、上院議員、国民議会議員と会談。ラズエリナ暫定政権大統領、単独政権路線との批判をかわすため、<暫定支配最高評議会>(CSCT)の設立を発表。
10日、暫定政権外交担当副首相アンドゥリアマンザトゥ(Ny Hasina Adriamanjato)が辞任。
18日、アジスアベバで開催された<マダガスカル関係国団>(GIC)、マプト合意条項・アジスアベバ付帯条項への速やかな復帰と完全な実施を強く求める裁定を発表。
翌19日、アフリカ連合<平和・安全委員会>の委員長が、暫定政権と暫定政権大統領ラズエリナに対し、マプト合意条項・アジスアベバ付帯条項への復帰に一ヵ月の猶予を与えるが、3月16日までにそれが果たされない場合には、制裁措置を実施すると発表。
24日、2月10日のアンドゥリアマンザトゥの辞任によって空席となっていた外務担当副首相に、ラマルスン(Hyppolite Rarion Ramaroson)海軍中将を任命。
25日、ラズエリナ暫定政権大統領が、<マダガスカル関係国団>(GIC)の裁定とアフリカ連合<平和・安全委員会>の制裁措置実施表明を受け、3月4日・5日の二日間、政体と選挙実施組織についての国民の意見を聴取するため、全政党と市民団体を招請し、<国民作業部会>を開催することを発表。

◆3月
アフリカ連合の<平和・安全委員会>が、3月8日~10日にアジスアベバでの再度のラズエリナ暫定政権大統領、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領による四者会談を設定するものの、ラズエリナ暫定政権大統領の欠席により、キャンセルされる。
3月4日~5日の二日間、<国民作業部会>が開催され、作業部会に参加した全ての政治団体による挙国一致政権の樹立、2010年以内の暫定体制の終了、立憲議会選挙の実施、国民協議会の設置を決定。2009年の紛争中のラヴァルマナナ前大統領からの治安部隊への資金提供疑惑をめぐり、憲兵隊の一部部隊からこの調査結果の公表を求める動きが生じ、憲兵隊内部での確執が表面化。
17日、アフリカ連合の平和・安全委員会が、ラズエリナ暫定政権大統領を含む暫定政権関係者109人に対し、ヴィザ発給の禁止、資産凍結、外交信任状発給禁止の制裁措置発動を決定。


5.2010年4月~6月

◆4月
2日、アンブヒツルヒチャ(Ambohitsorohitra)の大統領官邸を武装部隊が占拠すると言うクーデター情報が流れ、軍の<特別出動部隊>(FIS)が官邸周辺に展開。
7日、軍務大臣(国防大臣)が更迭され、暫定政権首相ヴィタルの兼務となる。
10日、軍と憲兵隊の指揮官たち100人ほどが集まり、暫定政権に対し国際社会が認める暫定移行体制に戻ることを求めてゆくことを決議する。
12日、軍と憲兵隊が共同で、暫定政権大統領ラズエリナに対し、国際社会も認める暫定移行体制の確立と政治的危機脱出の道筋についての回答を、4月30日の期限付きで求める。
18日、軍の<特別出動部隊>(FIS)が、首相官邸襲撃計画を企てたとして、18人の軍人を逮捕。
28日~30日、南アフリカのプレトリアで、ラズエリナ暫定政権大統領、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領の四者が、アフリカ連合とフランス外務省の支援の下、直接会談を行うものの、合意文書への署名に至らず。

◆5月
3日、ラズエリナ暫定政権大統領が、軍と憲兵隊の司令官たちと会談。また、軍人と専門家から成る「中立政権」の組閣を発表。
4日、憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属部隊の一部下士官たちが、市民を含めた「軍事評議会」の樹立を求める声明を発表。
5日、ラズエリナ暫定政権大統領と軍と憲兵隊の総司令官とが直接会談し、「軍民政権」を組閣することで合意。
12日、ラズエリナ暫定政権大統領がテレビ・ラジオを通じて、次期大統領選挙に出馬しないことを表明すると共に、5月27日~29日憲法改正草案作成に向けた<国民討論会>の開催、8月12日憲法改正国民投票、9月30日国民議会議員選挙、11月26日大統領選挙に日程を明らかにする。
15日、民間ラジオ局Fréquence Plus Madagascarを治安部隊が襲い、機材を破壊すると共に、関係者2人を拘引。
18日、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)の調停団代表の元モザンビーク大統領Joaquim Chissanoの特使がマダガスカルに到着し、交渉のためのテーブルに再度就くよう四派の代表者たちと会談を行う。
20日、憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)と軍の<特別出動部隊>(FIS)との間で銃撃戦が生じ、4人死亡、15人負傷。同日、ラジオ局Fahazavanaの機材が没収され閉局が命ぜられると共に、職員10人が逮捕される。
24日、ヴィタル暫定政権首相が内閣を改造。閣僚31人の内、10人を新任し、その内5人を軍から登用。
26日、当初、5月27日~29日に予定されていた憲法改正草案をめぐる<国民討論会>が延期される。
29日、<国民討論会>の組織と準備が<市民団体連合>に委譲され、<市民団体連合>は、<国民討論会>の開催日程を6月14日~17日と発表。

◆6月
7日、ヨーロッパ連合(EU)が、本年度のマダガスカルに対する援助計画5億8000万ユーロを凍結する制裁措置を発動。
9日、国連の密使がマダガスカルに到着し、各政党関係者、市民団体関係者との会談を重ねる。<憲法諮問委員会>(略称CCC)に対し、個人および政党・市民団体から、第四共和制に向けた新憲法への提案が寄せられ、その検討作業が行われているものの、新憲法草案が何時提出されるかについては、不明。
26日の独立50周年式典は、平穏に終了。
28日、<独立国民選挙委員会>(CENI)の委員長が、当初8月12日に設定されていた憲法改正国民投票の期日を延期することを正式に発表。


II. 前ラヴァルマナナ政権の問題点に対するラズエリナ政権の対応

1.大宇ロジスティックスへの土地貸借問題

2009年3月21日、暫定政権発足後すぐさま、ラズエリナ暫定政権首班は韓国の企業大宇ロジスティックスへの160万ヘクタールの土地の99年間にわたるリース計画の中止を発表し、続いて4月10日には大宇ロジスティックス側も計画の中止を公式に表明。
8月18日、外国人の土地取得についての制限を撤廃した2008年12月の新土地法に対し、国土改革大臣が、これを凍結することを発表する。今後、外国人の土地取得については、<マダガスカル経済発展委員会>(略称EDBM)が書面審査を行った上、審査を通過しても1)土地の取得は認めないこと、2)土地に対する投資に限定すること、3)計画の承認から6ヵ月以内に事業に着手することの三点を条件とする事となる。韓国企業大宇ロジスティックスおよびインド系多国籍企業VARUNの農業投資事業は白紙に戻されており、現在、土地取得をめぐる外国からの申請はなされていない。


2.大統領専用機購入問題

暫定政権発足直後に、ラズエリナ暫定政権首班が、前ラヴァルマナナ大統領が購入した二機目の大統領専用機Air Force Oneを売却し、その売却益を貧民救済に充てると発表。
2009年6月3日、暫定政権法務大臣が、被告人欠席のまま、ラヴァルマナナ前大統領および前財務・予算大臣に対し、大統領専用機購入における不正な公金支出について、禁固4年、罰金7000万ドルの有罪をアンタナナリヴ裁判所が判決したと発表する。これにより、ラヴァルマナナ前大統領は、マダガスカルに帰国した場合には即逮捕される法的状態にある。この法的状態を特赦するために、マプト第二合意条項が設定されている。
2010年1月27日、1ヵ月前に公示されたAir Force Oneの機体の売却について、ベルギー、スイス、カナダの会社から応募があったことが明らかになる。問題の機体は、6000万ドルで購入されたが、3800万ドルで売却される予定。

3.VIVA放送局閉鎖問題

ラヴァルマナナ前大統領下で、ラツィラカ元大統領とのインタビュー番組を放送したために、通信大臣によって閉鎖命令を受けたラズエリナ暫定政権首班が社主をつとめるVIVA放送局は、暫定政権の発足と共に放送を再開する。逆に、2009年1月26日に放火されたラヴァルマナナ傘下のテレビ局MBS放送は、暫定政権下で閉局されたままである。

一方、4月19日ラヴァルマナナ支持派の情報を流していたラジオ局FAHAZAVANAと ラジオ局 RADIO MADAの二局の機材を、軍が没収。さらに、4月24日夕刻より、ラヴァルマナナ支持系のラジオ局RADIO MADAとラジオ局FAHAZAVANAが、放送を停止させられる。
5月20日、5月5日に逮捕され起訴されていたラヴァルマナナ支持系のラジオ放送RADIO MADAの記者が、100万アリアーリ(ariary)の罰金を支払い、即日釈放される。
2010年5月15日午後、67ha地区にある民間ラジオ局Fréquence Plus Madagascarを治安部隊隊員が襲って放送機材を破壊し、同局のジャーナリストや技術者10数人にけがを負わせると共に、ラヴァルマナナ支持派2人を拘束する。2人の逮捕理由について、アンタナナリヴ地区治安部隊司令官は、手製爆弾を製造した嫌疑およびアンブヒザトゥヴ(Ambohijatovo)地区において不法な集会を開催した嫌疑によるものと述べる。
5月20日、ラヴァルマナナ前大統領とその支持派の情報を流し続けてきたプロテスタント系のラジオ局Radio Fahazavanaが、午後治安部隊によって放送機材を没収されて放送を停止すると共に、同時に同局のジャーナリストを含む10人の職員が拘引される。
6月16日、国務院が、公共秩序維持の観点から、ラジオ局Fhazavanaの閉局命令の執行猶予願いについて、これを却下する決定を下す。このため、2009年8月~12月のラズエリナ派、ラヴァルマナナ派、ラツィラカ派、ザフィ派、四派による共同暫定移行政権組織の話し合いにおいても、放送局を管轄する通信大臣ポストの配分が、討議の焦点の一つとなった。


4.鉱石・土地資源採掘問題

2009年5月14日、フォー・ドーファン(Fort-Dauphin)港から、Qit Madagasar Mineral(略称QMM)が採掘した初のクローム鉱石35000tが、船積みされ輸出される。
7月16日、2008年1月以来禁止されていた宝石等の原石の持ち出しを許可する旨、鉱山大臣を兼務するエネルギー大臣が発表する。
9月19日、鉱物・石油大臣が、鉱物資源の採掘権の改訂についての会合を行う旨を採掘事業者に通知する。
10月30日、鉱山大臣が、ムラマンガ(Moramanga)地方でニッケルととコバルトを採掘している日本の住友商事とカナダの会社などとの合弁会社Sherritt社の現地視察を行う。
2010年1月15日、暫定政権鉱山・二酸化炭素排出問題大臣が、凍結されていたMadagascar Consulted Mining社とPan African Mining社によるサクア(Sakoa)地方における石炭の採掘事業計画および中国系企業によるスアララ(Soalala)地方における鉄鉱石採掘事業について、事業者との話し合いを再開すると発表。
2月4日、鉱山・二酸化炭素排出問題担当省が、2008年5月以来QMMが、10万9千トンのチタン鉱石などをフォー・ドーファン港からカナダに向け船積みし、税金と手数料として1100万ドルを国庫に納めたことを公表する。
2月22日、<戦略的産業・国家鉱山局>(略称OMNIS)の総裁が、200の海上区画と2の陸上区画について石油採掘のための探査権を販売することを明らかにする。
3月1日、鉱石の採掘権の発行が、60万業者の20%を占める零細業者に対し、<マダガスカル鉱石地籍調査局>(略称BCMM)によって始まる。採掘権料は、2008年度の倍に設定される。採掘権の60%はBCMMに、1%は国庫に、12%は関係地方自治体に配分される。既に1200件の申請書類が提出されている。
3月3日、<戦略産業・国家鉱山局>(OMNIS)が、ウラン探査に参入していた14社の内、国際的金融危機のためウラン価格が下落し、3社が完全に撤退、数社も登記された住所に無いことを明らかにする。
3月13日、<マダガスカル鉱石地籍調査局>が、およそ100万件ある鉱区開発権の内、現時点までに60万件が開発申請者に授与されたことを明らかにする。
4月13日、2007年に締結された石油採掘についての契約に基づき、フランスの石油会社TOTALがベムランガ(Bemolanga)地方で5月からボーリング調査を、中国のSUSPECがムルンダヴァ(Morondava)地方で同じく5月からボーリング調査を、カナダのCANDAXがディエゴスワレス(Diego-Suarez)地方で8月-9月からボーリング調査を、またENERMADが4月から地震探査を実施することになる。
4月21日、3月1日から、60万業者の20%を占める零細業者に対し、<マダガスカル鉱石地籍調査局>による鉱物採掘権の発行申請受付が始まったが、鉱山・二酸化炭素排出問題担当大臣は、一部業者による投機を抑えるため、鉱物採掘許可証書の正式発行を凍結することを発表する。この措置について、鉱山・二酸化炭素排出問題担当大臣は、20の企業が全島の鉱物開発区域の半分にあたる17万km²の権利を持っているものの、これらの権利は海外市場における投機的取引の対象となっており、マダガスカル国家には何らの利益ももたらしていないため、このような現状を健全化するためと説明する。
5月5日<国家鉱物資源・戦略産業局>がイヴァトゥにおいて開催した、マダガスカルにおける石油探査計画推進のための<石油生産部門技術会合>の席上、中国系石油企業SUNSPECが、輸出用の石油精製所を南部に建設する計画を発表する。
5月25日、1億ドルの権料の支払いに基づき鉱山・二酸化炭素排出問題担省から、中国企業<武漢鉄鋼会社>(略称WISCO)に対し、マジュンガ州南部のスアララ地方における鉄鉱床の探査採掘権が、正式に付与される。
5月31日、国土開発・地方分権化大臣と鉱山・二酸化炭素排出問題担当大臣の二人が、中国企業<武漢鉄鋼会社>(WISCO)による鉄鉱石採掘が行われるスアララの現地を訪れ、住民と意見を交換する。その席上、住民からは、開発を早急に公平に進めて欲しいとの要望が提出されたと報道される。WISCOは、2014年から鉄鉱石の輸出を開始し、2017年には年間1400万トンを産出する計画。
6月11日、<戦略産業・国家鉱山局>の局長が、現在、中国、アメリカ、オーストラリアなどの海外企業10社余りが、マダガスカル島内の石油採掘区画の取得を求めているものの、法的枠組みが未整備のため新石油採掘法の成立まで凍結されていることを明らかにする。


