Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「シルクの島マダガスカル-多様な野蚕と土着化した家蚕-」

杉本 星子 (京都文教大学)

はじめに:シルクの島マダガスカル

マダガスカルは、知る人ぞ知るシルクの島である。とはいえ、マダガスカルと聞いてすぐにシルクを連想する人は少ないかもしれない。実際、マダガスカルの代表的なシルク織物であるランバ・メナ(lamba mena)は、日本の透けるように薄く柔らかな絹織物のイメージとは、かなりかけ離れている。ランバ・メナとは、文字どおりに訳せば「赤い布」という意味であり、かつては赤い染料で染められた王の着る特別な布であった。しかし、現在一般に使われているランバ・メナは、遺体を包むための「祖先の布」である。セリシンを多く残した生成りの薄茶色の太糸で、一見すると玄関マットと見まごうほど、しっかりと織り上げられている。シルクのもつ通気性のよさと丈夫さが、遺体を長く保存するのに適しているといわれている。

シルクは「蚕(絹糸昆虫)」の繭からとった天然の繊維を指すが、「蚕」には、人が桑の葉を与えて家の中で飼い、長い年月をかけて品種改良を重ねてきた「家蚕」と、野生のまま自然の中で繭をつくる「野蚕」がある。マダガスカルでは、「蚕」全般をランディ(landy)と総称する。ランディは、また、神を意味するアンヂアマニチャ(Andriamanitra)の名で呼ばれることもある。家蚕と野蚕を区別するときには、その形状から、家蚕をランディ・ケリ(landy kely)すなわち小さな繭、野蚕をランディ・ベ(landibe)すなわち大きな繭と呼ぶ。

マダガスカルの自然は、この島にしか見られない固有の動植物種が多いことで有名である。野蚕もまた、その例外ではない。マダガスカルの野蚕は、いずれもこの島だけに見られる固有種である。さらに野蚕の種類が多様であることも、マダガスカルの特徴といえる。一方、マダガスカルの文化には、アフリカやアジアに起源を辿ることができる特徴が見いだされるうえ、宗主国フランスの影響も顕著である。この島の文化の特徴は、さまざまな起源の文化が混ざり合うことによって独特の文化が育まれているところにあるといえる。同じように、ランディ・ガシ(landy gasy)と呼ばれるマダガスカルの家蚕は、中国、インド、日本、フランスなど、さまざまな地域の品種が混ざり合って土着化したものである。ランディ・ガシを育てると、白や黄色、ひょうたん型や楕円、細長い楕円など、色も形もさまざまな繭が現れる。マダガスカルの野蚕には、まさにマダガスカルの自然の特徴が、家蚕にはマダガスカルの文化の特徴が凝縮されているといえよう。


1.インド洋交易とマダガスカルの染織文化

マダガスカルの染織文化の根底には、インドネシア起源の染織技術があるといわれている。その上に、各地域の季候や植生に応じた素材を用いた地方色豊かな織物文化が育まれてきた。

マダガスカル中央高地で伝統的な衣服に使われてきたのは、主に野蚕とラフィア・ヤシ、北部や東部、南西部では主にラフィア・ヤシである。最南部では野蚕と綿、南東部では葦、東部森林地域の一部では樹皮布も使われていた。そうしたなかで、植物や土で色染めした野蚕糸で織られた縞のランバは、中央高地を中心に、ほぼ全土の王侯貴族や首長によって特権的な衣服として用いられてきた。シルクという素材そのものが、高貴なものと考えられてきたのである。

マダガスカルの染織文化を考える上で、もう一つ見逃せない要因がある。それは、インド洋交易による布の流通である。古くは、野蚕と推測されるシルクが、マダガスカルから中東へ輸出されていたと伝えられる。同じようにかなり古い時代から、インドや中国の絹織物や綿織物がマダガスカルにもたらされていたようである。やがてヨーロッパの国々がインド洋に進出し、インド洋海域の交易は急速に拡大した。それに伴って、中国やインドからマダガスカルへ運ばれる家蚕の絹織物や綿織物も増大した。19世紀に入ると、マダガスカル西部のサカラヴァ(Sakalava)の王族は、儀礼用の衣装に輸入布を使うようになった。中央高地のメリナ(Merina)の宮廷では、従来どおり野蚕布が使われていたが、中国製の生糸や絹織物も導入されていたようである。一方、庶民の衣服は、次第にラフィアから輸入綿布へと変わっていった。


2.近代化遺産としての家蚕布生産システム

現在、マダガスカルのシルク織物の主要生産地は、アンタナナリヴ(Antananarivo)近郊とアンチラベ(Antsirabe)地方、アンブシチャ(Ambositra)地方、アンバラバウ(Ambalavao)地方である。こうした生産地が形成される裏には、19世紀に中央高地を中心にマダガスカル全土に支配を拡大したメリナ王国の政策がある。メリナ王国の建国の祖アンヂアナンプイニメリナ王(Andrianampoinimerina)は、アンタナナリヴ近郊一帯を、養蚕、製糸、製織の地域に分け、それぞれの染織工程の仕事を専業とするクラン(氏族)による分業制度を定めたと伝えられている。とはいえ、この時代のシルク生産の中心は野蚕であったと考えられる。ラダマ一世(RadamaⅠ)は、1823年の大集会で臣民に桑の枝を配布し、桑葉の生産を奨励した。そして、積極的に海外から家蚕の導入を図るとともに、フランスから製糸機械や染織技術を導入した。彼は、先王の定めた野蚕シルク織物の生産組織を活かして、家蚕によるシルク織物の生産を拡大し、それを輸出産業にまで育てあげようとしたのである。メリナ王国では1820年代から60年代にかけて、多色の縦縞模様や縞の中にさまざまなモチーフを織り込んだ豪華な紋織の技術(織によって文様を織り出す方法)が発展した。ラナヴァルナ三世(RanavalonaⅢ)は、この豪華なメリナ特有の織物を外国の要人への贈り物とした。シルク織物は、マダガスカルのナショナル・アイデンティティの象徴となったのである。