5.貴重木材輸出問題

2009年9月19日、アナランジルフ(Analanjirofo)地方県(région)知事が、紫檀の伐採と輸出の事業者を申請のあった中から5つに選定し、搬出の認可を与える。
10月29日、アメリカの研究者が、2009年1月~4月の間に、北部のヴヘマール(Vohemar)港およびタマタヴ(Tamatave)港から、571個の紫檀を積載したコンテナが不正に積み出されたと発表する。
11月27日、環境・森林保護省が、2009年1月28日にラヴァルマナナ前大統領によって13の業者に対し与えられたもののラズエリナ政権によって4月以降凍結されていた紫檀輸出の特別許可をめぐる問題について、12月1日以降、マダガスカルにある全ての紫檀の在庫品は国家に移管されることを発表する。
2010年1月12日、環境・森林大臣が、2009年10月以前に輸出を差し止められていたコンテナ200個分の紫檀について、この輸出を許可する。
1月14日、環境・森林大臣が、2009年9月21日に全省布告によって設置された<特別対策本部>(Task Force)の機能強化を図ることを声明。<特別対策本部>は、複数の大臣、軍人、裁判官、税関吏、環境・森林省代表など30名から成り、紫檀などの貴重木材の輸出の際に輸出業者により6mのコンテナに付き7200万アリアーリの追徴金の支払いが実行されているかどうかを監視する機関。
3月10日、3月7日~9日の間ヘリコプターによるサヴァ(Sava)地方県の上空からの視察により、違法伐採が依然として続けられていることを強く警告した報告書が、アメリカ大使館・ノルウェー大使館・ドイツ大使館・アメリカ国際協力機構(USAID)などの代表者の共同署名のもと、発表される。
3月22日、タマタヴ高等裁判所長官が、タマタヴ高等裁判所が紫檀輸出解禁を求める業者7人に対し有利な判決を下したことにより、<裁判官最高評議会>(略称CSM)の審問を受ける。
4月15日、財務・予算大臣と森林水資源大臣を伴ったヴィタル暫定政権首相の抜き打ち視察により、タマタヴ港における荷役業務が、14日から15日午後3時半まで中断される。この視察についてヴィタル暫定政権首相は、「許可を得ていない紫檀を収蔵したコンテナの積み出しがあるとの情報を得たため、15日午後に私が決断した」とその理由を述べる。しかしながら、問題のコンテナは発見されず、2個のコンテナにマツ材が収納されていたが、マツ材の輸出は違法ではない。現在、タマタヴ港には6ヵ月前に暫定政権によって差し押さえられた紫檀を積んだコンテナ91個が留置されている。
5月11日、東海岸のアンデヴラントゥ(Andevoranto)において、ヴヘマール港を出港し紫檀材を不正に運搬していた帆船が、憲兵隊特別捜査隊による臨検を受け摘発されるが、その際積み荷の一部は取り締まりを逃れようとする船員たちによって海中に投棄される。
6月3日、この3月から紫檀の輸出が禁止されていたが、5月24日の大臣交代に伴い、ヴヘマール地方から運ばれてきて2009年10月にタマタヴ港で輸出を差し止められていた91個のコンテナの内、79個のコンテナが所有者たちからの申請に基づき、海外への輸出を許可される。
6月17日、環境・森林省は、森林破壊を防ぐために、告発を奨励する策を用いることを明らかにする。


6.公金不正支出問題

2009年4月17日、暫定政権の司法大臣によって、ラヴァルマナナ前大統領と前財務大臣に対する逮捕状が出される。逮捕状発令の理由は、権力の濫用、不正蓄財、大統領専用機購入疑惑の三点。
4月22日、<反マネーロンダリング情報局>(略称SAMIFIN)が、5ヶ月間の調査成果について会見を行い、2008年の一年間に2000億アリアーリの金がマネーロンダリングにより、ドバイ、バンコク、香港などの海外に流出したことを報告する。
4月24日、暫定政権の各閣僚が、マハズアリヴ(Mahazoarivo)の首相官邸で記者会見を行い、逮捕状が発行されているラヴァルマナナ前大統領・前財務大臣およびTIKO企業グループが行った国有地や私有地の不正取得、国庫の横領、不法な特権の行使、脱税、紫檀など貴重材木の不正輸出にかかわる各省庁関係の書類を提出する。ラヴァルマナナ前大統領にかかわる不正・不法を暴く活動を<Ampamoaka>「表に出す」・「暴露する」と名づけ、今後とも継続される予定。
2010年4月30日、<反汚職局>(BIANCO)と<財務調査局>(SAMIFIN)が公金横領に対し共同で追及を行う文書に署名する。
5月3日、国庫支出の透明化および公金保護のため、<反汚職局>、<財務調査局>、<財務局>の三つの機関が、今後連携して活動を行うことになる。
6月3日、暫定政権法務大臣が、ラジオ放送で、公金不正支出について有罪判決の確定しているラヴァルマナナ前大統領の身柄引き渡しを南アフリカ政府に要求してゆく考えを明らかにする。しかしながら、現在、マダガスカルと南アフリカとの間に司法協力協定が締結されていないため、暫定政権法務大臣は、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)に関係書類を提出することも含めあらゆる可能な手段をとってゆくと述べる。また、2009年2月7日の大統領官邸前の銃撃事件の共犯者としてラヴァルマナナ前大統領の訴追が検討されていることも明らかにされる。


7.TIKO企業グループによる経済の寡占化

2009年4月13日、税関局長が、TIKO企業グループは滞納している2600億アリアーリの関税を支払う必要があると発表。
4月24日、暫定政権の各閣僚が、マハズアリヴの首相官邸で記者会見を行い、逮捕状が発行されているラヴァルマナナ前大統領・前財務大臣およびTIKO企業グループが行った国有地や私有地の不正取得、国庫の横領、不法な特権の行使、脱税、紫檀など貴重材木の不正輸出にかかわる各省庁関係の書類を提出する。ラヴァルマナナ前大統領にかかわる不正・不法を暴く活動を<Ampamoaka>「表に出す」・「暴露する」と名づけ、今後とも継続される予定。
4月28日、商務省が、TIKOの米と食用油の在庫を接収したことに対するTIKOの告訴を、高等裁判所が却下する。
6月16日、TIKO企業グループの会長が、横領の罪で逮捕され、アンタニムーラ(Antanimora)の刑務所に収監される。
2010年2月10日、TIKO企業グループの代表と財務・予算大臣との交渉の結果、TIKOの企業活動の再開が認可される可能性が高まる。
3月10日、2008年以来、TIKO企業グループが卸売部門のMAGROのある土地の賃貸料を<アンタナナリヴ農業・商工会議所>(略称CCIA)に対して支払っていない問題について、土地裁判所は、TIKO企業グループに対し、1000万アリアーリの罰金および退去の判決を下す。これについてTIKO企業グループの弁護士は、「仮執行を停止する抗告を行うと共に、この判決は最終的なものではない」と述べる。
3月22日、<アンタナナリヴ農業・商工会議所>が、3月10日の商務裁判所によるTIKOと商工会議所との間での土地賃貸契約取り消しの判決が18日に伝えられたことに基づき、アンクルンドゥラヌにあるMAGROの敷地を立ち入り禁止の封鎖措置をとる。
3月26日、TIKO企業グループの弁護士が、関税を含むあらゆる負債を支払う用意のあることを明らかにする。
6月4日、暫定政権法務大臣が、アンクルンドゥラヌ(Ankorondrano)地区にあるTIKO企業グループの強制退去の中断を判決した高等裁判所の決定を「書類上の不備」により失効させる新たな書類の発行を明らかにする。


III. ラズエリナ暫定政権の問題点

1.民衆の政治離れの加速化

首都アンタナナリヴにおけるラズエリナに対する民衆の支持は、2009年1月26日の放火・略奪事件を契機に急降下し、2月7日の大統領官邸前における銃撃事件によってラズエリナその人および反ラヴァルマナナ勢力に対する不信と不安は決定的なものとなった。さらに、ラズエリナ支持や人気の大部分は、反ラヴァルマナナ感情が仮託されたものにすぎなかったため、ラヴァルマナナが国外に退去した後、ラズエリナに対する支持感情も弱体化した。その一方、南アフリカに出国したラヴァルマナナ前大統領に対しても、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)や<東部・南部アフリカ共同市場圏>(COMESA)に軍の派遣を要請した行為については反感が強く、ラズエリナ政権に対する反感や失望感が、ラヴァルマナナ支持あるいは帰国待望論とは結びついていない。そのため、ラヴァルマナナ支持派が中心となって行っている反ラズエリナ暫定政権運動の参加者数は、2010年3月時点では、数千人から多くて1万人ほどにとどまっている。これに対し、2010年3月~4月頃には、プロテスタント系のFJKM教会を中心とするキリスト教関係者が組織する反ラズエリナ暫定政権運動に、数万人の人が集まる傾向が見られた。しかし、キリスト教関係者の組織する反暫定政権運動も、2010年5月20日の憲兵隊<緊急出動部隊>と軍の<特別出動部隊>との間で生じた銃撃戦事件を契機に、改革FJKM系牧師の逮捕が続き、暫定政権によって抑え込まれた形になっている。ラヴァルマナナ派もラズエリナ暫定政権も、国民や民衆の決定的支持を得られないまま、あるいはそうであるがゆえに政治家同士の権力闘争を際限なく繰り返している状況である。


2.フランス VS アメリカの確執の激化

2009年3月下旬、新しい在マダガスカル・フランス大使が派遣され、そのフランス大使と政争期間中フランスに逃れていたラズエリナの妻が同じ航空便に乗り合わせ、イヴァトゥ空港においてラズエリナ暫定政権大統領が2人の到着を迎える。
4月22日、アメリカ大使が新聞記者との会見で、クーデターによって誕生した政権を支援することはないこと、および年内の大統領選挙の実施を求めることを明らかにする。同日、フランス外務省のスポークスマンが、20日のラヴァルマナナ支持派と治安部隊との衝突事件を受け、両当事者による対話が危機脱出の道であり、24日にマダガスカルをめぐる問題を話し合うフランス語圏会議を開催する用意があると声明。
同じく22日、ラヴァルマナナに政権を戻すことを説得するための<南部アフリカ開発共同体>(SADC)の特使が到着するが、暫定政権はこれを無視。
4月29日、アメリカ大使が、「マダガスカル在住外交団は、マダガスカルにおける最近の暴力と脅迫の復活およびそれに伴う著しい人権の無視を、非難する。危機は、血を流すことでは解決しない。最近生じている事態は、反対意見を平和的に表明する集会と表現の基本的自由を尊重し、対話に入る必要性を明確に示している」と声明を発表。
5月7日、在マダガスカル・アメリカ大使が、2009年内の選挙の実施を求め、暫定政権を公然と非難する。
5月11日、暫定政権を非難してきた在マダガスカル・アメリカ大使に対し、暫定政権首相ロワンデフが名指しで、「この年末までに選挙を行うべきだと主張し、混乱の種を蒔いてきた。あなたが喜ぼうが喜ぶまいが、決定するのは、私たちマダガスカル人だ。あなたがこの声に逆らい続けるならば、マダガスカルを去った方が良い」と厳しく反論する。
5月12日、フランスの外交官に対しラズエリナが、自分自身は次回大統領選挙の候補者とはならないことを明らかにする。
6月4日、フランス外務省アフリカ・インド洋局局長が、ラズエリナの次回大統領選挙への不出馬表明に対し、翻意するよう説得していることを明らかにする。
6月18日、在マダガスカル・アメリカ大使が、「アフリカ連合および国連の調停による交渉が中断されたことを、強く憂慮する。全ての当事者たちが交渉の場に戻り、暫定政権樹立に向けた条件について合意するよう引き続き望みたい。現状を生みだす基となった反憲法的行為を非難し、この危機解決のために武力に訴えることを認めない。アメリカは何れの側に立つものではなく、何れかの政治勢力による一方的な解決を主張するものでもない。そのような手段は、信頼できる公正な選挙に基づく永続的な解決をもたらすものではない」と声明を発表する。
6月22日、アメリカが、マダガスカル向け食糧援助の再開を決定し、2014年までに8500万ドルの支援を行うと発表。
7月4日、ラズエリナ暫定政権大統領がパリで、フランス協力担当閣外相と会談。
7月18日、在マダガスカル・アメリカ大使が、マダガスカルが<アフリカ発展連合>(AGOA対米輸出のためのアフリカ諸国連合)に再加入できるか否かは、暫定政権次第であると述べる。
9月26日、ニューヨークの国連総会からの帰路、ラズエリナは、パリに立ち寄る。
10月8日、フランスのヴァンデ県(Vendée)の県議会議長が、マダガスカルを訪れ、アンタナナリヴ市長のラザフィンドゥラヴァヒ(Edgar Razafindravahy)と会い、ラズエリナを国家元首として招きたいとの意向を伝える。紛争以来、フランスの代表団がマダガスカルを公式に訪問するのは、これが初めて。
10月10日、6日の<マダガスカル関係国団>(GIC)の会議によって、暫定移行政権首相に指名されたマンガラーザ(Eugène Mangalaza)が、パリからイヴァトゥ空港に到着。在マダガスカル・アメリカ大使、フランス大使が、マンガラーザの到着を空港で出迎える。
11月10日、フランス大使がイアヴルハ(Iavoloha)の大統領執務室でラズエリナと面会し、フランスが対マダガスカル援助を再開することを伝える。
12月9日、フランス外務省報道官が正式コミュニュケを発表し、その中で、「ラヴァルマナナ、ラツィラカ、ザフィの三者が8日に示した解決策は、マプト移行条項に示された合意の精神から外れるものであり、遺憾に思う。また、フランスは、できるだけ速やかに関係集団を招集し、マプトとアジスアベバ合意条項の実施を妨げている障害を取り除くために、国際的な調停を進める」と述べる。
12月13日、フランス大使館が「三派代表と首相がマダガスカルへの入国を禁止されたことは遺憾であり、この措置が早急に解除されることを要請する。対話と国民和解の精神に反するあらゆる行動を自制した上、移行条項に盛られた合議と包括性の精神を尊重し、アジスアベバとマプトにおける合意条項を誠実に実行することを望む」との声明を発表する。
12月15日、アメリカ連邦議会が、アメリカ向け輸出機構である<アフリカ発展行動連盟>(略称AGOA)の2010年の加盟資格を、マダガスカルから剥奪する票決を下す。繊維産業はマダガスカルの外貨の60%を稼ぎ、繊維輸出の80%は対アメリカ向けであり、繊維産業関連の労働者の総数は60万人を超える。
12月17日、フランス外務省が声明を発表し、「2010年3月からの迅速な選挙の開始は、国際的な監視および独立の選挙委員会による十分な統制と透明性の保証を政権が与えるならば、永続的な解決に寄与しよう」と述べる。
12月23日、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマから、マダガスカルがニジェールおよびギニアと共に、2010年AGOAの資格を剥奪されたことを伝える公式文書が届く。
2010年1月6日、この政治的状況下におけるマダガスカル在住フランス人の生活状況の調査のため、フランス上院議員たちが、マダガスカルを訪問する。
1月16日、アメリカのアフリカ担当国務次官が、暫定政権が設定した3月20日の国民議会議員選挙に関連して、「合意に基づき、開かれ、自由で公正な選挙を実施する必要性に鑑み、包括的過程を強く求める。互いに受け入れられる前進に向けた解決策を見失いまた不可能とする一方的行動は、国際社会からの制裁を引き起こす可能性がある」と述べる。
1月27日、ラズエリナ暫定政権大統領、フランス、スイス、リビアなどを訪問するためマダガスカルを発つ。表上では、公的な外遊ではなく私的な性格のものと説明されているが、外務担当副首相のアンドゥリアマンザトゥと大統領特別顧問のラツィラフナナ(Norbert Lala Ratsirahonana)も同行し、2月7日に迫った<マダガスカル関係国団>(GIC)が示した政治的危機解決策に対する回答期限を前に、これに対処するための政治目的であることは明白である。
1月29日、パリ滞在中のラズエリナ暫定政権大統領は、フランスの各大臣および大統領官房長官と相次いで会談を行う。これについてフランス外務省は、「フランスは<マダガスカル関係国会議>(GIC)の一員であり、問題解決のためにマダガスカルのあらゆる関係者と会う用意がある」とのコメントを発表する。
2月4日、フランス国民議会の公聴会において、ラズエリナ暫定政権大統領が、単独政権路線との批判に応え、<暫定支配最高評議会>(略称CSCT)を樹立することを明らかにする。この<暫定支配最高評議会>は、1)大統領閣議が提出する法令を承認する、2)行政、独立国民選挙委員会(CENI)、政権の活動全般を点検する。
2月13日、フランスの外務大臣が、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)の議長を務めるコンゴ民主共和国を訪問し、外務大臣とマダガスカル問題について会談を行う。
3月16日、12日に南東部を襲った熱帯性低気圧ユベール(Hubert)による被害は、死者52人、罹災者94000人に拡大する。この被害に対し、アメリカ政府は、8500万ariaryの緊急援助を既に決定。
3月18日、レユニオンからフランス軍機1機が熱帯性低気圧ユベールの被害に対する3トンの緊急援助物資を積んでイヴァト空港に飛来、マダガスカル国際赤十字社(CRM)に物資を供与する。
3月19日、在マダガスカル・アメリカ大使は、アフリカ連合の平和・安全委員会が発表した制裁について、「アメリカ政府は、特定対象者に対する制裁の発動を検討中である」と述べる。一方、フランス政府は、フランス政府外務省報道官を通して、「特定対象者に対する制裁の発動については、しっかりと記憶に留めておく。しかしながら、マダガスカルとの間の対話の道が閉ざされることの無いことを希望する。われわれは、アフリカ連合の平和・安全委員会がアフリカ諸国による調停の労をとったことについて、たいへんに満足している。フランス政府は、この調停の労をとり続ける」と発表する。
3月30日、フランス援助協力閣外相とフランス大統領顧問の二人が、マダガスカルを訪れたことが、AFPから発表される。ヨーロッパ連合ACPの共同議長が、マダガスカルに対するヨーロッパ連合としての制裁措置を強化するよう述べる。
3月31日、在マダガスカル・フランス大使が、ラズエリナ暫定政権が進める選挙実施を支持する「合意に基づく政治的危機解決の鍵は、できうる限り短期間の内に、信頼できる選挙を組織し管理することである」との声明を発表する。フランス援助協力閣外相とフランス大統領顧問の二人は、ラズエリナ暫定政権大統領、ヴィタル暫定政権首相、ザフィ元大統領と会談を行う。
4月2日、新しい在マダガスカル米国大使が、アンドゥラヌメーナ(Andranomena)地区でのオープン・ハウスに際し、「合衆国の立場は変わっておらず、全派閥が話し合いの席に就くことを促し続ける。われわれアメリカ人は、合意こそが危機脱出の手段であると確信する。合意を形作るためのさらなる努力が必要であり、和解無き選挙は問題を解決できない恐れがある。フランスの大臣がマダガスカルを訪問したことは、世界の目がマダガスカルに注がれていることを表している」と述べる。また、同大使は、マダガスカル国内の移動禁止措置に対し、「外交官は自由に移動することができる」と語る。
4月22日、アンドゥラヌメーナ地区に完成した新しいアメリカ大使館の建物の落成式が行われるが、暫定政権関係者は招待されず。経済・産業大臣と財務・予算大臣が、アメリカ向け輸出を続けているマダガスカル国内のフランス系企業について、関税と税制面で優遇措置を与えることを検討していることを明らかにする。
4月23日、在マダガスカル・フランス大使と在マダガスカル・南アフリカ大使が共同でラズエリナ暫定政権大統領と面会し、28日の直接会談に行くことが確認されたと、フランス外交官が明らかにする。しかしながら、ラズエリナ暫定政権が起草した合意議定書とラヴァルマナナ派が起草した合意議定書の案文の間には、まだ相違点があると同じくフランス外交官が述べる。
4月24日、<祖国を愛するマダガスカル人>(GTT フランスを中心とする海外居住マダガスカル人の中のラヴァルマナナ前大統領支持派の集まり)が、アフリカ大陸に対するフランスの政治的・経済的支配の維持に反対し、フランス指導によるマダガスカル危機解決の道筋を拒否する声明を発表する。
4月28日、プレトリア会談の出席者:マダガスカル大統領経験者4人:ラズエリナ暫定政権大統領、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ元大統領、Jean Ping:アフリカ連合委員長 オブザーバー参加、Joaquim Chissano:<南部アフリカ開発共同体>(SADC)調停団代表兼司会、Salomao Tomaz :<南部アフリカ開発共同体>(SADC)書記長、Sam Mokgheti Monaisa:在南アフリカ・マダガスカル大使、Alain Joyandet:フランス語圏・協力担当フランス政府閣外相、Niels Marquardt:在マダガスカル・フランス大使、Jacob Zuma:南アフリカ共和国大統領 オブザーバー参加 。
4月29日、午前中、ラズエリナ暫定政権大統領は、フランス語圏・協力担当フランス政府閣外相と今後の交渉の進め方について会談を行う。
4月30日、日中、ラズエリナ暫定政権大統領とフランス外交団との会談が行われた後、フランス語圏・協力担当フランス政府閣外相が、「話し合いの進展を期待しているが、そのためには時間が必要である。ここプレトリアで全ての事項についての合意ができないのならば、解決策を見出すための討議の絶えざる継続が必要である」と述べる。
5月1日、4月26日からブリュッセルで開催されていたヨーロッパ連合議会が、現在のマダガスカルの政治的状況が憲法体制に復帰するまで、6億3000万ユーロの援助を凍結し、暫定政権とのさまざまな協議を打ち切ることを決議する。
5月3日、9人にフランス外務省職員が、フランス大使館の行政機構の定例査察のため、イヴァトゥ空港に到着。
5月5日、在マダガスカル・フランス大使が、ンドゥリザウナ(André Ndrijaona)国軍総司令官と会談するが、会談内容についての発表はない。
5月12日、ラズエリナ暫定政権大統領が、午後8時から、国営の<テレビ・マダガスカル>(TVM)および<ラジオ・マダガスカル>の放送を通じて、次回の大統領選挙には出馬しないことを表明する。また、ラズエリナ暫定政権大統領は、同放送を通じて、第四共和制憲法草案審議のための<国民討論会>を5月27日・28日・29日に、憲法改正国民投票を8月12日に、国民議会議員選挙を9月30日に、大統領選挙を11月26日に実施することを明らかにする。これに対し、フランス語圏・協力担当フランス政府閣外相は、「確定した選挙日程の発表は、マダガスカルの人びとの要求に応えるものである。この決定は、マダガスカルを憲法体制へと復帰させる道筋へと導くと共に、国際社会の支持へと導くものである。2010年末までに自由で公明正大な選挙を終えると言う目標を達成するため、フランスはあらゆる支援を与える」との声明を発表する。
5月17日、在マダガスカル・フランス大使を通じてフランスは、5月15日の治安部隊によるラジオ局Fréquende Plus Madagascar襲撃事件をジャーナリズムに対する攻撃として不快感を示すと共に、逮捕令状の無いかかる行為を非難する声明を発表する。また、在マダガスカル・アメリカ大使は、この事件を人権侵害として非難すると共に、調査することを求める。
5月18日、フランスの外務大臣がマダガスカルの外務大臣に書簡を送り、15日に民間ラジオ局Fréquence Plus Madagascarを治安部隊が襲撃した際に検挙された個人について、在外自国民である同人との収容先におけるフランス大使館関係者による面会を求める。
5月19日、治安部隊によって15日に検挙された個人との収容先におけるフランス大使館関係者による面会を求めた件について、外務担当副首相ラマルスンは、フランス大使を、マダガスカルの内政に対する不当な干渉であると非難する。
5月27日、フランス大統領サルコジが、雑誌の記者の取材に答え、憲法秩序を回復するために、早急に選挙を実施することを望むと語る。
6月2日、フランスの7月14日国祭日(通称 革命記念日/パリ祭)と仏領アフリカ独立50周年式典に、マダガスカルの軍人に招待状が届いたものの、ラズエリナ暫定政権大統領ラズエリナにはまだ招待状が届いておらず、その出席が危ぶまれている。
6月3日、<ヨーロッパ連合>(EU)が、5月31日に下したマダガスカルとの関係についての「<ヨーロッパ連合>は、2009年3月にラズエリナによる、議論となった権力への就任以来、民主的プロセスが失われていることに鑑み、マダガスカルの発展のための協力を凍結する」内容が、記者会見において明らかにされる。
6月6日<フランス語圏国際連盟>(略称OIF)の代表の一人が、<憲法諮問委員会>(略称CCC)の現地を訪問する。元モザンビーク大統領Joaquim Chissanoが進める包括的合意に基づく移行体制の観点から、調停の継続についての相互理解に達していたサルコジ・フランス大統領とJacob Zuma南アフリカ大統領とのフランスのニースにおける会談は、具体的行動の一致を見ることが無かったと、その代表が明らかにする。
6月7日、ヨーロッパ連合の決定に基づくマダガスカルへの制裁が発動され、イフシ(Ihosy)とフォー・ドーファンを結ぶ国道13号線の改修を含む第10期援助計画5億8000万ユーロが凍結される。
6月8日、レユニオンで開催されていた第26回<インド洋委員会>閣僚会議が終了し、マダガスカルにおける自由で公明正大な大統領選挙および国民議会議員選挙を求める声明を発表される。
6月23日、ブラック・オバマ合衆国大統領が、マダガスカルの独立50周年を言祝ぐ手紙を寄せる。
6月24日、在マダガスカル・フランス大使館が、暫定政権からの招きに応じ6月26日の独立50周年式典に際しマハマシナ地区にある陸上競技場で行われる軍のパレードに、フランス大使が出席することを明らかにする。


3.軍・憲兵隊・警察の支持の行方

2009年4月16日、ラズエリナ支持派の軍隊とラヴァルマナナ支持派の軍隊との間での衝突の危険性が高まりつつあるとの観測が、流れる。
5月27日・28日の二日間、イヴァトゥの国際会議場において、のべ700人以上の士官が出席して、全国軍人会合が開催される。会合では、軍内部における位階秩序の尊重と軍の団結が確認されると共に、軍の政治からの独立、そのための独立予算の付与と軍事司法・裁判師団の創設、および俸給の引き上げなどが決議される。
6月10日、アンタニムーラ(Antanimora)地区にある国家警察集会場において、公安大臣主催の全国警察官会合が開催される。
6月22日、マダガスカル国軍創設49周年にあたり、マハマシナの競技場でラズエリナが出席して記念式典が開催される。式典の場において、ラズエリナ暫定政権首班が、160億FMGの特別賞与を軍に与える。
9月16日、アンタナナリヴのベトゥングール(Betongolo)地区において、軍の士官を集めた会合が開催される。この会合について、「規律を順守し、軍内部の問題を解決する」ことが目的と説明される。軍務大臣と国軍総司令官は、この会合を欠席。
9月21日、国軍総司令官(CEMGAM)のンドゥリザウナが、一部新聞で軍がロワンデフ暫定政権首相の辞任を求めたと報道されたことに関して、「噂に過ぎない。軍は中立を守るし、政治には介入しない」と記者会見で答える。
10月4日、40人ほどの軍の士官が、アンブヒツルヒチャの大統領官邸において、ラズエリナ暫定政権大統領およびロワンデフ暫定政権首相と会談を行う。会談内容の発表はないものの、6日の<マダガスカル関係国団>(略称GIC)の会合を前に、紛争解決を暫定政権側に強く求めた模様。
10月5日、陸軍大将ラスアマハンドゥリ(Rasolomahandry)、海軍准将ラダヴィッドソン(Radavidson)および 同じく陸軍大将ラベラントゥ(Raberanto)の3名が、マプト合意および軍人国民会合における決議を順守することを求める共同声明を発表。これに対し、軍務大臣が関知しない旨を記者会見において述べる。
11月17日、大統領付き治安委員会所属の9人の士官が、ラズエリナ以外の各派閥は、国防、公安、外務、財務・予算などの重要閣僚ポストを要求するべきではないと、記者会見で見解を表明する。これに対し共同大統領のアンドゥリアニリーナ(Fetison Andrianirina)は、「事態の安定化のためには、軍隊は自らの見解を表明するべきではない。国家元首とは、国家を3人の指導者が率いていることを避けるための名誉的なものであり、決定は我々3人で行う」と述べる。
11月19日、17日の士官たちの声明に対する懲戒処分をめぐり、軍内部での論議を呼ぶ。国軍総司令官(CEMGAM)ンドゥリザウナは、「軍人は許可なしに、自己の見解を表明してはならない」と述べた上で、「彼らが、軍総司令官(ラズエリナ暫定移行大統領)の許可を得ていたか否かについては、定かではない」と語る。一方、軍大臣ラクトゥナンドゥラサナ(Noël Rakotonandrasana)は、「彼らは、懲戒処分が相当」と述べる。
11月25日、国軍総司令官(CEMGAM)ンドゥリザウナと複数の上級士官たちが、早急の組閣を求める声明を発表する。
12月5日、国軍総司令官ンドゥリザウナ、<治安部隊>(略称Cemgam)総司令官ラヴァルマナナ(Claude Ravelomanana) 、閣外大臣兼憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥ(Bruno Razafindrakoto)の3人が、会談を行う。この会談の内容について、国軍総司令官ンドゥリザウナは、「業務上の打ち合わせ」とだけ述べたが、第三回マプト会談において、政権が樹立された場合の対応について検討した模様。
12月10日、一部新聞において、軍の高官が、首相を軍人とする軍民政府の可能性について、その用意のあることを認める発言を行ったことが報道される。国軍総司令官ンドゥリザウナと憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥが、会談を行う。これについては、「職務上の打ち合わせであり、あらゆる事態を想定してこれに対処する」と述べるに留まる。軍大臣ラクトゥナンドゥラサナが、「われわれは、事態改善のため人的資源を持つと共に、そのための能力を有している」と述べる。
12月15日 7人の陸軍大佐、1人の海軍中佐が、南アフリカに残されている三派閥の代表者たちの入国禁止措置の解除を強く求める声明を発表する。
12月16日、15日火曜日に、7人の陸軍大佐、1人の海軍中佐が、南アフリカに残されている三派閥の代表者たちの入国禁止措置の解除を強く求める声明を発表したことについて、国軍総司令官ンドゥリザウナは、「賞罰報告書に記載されるべきである」と述べ、憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥは「私の権限外であるが、処分が相当」と述べる。
12月17日、15日火曜日にカールトン・ホテルで軍人たちが発表した声明に署名していた3人の憲兵隊員について、憲兵隊担当閣外大臣(SEG)ラヴァルマナナが、勤務から外し、懲戒処分について検討していることを明らかにする。
12月20日、ラズエリナ暫定移行大統領が、暫定移行首相マンガラーザ(ラツィラカ派)に替え、チュレアール生まれで現在57歳、チュレアール商工会議所会頭のヴィタル(Albert Camille Vital)大佐を首相に任命する大統領令を発令する。
12月28日、午前1時頃アンタナナリヴのベトゥングール地区にある<支援砲兵連隊>(略称RAS))駐屯地において、アジスアベバ・マプト合意条項に立って自分たちに合流するよう訴える下士官たちが、兵士たちを集めようと図る。しかし、周辺に駐屯する連隊から兵士たちが事態鎮圧のため集合し、午前2時半頃にこの騒ぎがおさまる。この事件に関連して下士官5名が逮捕され、アンタナナリヴ地区憲兵隊司令官ラヴァルマナナが「現在なお捜査中」と述べる。イヴァトの国際会議場において暫定政権首相ヴィタルが、軍隊と憲兵隊の責任者たちを集め会合を開催する。その席上ヴィタル暫定政権首相は、「階級の序列の遵守に欠ける行為が見られる」と述べ、早朝の軍における騒乱について言及する。
2010年1月8日、イアヴルハの大統領執務室において、暫定政権主宰の新年祝賀会が開催され、その席上ラズエリナ暫定政権大統領は、マダガスカル国軍建軍50周年を記念し、軍隊の装備を一新することを明らかにする。
1月15日、2009年4月に組織された<緊急出動部隊>(略称FIS)が、法的裏付けが無いため2010年の予算配分がなされず、隊内部で不満が増大した結果、FISの司令官たちはアンブヒツルヒチャの大統領官邸で開催された新年祝賀会を欠席する。
1月16日、司令官がアンブヒツルヒチャの大統領官邸で開催された新年祝賀会を欠席した問題で、<緊急出動部隊>(FIS)の司令官2人の辞任が、発表される。
1月18日、<緊急出動部隊>(FIS)の司令官アンドゥリアナスアヴィナ(Charles Andrianasoavina)が、アンブヒツルヒチャの大統領官邸においてラズエリナ暫定政権大統領と会談。会談の内容については明らかにされていないものの、会談後司令官アンドゥリアナスアヴィナは、「両者にとり満足のゆくものだった」と述べる。
2月10日、憲兵隊司令官ラザフィンドゥラクトゥが、フォー・ドゥシェン(Fort-Duchesne)地区に駐屯する憲兵隊に対しラヴァルマナナ前大統領から250億ariaryの巨額の資金提供が政争中にあったとの疑惑に対し、この捜索に着手したことを記者団に明らかにする。
2月11日、10日に憲兵隊司令官ラザフィンドゥラクトゥが、フォー・ドゥシェンに駐屯する憲兵隊に対しラヴァルマナナ前大統領から250億ariaryの巨額の資金提供が政争中にあったとの疑惑の捜索に着手したことを記者団に明らかにしたことに対し、アンドゥリアンザフィ(Raymond Andrianjafy)憲兵隊中佐が、「このような一方的決定を行ったことは、憲兵隊司令部内部の信頼を裏切るものだ」と激しく非難する。
2月24日、ラズエリナ暫定政権大統領が、2月10日のアンドゥリアマンザトゥの辞任によって空席となっていた外務担当副首相に、ラマルスン(Hyppolite Rarion Ramaroson)海軍中将を任命。
2月25日、23日火曜日にラヴァルマナナ前大統領が、2009年の紛争中に憲兵隊だけではなく、軍および警察に対しても資金を提供したことを明らかにしたことに対し、暫定政権軍大臣ラクトゥナンドゥラサナが、「いかなる軍人もこのような資金を受け取ったことはなく、ラヴァルマナナ前大統領が紛争の種をまいているだけである」と述べる。
3月3日、フォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)において、複数の部隊が、ラヴァルマナナ前大統領の治安部隊に対する資金提供疑惑に関する調査結果の24時間以内の公表を、上層部に対して強く要求する。これに対し、国軍総司令官ンドゥリザウナは、「わたしには関係の無いことだが、調査結果が既にまとめられているならばこれを公表しない理由はない」と述べる。
3月4日、ラヴァルマナナ前大統領の治安部隊に対する資金提供疑惑に関する調査結果の24時間以内の公表を要求したフォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊のアンドゥリアンザフィ憲兵隊中佐は、「われわれの要求の刻限を過ぎたものの、調査結果の公表は未だなされていない。われわれは事態の進展を見守るため、明日土曜日まで回答を待つ」と述べる。
3月5日、憲兵隊担当閣外相ラヴァルマナナ、<反汚職局>(BIANCO)事務局長ラベラントゥ(Faly Rabetrano)、憲兵隊司令官ラザフィンドゥラクトゥの3名が、フォー・ドゥシェン駐屯地を訪れ関係者と会談を行った後、ラヴァルマナナ前大統領の治安部隊に対する資金提供疑惑に関する調査結果の24時間以内の公表を要求しているフォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊のアンドゥリアンザフィ中佐が、「しばらく、公表を求める活動を中止する」と発表する。憲兵隊担当閣外相ラヴァルマナナは、「行政当局による調査結果はまとめられたが、司法的調査が残っている」と述べる。アンドゥリアンザフィ憲兵隊中佐は、調査結果の公表は引き続き求めてゆくと語る。
3月8日、フォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊による、2009年の紛争中におけるラヴァルマナナ前大統領からの治安部隊への資金提供の疑惑を持たれている、ラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官は、自らの辞職要求について、これを拒否する会見を行う。憲兵隊担当閣外相ラヴァルマナナは、ラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官の辞任について、肯定も否定もすることを拒否する。
3月9日、フォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)の司令官ザフェーラ(Viennot Zafera)が、辞任を発表。
<憲兵隊出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊のアンドゥリアンザフィ憲兵隊中佐は、「われわれは、憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥが辞任するまで、公表要求を続けてゆく」と述べる。また、暫定政権首相ヴィタルが、マハズアリヴ地区にある首相官邸に、ラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官を除く、50人ほどの憲兵隊の要職者を集める。この会合について、出席者たちは、憲兵隊内部での現在の地位と職を安堵されたと言われる。
3月10日、憲兵隊担当閣外相ラヴァルマナナが、「憲兵隊司令部に対する圧力的要求は、終結した。今後とも抗議活動を継続するならば、制裁処分を課す」とフォー・ドゥシェンの憲兵隊駐屯地において述べる。この結果、ラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊司令官とザフェーラ<憲兵隊出動部隊>(FIGN)司令官の留任が決定する。
3月12日、フォー・ドゥシェンに駐屯する<憲兵隊出動部隊>(FIGN)の関係者は、「われわれは憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥの辞任を要求してゆく」と述べる。
月13日、辞任問題が取り沙汰されているラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官が、ヴァトゥヴァーヴィ・フィトゥヴィナニ(Vatoavy Fitovinany)地方に派遣された政府の代表団の一人として大衆の前に姿を見せる。
3月20日、公安省大臣ラクトゥミハンタリーザカ(Organès Rakotomihantarizaka)が、<市警察>(la police communautaire)を設置することを明らかにする。<市警察>は、警察幹部によって各フクンターニ(fokontany)辺り30人がこの職に任命され、バッジが支給される。
3月25日、憲兵隊が、<作戦室>(Cellule tactique)開設一周年を祝う集まりを開催し、その席上、出席したラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官に対し、アンドゥレファナ・アツィーム(Andrefana-Atsimo)地区憲兵隊司令官から感謝の言葉が奉げられる。
3月26日、<国防軍事評議会>(略称CMDN)が、アンブヒツルヒチャにおいてラズエリナ暫定政権大統領と会談を行った後、「われわれは、国防と治安の問題について複数の提言を行ったが、それらは真剣に取り上げてもらえなかった。ある種の事態のもとでは、われわれの有する能力では、命令に従って行動できない」と述べ、20日に公安省大臣ラクトゥミハンタリーザカが、<市警察>を設置することを明らかにしたことに対し、不快感を表明する。
3月27日、20日に公安省大臣ラクトゥミハンタリーザカが設置を明らかにした<市警察>について、準備委員会が、その果たすべき事柄としてはならない事柄、双方の義務についての規定を発表する。また、アンタナナリヴ市が、<市警察>設置のモデル都市となるべきことも明らかにされる。
3月30日、軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナが、この4月3日にアンパリベ(Ampalibe)地区において軍人会合を開催することを明らかにした上で、「これは断じて、クーデター等の話し合いではない。ラズエリナ暫定政権大統領を助け、この危機の解決策を見出すために軍人会合を開催することは、私の権利である」と述べる。
4月2日、<緊急出動部隊>(FIS)の指揮官の一人アンドゥリアナスアヴィナ(Charles Andrianasoavina)が、「アンブヒツルヒチャの大統領官邸を占拠し、政権奪取を宣言する」クーデター計画の情報を入手したとの警報をアンブヒツルヒチャの大統領官邸に対し伝えたことを明らかにする。これにより、FISの部隊が、アンブヒツルヒチャ地区からアンタニナレーニナ(Antaninarenina)地区一帯に展開する。しかし、アンドゥリアナスアヴィナ憲兵隊指揮官は、「計画については把握している」とだけ述べ、その首謀者等の名前については明らかにしなかった。一方、公安大臣ラクトゥミハンタリーザカは、これについて「このような非常事態を引き起こすような余地はない。われわれは常にかかる非常事態に対処する用意ができているため、心配する必要はない」と述べ、クーデター計画の存在を否定する。
4月3日、暫定政権の公安・国防委員会委員長のラマルスン(Alain Ramaroson)が、アンタナナリヴのアツィムドゥラヌ(Atsimodrano)地区における<市警察>の結成式典を行う。
4月6日、暫定政権の指導者層の中で軍務大臣の更迭が議論されているとの報道に関し、軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナ自身は、「そのようなことは一切聞いていない」と報道内容を否定する。また、憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥも、「軍務大臣はクーデターを計画するような意図は持っていない」と述べる。一方、国軍総司令官のンドゥリザウナがアンブヒツルヒチャの大統領官邸でラズエリナ暫定政権大統領と直接会談し、憲兵隊司令官たちはアンドゥレファ・アンブヒザナハリ(Andrefan’Ambohijanahary)地区にある憲兵隊駐屯地で会合を行い、軍の指揮官たちもアンパヒベ(Ampahibe)地区にある軍務省内で会合を開催する動きが終日にわたり見られた。憲兵隊指揮官たちの会合は7日も行われ、そこではラズエリナ大統領を支持する解決策について話し合われている模様。
4月7日、4月7日付け2010-187政令に基づき軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナを更迭したことを、マハズアリヴ地区にある首相官邸において、ヴィタル暫定政権首相が発表する。更迭後の措置としてヴィタル暫定政権首相自身が、軍務大臣を兼任することになる。
4月8日、7日に暫定政権によって更迭された軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナが、離職することを拒否し、「誰も私に更迭の件を知らせてきていない。会合を開催するたびにクーデターの扇動者と決めつけられる危険性が、現在はある。現実に、事態はつい一年前と似てきている。このままでは、危険はさらに増大するであろう。また、ヴィタル首相が大臣の交代を望むならば、彼自身が私から権力をとり上げに来るべきである」と述べ、暫定政権を厳しく批判する。憲兵隊の指揮官たちは、8日と9日も、アンドゥレファン・アンブヒザナハリ地区やフォー・ドゥシェン地区の駐屯地で会合を重ねている。アンブヒツルヒチャで開催された閣僚会議において、暫定政権首相兼軍務大臣のヴィタルの階級を、准将に昇進させることが決定される。暫定政権首相兼軍務大臣ヴィタルは、2009年に開催された軍人会合の決定を実施するための特別委員会を設置したことを公表する。
4月10日、フィアダナナ(Fiadanana)地区に駐屯する第1支援通信連隊(1er RTS)において、国軍総司令官ンドゥリザウナおよび憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥの主宰により、軍と憲兵隊の高官100人くらいが出席した会合が開かれる。この会合において、軍と憲兵隊は、暫定政権幹部に対し、国際社会が認める危機の解決方法、すなわち和解のための話し合いの席に就くことを求めてゆく共同の意志を確認する。これにより、12日大統領官邸において、ラズエリナ暫定政権大統領と軍・憲兵隊高官との会談が開催される予定。8日のアンブヒツルヒチャの大統領官邸における閣議において、公安・国防委員会委員長ラマルスンが進めてきた<市警察>の計画について、それにかかわる法的裏付けが一切ないことが問題視された結果、公安大臣ラクトゥミハンタリーザカが、<市警察>の設置を、首都アンタナナリヴのイストゥリ(Isotry)、アンダヴァマンバ(Andavamamba)、ベサレッティ(Besarety)、イタオゥシ(Itaosy)の4地区におけるモデル事業に留めることを発表する。
4月12日、イアヴルハ地区にある国民宮殿において、ラズエリナ暫定政権大統領と軍および憲兵隊の高官たちが会談を行う。午後、スアニエラナ(Soanierana)地区にある駐屯地において憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥを伴って国軍総司令官ンドゥリアリザウナが会見を開き、4月末日までに、国際社会も認める選挙を実施する暫定移行体制を樹立し、この政治的危機解決についての道筋を示すことを暫定政権に対し求めたことを明らかにする。2009年9月に16の分隊を<緊急出動部隊>(FIS)に再統合して以来続いていたアンドゥリアナスアヴィナ(Charales Andrianasoavina)中佐とリリスン(René Lylison)中佐との確執が表面化し、この件をめぐりアンドゥリアナスアヴィナ中佐が、アンバトゥベ(Ambatobe)地区の私邸において、ラズエリナ暫定政権大統領と会談する。
4月13日、更迭された前軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナが、14日、マハズアリヴ地区にある首相官邸に出向き、権限移譲について暫定政権首相兼軍務大臣のヴィタルと話し合うことになる。
4月14日、首相官邸において、ラヴェルマナナ憲兵隊担当閣外相、ラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官、ンドゥリアリザウナ国軍総司令官立会のもと、更迭された前軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナから首相兼新軍務大臣ヴィタルへの権限移譲と引き継ぎの式典が行われる。
4月18日、リリスン大佐と暫定政権治安・国防担当委員長のラマルスンに率いられた<緊急出動部隊>(FIS)が、マハズアリヴ地区にある首相官邸襲撃計画の情報を入手したとして、セサール(César)中佐、ラベザンドゥリ(Rabezandry)中佐、ラマンバスン(Ramambason)少尉などの士官を含む18人を逮捕する。<緊急出動部隊>の指揮官は、ラヴァルマナナ前大統領に近いルドルフ(Rodolphe)曹長が、この襲撃計画参加者に対し一人4万ariaryの日当を支払っていたと述べる。しかしながら、暫定政権治安・国防担当委員長のラマルスンは、ラヴァルマナナ前大統領からこの襲撃計画の命令が発せられたか否かについて明言を避けた。
4月19日、<憲兵隊出動部隊>(FIGN)の司令官ザフェーラが、フォー・ドゥシェン駐屯地において、「日曜日、国軍総司令官(CEMGAM)から警報が伝達された際、責任者たちに対し武器庫をすぐ使用できるよう準備を命じたことが、FIGNがクーデターに参与していると誤って伝えられた。FIGN所属のいかなる部隊もこのような企てには、一切係わっていない」とクーデターへの関与を公式に否定する会見を行う。クーデター未遂事件関係の逮捕者は21人になり、その内訳は、中佐2人、少尉1人、曹長2人、民間人16人になっている。当初からクーデター計画への関与が疑われているFIGN所属のランドゥリアンザフィ中佐は、18日は家族と出かけており18時半まで首都アンタナナリヴには居なかったと述べるものの、関係筋は中佐の逮捕に向けた準備が進められていると述べる。ラヴァルマナナ前大統領が、「私は民主主義者の側に立つものである」との声明を発表し、クーデター未遂事件への関与を否定する。
4月26日、暫定政権によって更迭された軍務大臣ラクトゥナンドゥラサナが、アンドルライナリヴ(Andrainarivo)地区にあるHotel Panoramaで会合を開催し、あらゆる分野についての助言および政府計画実施の監視、国内におけるあらゆる不測の出来事についての調停を役割とする軍人と民間人9人から構成される<倫理・調停複合最高評議会>(略称CSMME)を樹立するべきとの自らの計画案に対する政府からの回答を待っていることを明らかにする。
4月27日、4月18日にクーデター未遂事件に係わった容疑で逮捕された21人の予備審理が、アヌシ地区にある裁判所内の検事局において公開で3時間に渡って行われる。この結果、3人は仮釈放され、残る18人はツィアファヒ(Tsiafahy)地区にある治安部隊施設内の拘置所に送致される。
4月29日、4月12日に、憲兵隊と軍の高官たちが、暫定政権に対し4月末日までに国際社会も認める選挙を実施する暫定移行体制を樹立し、この政治的危機解決についての道筋を示すことを求めた最後通牒に関連し、軍の責任者たちは4月30日に、憲兵隊の責任者たちは5月2日に会合を開催する予定。
同日、正午頃、アンタナナリヴ市内のCAPSAT連隊の駐屯地において、治安活動出動手当が支払われないことに不満を持った兵士たちが、車両1台を破壊するが、午後1時頃に、問題の手当てを支払うことで事態が沈静化する。
5月1日、マプトから帰国したラズエリナ暫定政権大統領は、「48時間以内に、声明を発表する。3日月曜日に、軍部と会談を行い、第四共和制に向けたより良い方策について決定する」と述べる。
5月2日、関係筋によれば、4月末日までに政治的危機解決の道筋を示すことをラズエリナ暫定政権大統領に求めた最後通牒について、軍と憲兵隊幹部たちが3日にラズエリナ暫定政権大統領と直接会談し、彼の危機脱出のための提案を聴取した上で、決断することになる。
5月3日、アンブヒツルヒチャの大統領官邸における記者会見においてラズエリナ暫定政権大統領が、選挙による本格政権誕生まで、軍人と専門家から成る<中立政権>を組織することを発表する。イアヴルハ地区にある国家宮殿において、ラズエリナ暫定政権大統領と軍・憲兵隊の幹部たちが直接会談を行う。その席上、ラズエリナ暫定政権大統領は、<中立政権>の構想を明らかにした上で、移行政権に向けた軍と憲兵隊の支持を要請したのに対し、軍と憲兵隊の幹部たちは、支持のための前提条件を提示。提示された前提条件に対するラズエリナ暫定政権からの回答を待って軍と憲兵隊は態度を決定することになり、5月4日に再度、両者が直接会談を行うことで合意する。
5月4日、予定されていたラズエリナ暫定政権大統領と軍・憲兵隊幹部との会談は、軍・憲兵隊側からの申し出により延期される。軍・憲兵隊側は、ラズエリナ政権に協力する条件の提示について検討する会合を重ねている。具体的な協力のための条件としては、1)新しい暫定政権内閣の大臣ポストの半分を軍人側に配分すること、2)地方県知事と特定の市長の任免権を軍人側に付与すること、3)暫定政権関係閣僚の選挙への立候補の禁止、などが挙げられている。首都アンタナナリヴのフォー・ドゥシェンに駐屯する憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊の下士官たちが、あらゆる政治勢力を含み市民も参加した<軍事評議会>を樹立することを求める声明を発表する。下士官たちは、「移行政権の運営において単独政権路線を回避するためには、軍と憲兵隊が責務を果たす以外の解決策はもはや無くなった」と述べる。これに対し、暫定政権憲兵隊担当閣外相ラヴェルマナナは、「これは上官の許可を得ていない政治的声明である。この問題について、ただちに捜査を開始する」と述べる一方、憲兵隊総司令官ラザフィンドゥラクトゥは、「フォー・ドゥシェン駐屯地で起きた事柄は、さほど驚くべきことではない。当該管轄域所属の憲兵隊各部隊の団結について、問題は全く生じていない」と述べる。
5月5日、午前、アンブヒツルヒチャの大統領官邸において、ラズエリナ暫定政権大統領とンドゥリザウナ国軍総司令官とラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官とが、2時間にわたり会談を行う。両者の間で、軍民政権を樹立することで合意に達する。
5月6日、アンドゥハル(Andhohalo)地区においてンドゥリザウナ国軍総司令官とラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官が、「軍は市民の役割を果たす。市民として、軍は制度的裏付けはないが、政府をまとめてゆく」と述べ、5日のラズエリナ暫定政権大統領との会見における軍民政権樹立の合意について、正当化する。
5月4日にフォー・ドゥシェンに駐屯する憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属の複数の部隊の下士官たちが、あらゆる政治勢力を含み市民も参加した<軍事評議会>を樹立することを求める声明を発表した事柄に関し、FIGN総司令官ザフェーラが、アンドゥリアンザフィ中佐を作戦指揮官の任から更迭し、新しい指揮官を任命した処分を発表する。一方、声明を発表した下士官たちに対する処分はなしとして取り計らわれる。
5月7日、アヌシ地区において、国家警察長官ラクトゥンドゥラツィマ(Désiré Jonhson Rakotondratsima)が、「我々は、軍・憲兵隊と全ての路線について一致している。我々は、軍と憲兵隊の決定について、これを完全に支持するものである」と述べ、5日にラズエリナ暫定政権大統領と国軍総司令官・憲兵隊総司令官との間で合意された軍民政権の樹立に加わることを表明する。
5月10日、軍民政権樹立のため、ラズエリナ暫定政権大統領が行った内閣ポストの提供を軍が公式に辞退した結果、マナカナ(Sylvère Manakana)将軍が、ヴィタル首相が現在兼任している軍務大臣ポストに有力視されている。省庁上級公務員が作る市民組織が、憲兵隊関係者を内務大臣ポストに就けることに強く反対し、11日にアヌシ地区で座り込みの示威行動を行う予定。
5月13日、退役した軍の上級指揮官たちが、危機脱出において軍が果たす役割の重要性に鑑み、軍の位階秩序の遵守を監視するための軍組織を樹立するため、臨時の委員会を立ち上げることを発表する。5月19日、午後6時頃、Fort-Duchesneに駐屯する憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属の各部隊が、駐屯地周辺の道路にバリケードを築き、通行人および車両の検問を行う。この行動について、FIGN所属の指揮官は、「午後5時半頃、駐屯地の電気が切断され、駐屯地への攻撃がなされるとの噂が広まった。そのため、通行する人と車両に対する検問の命令が出された」と述べる。また、5月4日に首都アンタナナリヴのFort-Duchesneに駐屯するFIGN所属の複数の部隊の下士官たちが、あらゆる政治勢力を含み市民も参加した<軍事評議会>を樹立することを求める声明を発表した事柄に関しFIGN総司令官ザフェーラによって5月6日にFIGN作戦指揮官から更迭されたアンドゥリアンザフィ中佐は、「我々の入手した情報によれば、我々への攻撃が、近日中に行われるとのことであり、我々は一昨日から、攻撃に備えている。今日19日になって、その脅威はより増大している」と述べる一方、「FIGNは、いかなる対象についても、自分たちから攻撃をしかけることは無い」とも語る。事の起こりは、2009年の政争中に軍や憲兵隊に対し、ラヴァルマナナ前大統領から5億ariaryの資金提供が行われた疑惑について、政府の調査が行われたものの、現在に至るまで、司法的調査も法的処罰も成されていないことついて、FIGN所属の部隊の士官たちが、調査結果の公表を求めたことに遡る。フォー・ドゥシェンのFIGN憲兵隊駐屯地のある丘の周囲には、軍務省(国防省)および国軍の4連隊の駐屯地があり、これらの国軍の各部隊に対して、警戒態勢が発令される。
5月20日、早朝、アンドルライナリヴ(Andrainarivo)地区にある共同慰霊碑前に、改革FJKM教会が中心となって進める<キリスト教聖職者運動>の呼びかけに応えて人びとが集まり、そこにフォー・ドゥシェンに駐屯する憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属の一部兵士が護衛のため合流する。午前8時半頃、FIGN指揮官のザフェーラが集会の現場を訪れ、憲兵隊員たちの無断行動を非難するものの、効果無く、すぐにその場を離れる。午前9時頃、<治安部隊>(Emmo/Reg)の車両が共同慰霊碑の前を取りかかったことをきっかけに、FIGN総司令官ザフェーラによって5月6日にFIGN作戦指揮官から更迭されたアンドゥリアンザフィ中佐が指揮するFIGN一部部隊の隊員たちが発砲を始め、軍<特別出動部隊>(FIS)との間での銃撃戦が始まる。その後、FIGNの反乱部隊は兵営に戻り、4時間にわたり、アンドゥリアンザフィ中佐がラザフィンドゥラクトゥ憲兵隊総司令官の副官の一人マナンカイ(Augustin Manankay)と会い、交渉に入るためのやりとりを重ねるものの決裂。午後4時40分頃から、今度は軍隊側がFIGN所属の一部反乱憲兵隊に対し、銃撃を始める。午前中とは逆に、この銃撃戦においては、FIGN側の隊員が21人と少数であったのに対し、軍のFIS側は600人の人数を動員する。20日一日の銃撃事件によって、憲兵隊員、兵士、FJKMの牧師、市民の間に、死者4人、負傷者15人が生じる。ヴィタル暫定政権首相は、衝突がおさまった夕刻になり、アンパヒベ地区にある国防省内における記者会見において、首都とその周辺における治安を維持するために必要なあらゆる措置を講じることが急務であることを強調した上で、「私は、第四共和制への移行に敵対する複数の政治勢力によってたくまれた今日の介入と策謀であることを強調する」と述べる。
5月21日、アンドゥリアンザフィ中佐が、今回の憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)と軍の<特別出動部隊>(FIS)との間での銃撃事件の首謀者として逮捕される。アンドゥリアンザフィ中佐は、5月4日に首都アンタナナリヴのフォー・ドゥシェンに駐屯するFIGN所属の複数の部隊の下士官たちが、あらゆる政治勢力を含み市民も参加した<軍事評議会>を樹立することを求める声明を発表した事柄に関連しFIGN総司令官ザフェーラによって5月6日にFIGN作戦指揮官から更迭されている。ラヴァルマナナ・アンタナナリヴ地区憲兵隊司令官が、20日のFIGNとFISとの間の銃撃事件について、ラヴァルマナナ前大統領派の政治家1人の関与の容疑があることを明らかにする。
5月22日、これまでに、20日のFIGNとFISとの間の銃撃事件に関連し、フォー・ドゥシェンに駐屯する憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)所属の士官3人、下士官4人が拘束されて軍施設に留置されると共に、ラファヌネランツア(Valisoa Lilia Rafanonerantsoa)牧師がアンタニムーラ地区にある刑務所における留置許可状を執行される。
5月24日、暫定政権首相ヴィタルによって内閣改造が行われる。31名の閣僚の内10人の新閣僚が任命され、その内の5名は軍関係者から選出される。
5月26日、国家秩序の撹乱、市民の扇動、殺人などの容疑により、<憲兵隊緊急出動部隊>(FIGN)の元作戦指揮官アンドゥリアンザフィ中佐とその共犯者、合計16名の憲兵隊員、内士官6名、下士官6名、その中の2名はFIGN司令官ザフェーラの側近、が拘留令状に基づきTsiafahy地区にある軍施設において取り調べを受ける。彼らは有罪と判決されれば、死刑の可能性もある。
6月3日、アヌシ地区の裁判所において、5月20日のFIGNとFISとの間での銃撃事件に関連して逮捕されツィアファフィ地区にある軍施設内に留置されている憲兵隊アンドゥリアンザフィ中佐の予審審理が行われる。


4.単独政権路線と排外主義的ナショナリズム

2009年5月8日、<南部アフリカ開発共同体>(SADC)、アフリカ連合、EU、アメリカが、暫定政権は「合法的政権の回復」に取り組むべきであると非難したことに対し、アンブヒツルヒチャの大統領官邸においてラズエリナ自身が、「独裁と濫用に戻るべきではない」と反論する。
5月11日、政権を非難してきた在マダガスカル・アメリカ大使 Niels Marquardtに対し、暫定政権首相のロワンデフが名指しで、「この年末までに選挙を行うべきだと主張し、混乱の種を蒔いてきた。あなたが喜ぼうが喜ぶまいが、決定するのは、私たちマダガスカル人だ。あなたがこの声に逆らい続けるならば、マダガスカルを去った方が良い」と厳しく反論する。
11月30日、アンブヒツルヒチャの大統領官邸において、ラズエリナ暫定移行大統領が、12月3日・4日にマプトで予定されている組閣問題話し合いのための四者会談には行かないことを公式に明らかにする。その理由としてラズエリナは、1)現在交渉の段階は終わり、暫定移行政権の樹立と始動の時期であること、2)内閣の組閣と言う国内問題を、海外で話し合うことは恥ずかしい、3)他の三派閥がマプトに行くことを阻止することはできないし、もし他の三派閥がマプトに行くならば、ラズエリナ側はテレビ会議システムを用いて、問題について討議することができる ことを挙げる。
12月2日、ディエゴ・スワレスでの落成式に出席したラズエリナ暫定移行大統領が、「自国の政府の問題を海外で話合うことは、マダガスカル国民にとって恥ずかしいことだ」と述べ、重ねてマプト第3回会談に臨むことの拒否を明らかにする。
12月30日、暫定政権財務・予算大臣が、本来は国民議会による承認の必要な2010年予算案が、国民議会が開催されないままラズエリナ暫定政権大統領令により採択されたことを発表する。暫定政権財務・予算大臣は、「2010年の歳入は、2009年に比べ20%減少する見通しである。国際社会からの財政的援助が必要であるが、2009年同様、それが無くても国家運営は可能である」と述べる。
2010年1月7日、1月6日のアジスアベバにおける<マダガスカル関係国団>(GIC)の会議結果について、ラズエリナ暫定政権大統領特別顧問が、「我々にああしろこうしろと言うのは、国際社会やアフリカ連合議長のJean Pingの係わることではない。我々は主権国家であり、現状から抜け出す道を見出すのは、我々マダガスカル人である。一番重要なことは、GICこそが一連の選挙を認めることである」と述べる。
2010年1月8日、イアヴルハの大統領執務室において、暫定政権主宰の新年祝賀会が開催され、その席上ラズエリナ暫定政権大統領は、合意・包括路線を強調する1月6日も<マダガスカル関係国団>(GIC)の決定に対し、新憲法採択のための憲法議会を選出する国民議会議員選挙を3月20日に実施する路線を堅持することを明らかにする。
2月17日、ラズエリナ暫定政権大統領が、「5月の選挙日程については、交渉に応じる用意がある。また、選挙の実施と共に、<暫定支配最高評議会>(略称CSCT)の樹立を行う」と述べる一方、「これからの提案が拒否された場合には、われわれは個人的な制裁措置を恐れるものではない」とも語る。
2月24日、24日に新たに暫制政権の外務担当副首相に任命されたラマルスン海軍中将が、<マダガスカル関係国団>(GIC)が求めるマプト合意条項・アジスアベバ付帯条項に従った暫定移行体制には戻らないことを表明する。
2月27日、暫定政権首相ヴィタルが、国際社会による制裁も暫定政権の意気を喪失させることはできず、これと対決してゆくことを明らかにする。
3月15日、滞在先のマジュンガで首相のヴィタルは、「行動方針は、5月に予定されている選挙だ。危機解決は、われわれマダガスカル人の側にあり、もはやマプトにはない。一連の選挙のための資金は、国庫によって保証されている。ブエニ(Boeny)地方県知事が述べたように、われわれは緊縮政策を実施してきた」と述べる。
3月22日、19日付の在マダガスカル・アメリカ大使の発言に対し、暫定政権副大統領が、「各国国民自治の原則に基づき、われわれは、マダガスカルの国政に干渉するならば、特定外国人に対し、慣例通りの手段を行使することをためらうものではない。互恵主義手段に従い、われわれ政府を制裁する外交的手段に対しては、対抗手段をとることになろう」と述べる。
5月19日、治安部隊によって5月15日に検挙されたフランス国籍を持つ人間との収容先におけるフランス大使館関係者による面会を求めた件について、外務担当副首相ラマルスンは、在マダガスカル・フランス大使を、マダガスカルの内政に対する不当な干渉であると非難する。


5.国家秩序の混乱と治安の悪化

2009年4月8日、政治からの独立性を求めると共に、紛争中の中央銀行からのラヴァルマナナによる金の引き出しの責任追及を拒否し、マダガスカル中央銀行の職員たちが無期限ストライキに突入。
4月21日、ラズエリナ暫定政権首班特別顧問ラツィラフナナの私邸が襲撃される。数日前には、ラヴァルマナナ政権時代の元首相ジャック・シラーの私邸も正体不明の武装集団に襲撃される。
4月23日、フランスに向かったラズエリナ夫人、イヴァトゥ空港で誘拐未遂事件に遭う。
5月29日、アンタナナリヴ大学医学部学生、CNaPS(国家共済組合)の職員が、ストライキを実施。タマタヴ大学の学生たちが、停電の解消、寮部屋の公正な配分、修士論文の新基準の見直しなどを求め、ストライキとデモを行う。
6月10日、新任税関長の更迭を求める税関職員のストライキが一週間続き、タマタヴ港の輸出入業務がストップする。財務大臣が、アンタナナリヴの税関職員と会談し、ストライキの理由とその解決策について話し合う。ラズエリナ暫定政権首班が、新たな人事を約束してストライキが終息する。
6月15日、夕刻、タンズンバトゥ(Tanjombato)地区にあるスーパーマーケット内で手製の爆発物が爆発。死傷者はなかったものの、爆発物を持ち込んだ男性犯人は検挙されておらず、捜索が行われている。
6月26日、12時15分頃、独立記念式典が開催されたマハマシナ地区の陸上競技場近くのごみ箱で手製爆弾が爆発。威力は弱く、死傷者なし。
7月18日、午後11時半頃、手製爆弾を運搬していたプジョー104がアンブヒバウ(Ambohibao)地区で誤爆、運転手1名が即死、同乗者3名が負傷、内2名重態。憲兵隊の監視の下、入院措置となる。また土曜日午前2時半頃、カラシニコフ銃などで武装した20人ほどの人間が、Tana Water FrontおよびVIVAラジオ局などを襲撃し、ガードマン2人を射殺する。
7月23日、午前8時頃、アンブヒツルヒチャの大統領官邸近くの階段に、手製爆弾が仕掛けられているのが発見される。軍の爆発物処理班が出動し、これを撤去する。
7月26日、午前10時頃、ベトゥングール(Betongolo)地区の国防省の近くで、手製爆弾が爆発し、女の子一人が軽傷を負う。午後1時半頃、アナラマヒーツィ(Analamahitsy)地区のフクンターニの事務所近くで、手製爆弾が発見される。
7月31日、マジュンガ大学で、キャンパスの市内への移転を決定したものの費用の面でアアアンブンドゥルナ(Ambondrona)地区のキャンパス施設の使用を続ける学長の辞任を求める学生と、憲兵隊が衝突。十数人の学生が負傷、8名の学生が一時拘束される。
8月11日、午前8時頃、イヴァト市近郊でダイナマイトが爆発し、男性1名が重傷。同じく午前8時頃、ベサレッティ地区の路傍で不審物が発見され、軍の爆発物処理班が出動し、撤去する。
9月15日、午後8時頃、アンタニナレーニナ地区に停車していた警察車両に対し、手榴弾ないし手製爆弾が投擲される。車1台が破壊されたものの、死傷者なし。
9月22日、給与をめぐり、フィアナランツア市の公務員がストライキを行う。
9月23日、アンカズミリウチャ(Ankazomiriotra)の市場の近くで、昼間、手榴弾が爆発。2名死亡、11人負傷。通行人が見つけた手榴弾をいじっている内に爆発したもので、手榴弾を誰が置いたのかは不明。
2009年1月以来、これまでに国道上で19件のタクシ・ブルース等を襲う強盗が発生したことを、憲兵隊が発表。
12月3日、19時15分頃、イヴァト空港にラズエリナ暫定移行大統領を出迎えるため移動していた大統領専用車の車列に、アンブディミタ(Ambodimita)とアンブヒマナーリナ(Ambohimanarina)地区の間で、銃弾が一発撃ち込まれる。死傷者なし。犯人は不明。
12月9日、タマタヴ大学で、奨学金の増額を求める学生たちがデモを行い、一部の家屋に火がかけられる。イヴァト空港で、海外から輸入された荷の中から、不法に輸入された143丁の猟銃が見つかったことを、警察、憲兵隊、軍が明らかにする。
12月11日、午前9時半、首都アンタナナリヴのマルフク・ツィンバザザ(Marohoko-Tsimbazaza)地区にあるBank of Africa(BOA)の支店を、ピックアップタイプの四輪駆動車に乗り武装した4人組が襲撃、1400億アリアーリを強奪する。
2010年1月12日、医療従事者職員組合は、俸給体系の見直しを求めストライキを含む抗議行動を無期限に行うことを発表する。
1月14日、医療従事者職員組合による「最小限の活動」の抗議活動が続き、入院患者に対する治療に問題は生じていないものの、医療機関では午後医師による診療などが行われない状況となっている。
1月19日、医療従事者職員組合は、その抗議行動を強化し、救急患者以外の受け入れや診察を行わず。ラズエリナ支持派の共闘組織である<2010年の挑戦>では、3月20日の国民議会議員選挙において候補を一本化する合意に至らず。アンタナナリヴのアンバトゥミツァンガナ(Ambatomitsangana)地区にある暫定移行議会議長(ラヴァルマナナ派)の私邸に、火炎瓶が投げ込まれる。
1月20日、積み荷を盗んだ疑いで税関吏が警察によって尋問されたことに対し抗議すると共に、2005年に汚職一掃キャンペーンによって廃止された関係大臣の許可なしに税関吏を逮捕することができないと言う条項の復活を求め、タマタヴ港の税関吏がストライキを行う。
1月22日、保健省の医療従事者組合のストライキが、チュレアール市内の病院にまで拡大する。
2月2日、医療従事者組合のストライキが続き、救急搬送患者の処置にも支障が生じ、国立の総合病院の機能がマヒしている。
2月8日、<トゥアマシナ自治港湾会社>(SPAT)が、退職年金基金公社に対し2009年度分1400万ariaryを支払うべきであるとの判決を、第一審で下される。これに対しSPATに所属する13の労働組合が反発し、1400万ariaryを支払うならば、港湾作業を放棄するストライキを実施すると述べる。医療従事者組合のストライキが続き、Joseph Ravoahangy総合病院(HJRA)では、一部患者の家族たちがストライキに対する抗議行動を行う。
2月10日、チュレアール市の職員組合が、2009年10月に続き、賞与や手当の支払いを求め、再度ストライキを行うことを明らかにする。
2月18日、アンブヒツルヒチャの大統領官邸において、ラズエリナ暫定政権大統領とストライキを行っている医療従事者の組合の代表者30人とが初の直接会談を行う。会談の内容の詳細について発表されていないものの、財務・予算省の関係者も含め問題解決のため今後協議を続けてゆく予定。
2月19日、医療従事者組合の代表者たちが記者会見を行い、18日のラズエリナ暫定大統領との会談結果を不満とし、22日月曜日から全国の公立病院で一斉にストライキに入ることを明らかにする。
2月22日、全国医療従事者のストライキが始まるが、大きな混乱はなし。Joseph Ravoahangy総合病院(HJRA)では、インターン学生もストライキに参加したものの、入院患者の日常の医療行為は通常通り行われている。
2月24日、エネルギー大臣が、JIRAMA(電力・水力公社)のタマタヴ支社において2007年以来これまでに40億ariaryの銀行職員と結託した従業員による公金横領が明らかとなり訴追したことを発表する。
3月1日、26日以来治安部隊によってストライキ関係者9人が拘束されたことを、<マダガスカル医療従事公務員組合>の関係者が明らかにし、病院内におけるストライキを強化してゆくことを宣言する。警察関係者は、これらの人間について事情聴取を行っていることを認める。この問題について、保健担当の政府関係者は、両者での交渉が継続されていると述べる。
3月2日、警察に拘束されていたストライキ関係者9人を釈放させると共に、Joseph Ravoahangy病院に赴き、ストライキ関係者と4時間に渡り会談を行う。ストライキ関係者は、保健担当副首相に対し、ヴィタル暫定政権首相にこれ以上ストライキ関係者を逮捕しないよう要請することを求める。しかしながら、問題は依然解決せず、ストライキは継続される。マジュンガのアンドゥルーヴァ(Androva)大学病院センターおよびマハビーブ(Mahabibo)地区のCSBにおいても、医療従事者によるストライキが始まる。ストライキ関係者は、「このストライキに政治的性格は全くない。われわれの俸給を、第3カテゴリーから第5カテゴリーに変更して欲しいと言う要求だ。これは、既に2009年の5月に大統領府官房長官が約束したことであり、われわれはその実行を求めているにすぎない」と述べる。
3月4日、2日に保健担当副首相が、Joseph Ravoahangy病院でストライキ関係者たちと話し合いを行った際、ストライキ関係者と省庁の関係担当者の二者によって問題解決のための委員会を組織することで合意したものの、ストライキ関係者から指導者たちが委員として選出されなかったことに不満を募らせ、医療従事者組合は、ストライキを強化する方針を打ち出す。
3月9日、2009年10月に当時のロワンデフ暫定政権首相が、400万FMGの研究費を各教員に約束したにもかかわらず、現在に至るまでそれが果たされないだけではなく、2010年2月9日の決定により150万FMGに引き下げられたことに対し、約束の履行を求め、<高等教育教員研究者組合>(SECES)によるストライキが、アンタナナリヴ大学で拡大する。
3月10日、奨学金の増額を要求する学生のストライキがアンタナナリヴ大学で実施されるものの、大半の学生は授業に出席。
3月25日、アンタナナリヴのJoseph Ravoahangy病院やベフェラタナナ(Befelatanana)の国立病院において、医療従事者たちがほとんど出勤しない事態に陥る。医療従事者組合関係者と公衆衛生担当副首相や大統領顧問との話し合いが行われるものの、組合が要求の受け入れを求めているため、ストライキ解除の合意には至っていない。
3月26日、医療従事者組合のストライキについて、看護師たちは「急患を除き、一切の仕事をしない」との最後通牒を突きつけた一方、医師団は、「今日、保健省関係者と会談した結果、待遇改善要求行動を止めることで双方合意した」と述べる。
3月29日(1947年反乱記念日)午後、ラズエリナ暫定政権大統領がアンタナナリヴ市内のアンブヒザトゥヴ(Ambohijatovo)地区にある1947年反乱の記念碑に献花を行うが、その花はラズエリナが立ち去った後、<マダガスカル運動>(mouvance Madagascar)派の人びとによって踏みにじられる。また、ラヴァルマナナ前大統領、ラツィラカ元大統領、ザフィ・アルベール元大統領の三派も献花を行うが、これらの花束はラズエリナ支持派の人びとによって踏みにじられる。献花式典の最中、アナラケーリ地区に集まった<マダガスカル運動>派の群衆を、治安部隊が催涙弾を発射して解散させる。
3月30日、理工科学校(polytecnique)の学生たちが全学集会を行い、高等教育・科学調査大臣の奨学金を10%増額するとの回答を検討した結果、現在1年に9ヵ月支給されている奨学金を12ヵ月支給することを求め今後行動してゆくことを決議する。アンブヒツルヒチャの大統領官邸において、ラズエリナ暫定政権大統領、暫定政権首相、大統領特別顧問、財務・予算大臣、保健衛生担当副首相が、医療従事者のストライキ関係者7人と会談を行う。会談の結果について、公式の発表はなされておらず、31日もストライキが継続されるか否かについては不明。
4月2日、この3月29日のアンブヒザトゥヴ地区における1947年反乱を記念する献花式に際しての騒乱に関し、6人を逮捕、1人を取り調べ中と首都圏憲兵隊司令官が明らかにする。医療従事者のストライキに関し、看護師たちも、俸給表の改訂および賠償金の支払いを受け入れる。
4月3日、国道におけるタクシ・ブルース襲撃強盗事件の増加に対処するため、陸軍と憲兵隊が共同で特別部隊を編成しこれに対処すると共に、とりわけその被害の多い国道44号線(Moramanaga ⇔ Ambatondrazaka)および国道2号線(とりわけManjakandriana近辺)では、沿線各フクンターニ(fokontany)から夜警を出し、その警備体制の強化する。
4月3日、FJKMのキリスト教関係者が中心となった政治的危機脱出を求める集会が、アラルビア(Alarobia)の競技場で開催され、アジスアベバ合意条項上の共同大統領兼ラヴァルマナナ派交渉代表およびMFM党首も出席する。集会では、政治的収監者の解放を求める声明を発表すると共に、この日からその解放を求める運動を強力に推し進めてゆくことを明らかにする。集会の席上、ラヴァルマナナ派代表は、「キリスト教聖職者たちの役割は、四派を話し合いの席に就かせることである」と述べる。
4月5日、経済・産業省の職員たちが、例年2月に支払われる賞与の残額の支払いを求め、ストライキを継続していることに関し、6日以降、職員代表者と経済・産業大臣および財務・予算大臣の両者が直接会談を行うことになり、職員側は要求行動を一時緩和する。しかしながら、その会談の結果によっては、要求行動を再開すると職員関係者が述べる。
4月7日、医療技師たちが、8日から全国の中央病院等における業務に就かないことを決定すると共に、全国の助産師および看護師学校を閉鎖、さらに4月26日からの世界母子週間の行事にも参加しないことを決議する。
4月8日、<マダガスカル運動>が、アンブヒザトゥヴ地区にある民主主義の広場での集会を予告していたものの、午前中は人が集まらず、午後3時代になって一部の運動員たちが集まったものの、治安部隊は催涙弾を発射してこれを強制的に解散させる。その際に運動員1人が、治安部隊によって拘束される。
4月9日、<マダガスカル運動>の女性たちが、キリスト教関係者たちと共にファラヴヒチャ(Faravohitra)地区にある法務省まで行進し、代表が政治的収監者の即時釈放の請願書とその対象者リストを法務省関係者に手渡す。
4月11日、BFV(旧国立商業銀行)とBTM(旧国立農業銀行)の退職者組合が総会を開催し、1998年に当時の行員組合と財務・予算大臣との間で交わされた合意文書に基づき、民営化に伴って任意退職した1179名に対してまだ支払われていない一人当たり2000万ariaryの退職金の支給を要求することを決議する。
4月13日、<マダガスカル運動>が、場所を土地貸借問題から封鎖されたアンクルンドゥラヌ地区のMAGRO敷地からベフリリキャ(Behoririka)地区のMAGRO敷地に移して、集会を開催する。これについて、アナラマンガ(Analamanga)地区(アンタナナリヴ)憲兵隊司令官(CIRGN)は、運動員たちが敷地を出て示威行動を行った場合には憲兵隊が介入することを警告した上で、「ベフリリキャ地区のMAGROの敷地は、私有地である。この場所で集会を開催できるか否かについて検討するのは、警視総監の管轄である」と述べる。
4月13日、トゥアマシナ市内にあるMicrofinace Acoa Modely支店の従業員たちが、2008年10月27日以来裁判所の命令によって凍結されているBFV-SGのトゥアマシナ支店にある口座の解除を求め、12日と13日の両日、示威行動を行い、治安部隊によって解散させられる。この問題は、2004年にMicrofinace Acoa Modelyが、アンツィラナナ(Antsiranana)地方県とアナランジルフ(Analanjirofo)地方県の全支店を統括するMicrofinance Otivから分離・独立して以来、未解決のままである。
4月16日、18時30分頃、ツィアズタフ(Tsiazotafo)地区にあるTOTAL(フランスの国際石油会社)のガソリンスタンドで、手榴弾が爆発。この爆発による死傷者なし。憲兵隊と警察鑑識課などが出動して、捜査中。同じく、21時頃、今度はスアニエラナ(Soanierana)地区にあるTOTALのガソリンスタンドにも手榴弾が投げ込まれ、爆発する。死傷者なし。
4月17日、<マダガスカル運動>の集会が、ベフリリキャ地区にあるMAGROの構内で行われる。アンブヒザトゥヴ地区の民主主義に広場一帯は、終日治安部隊の監視下に置かれる。これについて、<マダガスカル愛国党>(TIM)所属の元国民議会議員は、「ここでの騒ぎを、南アフリカでのラヴァルマナナ前大統領との直接会談を欠席する口実として、ラズエリナ暫定政権大統領に与えることを避けるため」と説明する。
4月22日、アンカディララナ(Ankadilalana)地区の憲兵隊駐屯所敷地内において、ロシア製攻撃用手榴弾が発見される。何者かが外から投擲したものの、不発だったと見られている。
4月24日、4月19日に改革FJKM教会に近いアンブヒマムーリ(Ambohimamory)地区において憲兵隊と人びとが小規模な衝突を起こした事件に関連し、一人の牧師に対し憲兵隊から拘引令状が出されたことの取り消しを求め、マンドゥルスア・アンブヒザトゥヴ(Mandrosoa Ambohijatovo)地区において24日と26日に信者の集会が開催される。この件について憲兵隊関係者は、23日にランドゥリアミサーラ(Roger Randriamisata)牧師に対し事情聴取のための出頭を要請したもののこれに応じなかったため、26日に再度事情聴取に応じない場合には逮捕すると語る。
4月26日、4月19日に改革FJKM教会に近いAmbohimamory地区において憲兵隊と人びとが小規模な衝突を起こした事件に関連し、憲兵隊から事情聴取の出頭要請が出ていたランドゥリアミサーラ牧師が、憲兵隊駐屯所での事情聴取に応じた後、釈放される。事情聴取の前にマンドゥルスア・アンブヒザトゥヴ(Mandrosoa Ambohijatovo)地区の改革FJKM教会に信者たちが集まると共に、キリスト教関係者複数がアナラマンガ地区憲兵隊司令官ラヴァルマナナと面談を行っていた。
4月28日、ディエゴ・スワレス(別名Antsiranana)市内において、奨学金の支給を求め街頭示威行動を行うアンツィラナナ(Antsiranana)大学の学生たちと治安部隊が衝突、1人死亡、6人負傷。
4月29日、アンツィラナナ大学の学生たちが、学長の辞任を求める決議を行う。アンタナナリヴ大学の学生たちが、奨学金の50%増額を求め、大学に通じる道を封鎖する。

5月1日、<公務員・労務問題担当大臣>が、暫定政権終了までに公務員給与の指数別号俸の見直しを行うと発表。この大臣発表に対し、<マダガスカル民主主義公務員組合>の書記長は、「このような決定は、<公務員最高評議会>に事前に提出されその同意をうるべきである。また、透明性を確保するために、口頭ではない形で発表されるべきである」と述べ、反発を示す。同日、4月28日にディエゴ・スワレス市内で起きた奨学金の支給を求め街頭示威行動を行ったアンツィラナナ大学の学生たちと治安部隊が衝突し1人死亡、6人が負傷した事件について、高等教育・科学調査大臣が、責任者を処罰するために真相究明特別委員会を設置することを明らかにする。
5月3日、アンタナナリヴ大学学生による道路封鎖が続き、大学の全ての授業が休講となる。高等教育・科学技術省は、4日に10%増額した奨学金を二ヵ月分前倒しで支給することを決定するが、ストライキ実行学生側は、あくまでも50%の増額および奨学金支給対象学生リストの見直しを求めて、ストライキを継続する。
5月3日、国営砂糖製造企業SIRAMAの技術的操業停止の期限が5月末日に迫っているものの、経済・産業省と地方分権化-国土開発省との間で、民営化をめぐり意見の調整がついていない。
5月5日、高等教育・科学調査省からアンタナナリヴ大学の学生に対し、10%増額した奨学金2ヵ月分が支給されたものの、あくまでも50%の増額を要求してストライキに参加する学生の数は、これまでよりも増加。奨学金支給問題をめぐり学生代表者と会談した後でマジュンガ大学学長は、「4日までに大学の会計に、奨学金の振り込みは行われていない。とりあえずの解決策として、一ヵ月分を大学予算から支給することを提案した」と述べる。しかしこの学長回答に納得しないマジュンガ大学の学生たちは、あくまでも高等教育・科学調査大臣が約束した10%増額した奨学金2ヵ月分支給の早期実行を求め、マジュンガ市内でデモ行進を行う。
5月7日、アンタナナリヴ大学の奨学金をめぐるストライキは、医学部などで授業が再開されたものの、アンカツ(Ankatso)地区のキャンパスでは、50人ほどの留年学生たちが、現在の留年学生に対する奨学金支給額、進級学生の奨学金額50%カット、を25%カットに引き下げることを求めてデモを行い、まだ多くの授業が再開に至っていない。
5月11日、内務大臣に憲兵隊出身者を充てる人事案に反対する各省の<上級公務員組合>(略称SYNAD)が、12日からストライキを全国119の県(district)に拡大することを発表する。法律によって定められた予算支出の執行における国庫会計責任者の数が不足しているため、12日、全国の財務局窓口が業務を停止することが発表される。
5月12日、財務局窓口が、国家公務員給与および年金以外の業務を停止する。
5月15日、<マダガスカル運動>が、ベフリリキャ地区のMAGROの敷地内において集会を開催し、その席上、ザフィ・アルベール派の牧師は、これからをラズエリナ暫定政権大統領を権力から追い落とすための一週間とすることを訴え、<マダガスカル愛国党>(TIM)所属の元国会議員は、「たとえ生命を危険にさらすことになろうとも、われわれは後には引くことができない。この国へのラヴァルマナナとラツィラカの帰還を促進するために、われわれは共闘しなければならない」と述べ、公務員とフランス企業の従業員に運動の列に加わることを呼びかけると共に、示威行動を強化してゆくことを明らかにする。これに対し、13日にヴィタル首相は、政府は街頭における反政府勢力による示威行動に対しては厳しく対処する旨、警告を発する。マダガスカル航空の機材整備部門の従業員たちが、労働条件の改善を求めてストライキを続け、海外路線および国内路線のフライト・スケジュールに大きな影響が出ている。
5月16日、各省の<上級公務員組合>(略称SYNAD)が、内務大臣に憲兵隊出身者を充てる人事案に反対し行ってきたストライキを中止し、17日から業務を再開することを決定する。
5月17日、15日に治安部隊によって検挙された<律法主義者民主共和国戦線>の創始者でラヴァルマナナ支持派のラヴニスン(Ambroise Ravonison)とその運動員の2人についての予審審理が5月27日にアヌシ地区の裁判所において行われることが決定された一方、一人は事情聴取の後、即日釈放される。15日にラジオ局Fréquende Plus Madagascarを治安部隊隊員が襲って放送機材を壊し、同局のジャーナリストや技術者10数人にけがを負わせた事件について、暫定政権放送大臣が、これを厳しく非難する。
5月19日、商務省職員たちが、2010年分の賞与の支給、恣意的な配置転換と自動車燃料切符の支給方法の見直しの要求と、その48時間以内の回答を求め、ストライキを行う。
5月20日、ラヴァルマナナ前大統領とその支持派の情報を流し続けてきたプロテスタント系のラジオ局Radio Fahazavanaが、午後治安部隊によって放送機材を没収されて放送を停止すると共に、同時に同局のジャーナリストを含む10人の職員が拘引される。
5月21日、5月20日朝、アンドルライナリヴ地区にある共同慰霊碑前で、改革FJKM教会が中心となって進める<キリスト教聖職者運動>が呼びかけて行った集会と示威行動について、当局の許可を得ていない非合法なものであるため、反乱もしくはクーデターの容疑があるとして、<キリスト教聖職者運動>の運動家の一人の牧師が、アンタニムーラに駐屯する国家警察部隊によって、自宅において拘留状を執行されて拘引された後、直ちにアヌシ地区の裁判所において予備審理が行われ、留置が決定される。<視聴覚メディア最高委員会>(略称CSCA)の放送大臣を含む委員二人が、20日のFahazavanaラジオ局の閉鎖については、海賊ラジオ放送局と関係を持っていたためとし、同日の同局ジャーナリストの逮捕については、本人の身の安全の保証のためと、それぞれの理由を記者団に説明する。
5月22日、財務局職員のストライキにより、一部公務員給与の支払いが遅配する。
5月25日、24日の内閣改造人事について、内務大臣に憲兵隊出身者を充てる人事案に強く反対してきた各省の<上級公務員組合>(略称SYNAD)は、<上級公務員組合>副書記長を内務大臣に任命したことについて、満足の意を表明する。同日、国営製糖産業(SIRAMA)の技術的理由による操業停止が、5月31日からさらに6ヵ月延長されることが決まる。
5月26日、医療療法士たちが、未解決の問題を話し合うため新保健(公衆衛生)大臣に直接会談を求めてゆくことを明らかにする。
5月27日、5月20日に拘束された6人のジャーナリストを含むラジオ局Fahazavanaの職員10人が、キリスト教聖職者運動の指示に基づいて人びとにフォー・ドゥシェンに集まるよう呼びかけ、憲兵隊<緊急出動部隊>(FIGN)の反乱を増大させた国家秩序の撹乱により、留置令状に基づきアンタニムーラ地区にある刑務所に収監される。
5月28日、<マダガスカル司法官組合>(略称SMM)が、組合からの諸要求に対する暫定政権側の不作為を不満とし、同組合の委員長が、アヌシ地区の裁判所施設内において、「暫定政権期間中、今後あらゆる決定や指示について司法官組合は関与しない。各地区における独立選挙委員会の準備や個民討論会の準備にも係わらない」と述べる。
5月31日、5月15日に67haの民間ラジオ局Fréquende Plus Madagascar において治安部隊によって検挙されアンタニムーラ地区の刑務所に収監されていた<憲法遵守民主共和主義者戦線>の創始者が、アヌシ地区の裁判所における第一審判決において、執行猶予付きの禁固8カ月の有罪を宣告される。
6月1日、法務大臣が、5月28日に組合からの諸要求に対する暫定政権側の不作為を不満として暫定政権からの指示や協力要請に一切従わないことを決定した<マダガスカル司法官組合>(SMM)に対し、交渉のための直接会談の開催を強く呼びかける。
6月2日、4億ariaryのトゥアマシナ(Toamasina)市の公金横領の疑いで地方分権化・国土開発省からの告訴に基づき、<マダガスカル愛国党>(TIM)の支持で当選したトゥアマシナ市長のラクトゥマナナ(Gervais Ratkotomanana)に対し逮捕状が出されるが、当人はその日に行方をくらます。
6月5日、<マダガスカル司法官組合>(SMM)の委員長が、「われわれは、ラヴァルマナナ前大統領とは一切繋がりが無い。われわれの要求は、純粋に組合員としてのものであり、政治運動と結び付けられることは心外である」と述べる。<マダガスカル司法官組合>は、ラズエリナ暫定政権大統領との直接会見を求めているものの、実現していない。また、同組合は、2008年以来予算に明記されている判決手当の支払いを求めている。
6月8日、マジュンガ大学において、3日木曜日夜、チュレアール州出身の学生がディエゴ・スワレス州出身の学生の部屋に侵入した事をめぐり、6日日曜日にチュレアール州出身学生たちとディエゴ・スワレス州出身学生たちとの騒乱に発展して3人の学生が負傷、軍と警察が出動する。翌7日には、ブエニ地方県知事や大学の責任者たちをも交え、双方の学生たちの間で和解文書の調印が行われる。
6月11日、マナカラ市(Manakara)において、<特別市長>(略称PDS)のシレーニ(Alban Sileny)の就任式が、民主主義の広場における<民主主義守護委員会>(KMD)のメンバーによるお祝いの形で行われたものの、その席上シレーニは、内務大臣から送致された市長就任状を読み上げず。一方、<マダガスカル愛国党>(TIM)系の前市長アンドゥリアーヌ(Giscard Andriano)は、シレーニの市長就任にあくまでも反対してゆく姿勢を崩していない。
6月12日、マナカラ市において、<市長>(PDS)に就任したシレーニを支持する<民主主義守護委員会>(略称KMD)が、シレーニの市長就任を無効にしようとする全ての動きに反対する集会を開催し、主催者発表で8000人、別の消息筋によれば600人が集まる。
6月14日、シレーニ特別市長を支持する<民主主義守護委員会>は、11日から13日まで3日連続でマナカラ市内において集会を開催し、暫定政権に対する圧力を強めている。一方、<マダガスカル愛国党>(TIM)系の前市長アンドゥリアーヌは「政府の決定には反対しない」と述べると共に、近々シレーニ特別市長就任に反対する集会と示威行動を組織することを明らかにする。
6月15日、南西部のチュレアール(Toliara)市において、三日前に暫定政権を批判するビラを配布し公共秩序に脅威を与えたとして<大きな炉>連合(Toko be Telo)所属のタナラナ(Tanalana)族の運動員7名が拘束され、その内の4人に対し留置許可が下された刑務所に収監されたことをめぐり、同じ<大きな炉>連合のメンバーたち数百人が、4人の釈放を求めて市内の刑務所に向けてデモ行進を行い、治安部隊が出動する騒ぎになる。その後デモ隊は、暫定政権首相ヴィタルに近いとされる政治団体トゥリアーラ・ミズル(Toliara mijoro)のメンバーでヴェズ(Vezo)族出身のルバーヴァル(Jeannot Roberval)の私邸に押しかけ、ルバーヴァルを監禁し、タナラナ族とヴェズ族との民族紛争に発展する様相を呈する。その後、タナラナ族の<大人>たち(olobe)とヴェズ族の有力者たちとの間で話し合いが行われ、両民族の紛争に至る事態は回避される。一方、元内務大臣でMONIMA党党関係者は、「ヴェズ族とタナラナ族との間に対立は存在しない。あるのはヴィタル暫定政権首相に率いられた暫定政権とその独裁に反対する<大きな炉>党の間においてである」と述べ、またヴィタル暫定政権首相はこの事態に対し一切発言していない。
6月16日、暫定政権内務省が、4億ariaryの公金横領の疑いで地方分権化・国土開発省から告訴され逮捕状の出ているトゥアマシナ市長のラクトゥマナナに代え、特別市長(略称PDS)の任命を決定する。選挙で選ばれた<マダガスカル愛国党>(TIM)系のチュレアール市長ハティム(Flacre Hatimo)の職務が市の公金横領の嫌疑により2009年11月から凍結されたものの、内務省の監査でも不正の証拠は発見されなかった。このため、2010年3月、ヴィタル暫定政権首相がチュレアール市を訪れた際に、ハティムのチュレアール市長の復職を指示したものの、16日ハティム市長が一ヵ月ぶりに市庁舎内に入ろうとしたところ、車両やゴミ回収箱によってバリケードが築かれていたため、入庁することができず、市長代行から市長への仕事の引き継ぎは行われず。ハティム市長の復職に反対している急先鋒は、市議会議長で、反市長派は市長に代えて<特別市長>(PDS)の派遣を要請する動きに出ている。
6月17日、チュレアール市内で暫定政権を批判する文書を配布し「公共の秩序に対する脅威」により6月12日に検挙され、15日に拘留措置の決定された<大きな炉>連合(Toko be Telo)所属のタナラナ族出身の運動員4人の釈放は、<大きな炉>連合からの要求にもかかわらず、裁判所により認められず。留置されている運動員の一人は、チュレアール地区ラヴァルマナナ支持派の代表である。タナラナ族の人びとがヴェズ族出身者に対し脅迫的な言葉を浴びせ、チュレアール市内ではヴェズ族とタナラナ族との緊張が高まっており、治安部隊が警戒にあたっている。ハティム市長の就任に反対しているチュレアール市職員の一部は、ツァブハク(Sebastien Tsabohako)市長代行から市長への職務引き継ぎを阻止するため、市庁舎にバリケードを築きストライキを行う。4億ariaryの公金横領の疑いで地方分権化・国土開発省から告訴され逮捕状の出ているトゥアマシナ市長のラクトゥマナナに代え特別市長(略称PDS)に暫定政権元環境大臣ラクトゥヴァウ(Mariot Rakotovao)を任命することがヴィタル暫定政権首相によって公示される。
6月18日、公金横領の疑いで逮捕状の出ているトゥアマシナ市長のラクトゥマナナは、<特別市長>(PDS)に任命されたラクトゥヴァウと共に同市を訪れたヴィタル暫定政権首相および内務大臣に対し、「私は、市長職の凍結ないし罷免の書類を受け取っていない。それゆえ、私は市長職を<特別市長>(PDS)に任命されたラクトゥヴァウに引き継ぎを行うことはできない。私たちは市庁舎で職務を継続する」と述べる。チュレアール市内で暫定政権を批判する文書を配布し「公共の秩序に対する脅威」により6月12日に検挙され、15日に拘留措置の決定された<大きな炉>連合(Toko be Telo)所属のタナラナ族出身の運動員4人について、釈放の裁判所決定が出される。
6月20日、チュレアール市内で午後2時頃、放火と見られる火事により刑務所近くの商店や家屋30軒が焼失し、憲兵隊が捜査を始める。
6月21日、<特別市長>(PDS)に就任したシレーニと解任された前市長のアンドゥリアーヌとの紛争が続くマナカラ市において、治安部隊が市庁舎の執務室を強制的に閉鎖する。
6月23日、内務省の<国土管理局長>がマナカラ市現地入りし、シレーニ<特別市長>(略称PDS)と解任された前市長アンドゥリアーヌの双方に対し、月曜日以来、市庁舎と事務所をそれぞれ閉鎖した上、事態を一時凍結する措置を取っている。4億ariaryの公金横領の疑いで逮捕状の出ているトゥアマシナ前市長のラクトゥマナナが、<国務院>に対し、ラクトゥヴァウ<特別市長>(PDS)の任免の取り消しを求める。
6月29日、8ヵ月にわたり凍結されていた市長ハティムの就任をめぐり混乱が続いているトゥリアーラ市において、27日午後5時頃、ハティム市長が、市長代行のツァングハク(Sébastien Tsagohako)と共に、妨害行為にも遭わずに、市庁舎内に入る。29日、午後1時頃、ハティム市長が市庁舎に入ろうとしたところ、反市長派の人びとが市庁舎の扉に鍵をかけ、入庁を阻止する。同日午後4時頃、警官隊が市庁舎扉の鍵を壊し、ハティム市長を、市庁舎内に導き入れる。
6月30日、マナカラ市において、選挙で当選したものの更迭された<マダガスカル愛国党>(TIM)系のアンドゥリアーヌ前市長と新しく任免されたシレーニ<特別市長>(略称PDS)、それぞれの支持者間の確執が、独立記念日の終わった28日以降再び高まり、バリケードを築いてシレーニ特別市長の登庁を妨げたアンドゥリアーヌ前市長支持派の5名が治安部隊によって拘 束される。トゥリアーラ市内において、ハティム市長の就任をめぐり、市長支持派とその就任に反対する人びとが、市庁舎においてあやうく衝突する危険に直面するが、警官隊の介入によって回避される。


6.理念無き政治

ラズエリナは、2009年の政争中もラヴァルマナナ大統領の辞任と政権の交代を主張するだけで、ほとんど政策らしい政策を、政争の全期間を通じて示してこなかった。政争の初期には、“Mpamanana ny tsy manana”、すなわち「持たざる者に持たせる」と言うことを標榜し、ラヴァルマナナ政権下で置き去りにされていた貧困層の救済が唯一の政策らしい提言であった。しかしながらその提言とても、それを実現する具体策ないし過程は何ら示されはしなかった。この傾向は、ラズエリナが暫定政権首班および暫定政権大統領となった現在でも全く変わっていない。この結果、現在の暫定政権内部ではトップダウンの意志決定が貫徹されておらず、各組織と組織長がそれぞれ勝手に動いている半無政府状態と見なす人びとが多い。フランスと軍がラズエリナを御輿として担ぎあげていると言われるが、それはラヴァルマナナ前政権に対する期待から失望、ラズエリナ暫定政権に対する不信と懐疑を味わった人びとの政治的無関心や政治的沈黙に立った極めて危うい均衡の上に成り立っている。

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