1896年に、マダガスカルはフランスの植民地となった。祖先に捧げる布ランバ・メナは、その後も織り続けられたが、王国時代に縞の色や数によって地位を明示していた鮮やかな野蚕の織物は使われなくなり、やがてその製法の多くも失われていった。一方、家蚕シルクの生産は拡大し、多くの人が絹の布を手に入れることができるようになった。その結果、ランバ・フィタフィ(lamba fitafy)と呼ばれる、所々に小さなモチーフを織りだした白い家蚕シルクのショールがメリナの人々の正装となり、公式な場で「伝統的」な衣装として纏われるようになった。こうして中央高地では、野蚕織物は死者の衣装、家蚕織物は生者の衣装というイメージが定着していった。

アンタナナリヴ近郊のシルク織物の地域分業による生産のシステムは、現在なお継承されている。それは、シルク産業を近代国家マダガスカルの経済発展の礎にしたいと考えたラダマ一世の夢の名残である。その意味で、マダガスカルの家蚕シルクの生産システムは、マダガスカルの近代化遺産といえるのかもしれない。


3.帝国事業としての野蚕布生産システム

マダガスカルの野蚕シルク生産の中央高地南部への拡大の背景にも、メリナ王国の領土拡大の歴史があった。野蚕布生産の中心地のひとつであるアンブシチャ地方のベチレオ(Betsileo)の村では、メリナの製織氏族の出身者が役人として派遣されてきたことを語り伝えている。また、今日、野蚕の繭の生産地として知られるイサル(Isalo)、ベタフ(Betafo)、アンバトゥフィナンドゥラヌ(Ambatofinandrano)でも、かつては「女王の命令」によって「夫役」として、タピア(Tapia)の森で繭が収穫されていたと伝えられている。

実際、19世紀末にメリナの商人がベチレオの女性に屍衣を大量に製織をさせ、首都やその他のメリナが多い町で販売を始めたようである。20世紀に入ると、メリナの再埋葬の慣習とともにランバ・メナの使用が、ベチレオの地方にも拡がった。これによって野蚕糸の需要が拡大し、繭の商品化が進んだ。こうして、中央高地の中部から南部にかけて、アンブシチャやサンドゥランダヒィ(Sandrandahy)を中心にベチレオの織工による野蚕シルク織物の生産が大きく発展したのである。


4.野蚕の宝庫マダガスカル

これまで述べてきた伝統的な野蚕シルクの織物は、主にタピアを食餌とするボロセラ・マダガスカリエンシス(Borocera madagascariensis)や、タピアやレンズ豆を食餌とするボロセラ・カジャニ(Borocera cajani )のようなボロセラ属の糸で作られている。

しかし、近年、アンタナナリヴ近郊でも中央高地のアンブシチャ地方でも、タピアの森が激減している。それによってボロセラ属の野蚕の繭は、急速に減少している。その結果、繭の価格が高騰し、野蚕布の値段が高くなって売れなくなった。そのため、野蚕シルクの生産地では、輸入綿糸をつかった安価な織物の生産が増加している。たとえば、サンドゥランダヒィでは、野蚕・家蚕織物の生産者40名が絹織物業組合をつくって生産を継続しているが、野蚕だけを扱っている製織業者は1名のみである。

一方、マダガスカルにはボロセラ属以外にも、ノトドンティデ科ヒプソイデス属(Family Notodontidae, Genus Hypsoides)の一種とみられるサランガ(saragna)やブドゥルケ(bodoroke)、学名の同定が不明確なグナラ(gonara)など、それぞれ地域固有の名前で呼ばれているさまざまな野蚕種がいる。近年、ボロセラ属の減少を補うために、島の南部や南西部に多いグナラの糸が使われるようになっている。グナラの糸はボロセラ属の糸より色が黒く質が悪いため、繭も糸も安価である。さらに最近では、これまでほとんど製織には用いられなかった北部や東部のサランガやブドゥルケの糸も使われ始めている。

マダガスカルには他にも、製織には使われていないが、美しい繭をつくる野蚕がいる。たとえば、ランディ・ブラ(landy vola)と呼ばれ、銀色の網目状の繭をつくる野蚕(学名Argema mittrei)や二重の編み目状繭をつくる野蚕(学名Ceranchia appollina)、細かい網目状の小さな茶色の繭をつくる野蚕(学名Antherina suraka)などである。

ボロセラ属以外の野蚕種については、未だに生態や生息数、亜種の分類や生息地の分布すら明らかになってはいない。こうした状況のまま、島固有の野蚕種の乱獲が進んでいくことが懸念されている。


5.家蚕糸・野蚕糸の製糸・染織実験

以上のようなマダガスカルのシルク生産の歴史を踏まえ、島固有の野蚕種という自然資源を活かしたシルク生産の持続的発展を考えるために、マダガスカルの野蚕糸と家蚕糸の染織実験を日本でおこなった。

最初に、マダガスカルで製織に使われている4種の野蚕糸をインドの2種の野蚕糸(タッサー蚕とエリ蚕)と比較する染織実験を実施した。その結果、藍と茜の双方の染料に対して、マダガスカルの4種の野蚕糸は、いずれもインドの2種の野蚕糸よりすぐれた染色性を示した。なかでもボロセラ属の蚕糸は、藍、茜ともに美しい発色をした。ボロセラ属の糸は生息地によって、白に近い淡い茶から濃茶へと色に違いがある。それぞれの糸の地色に染料が絡むことで独特の色彩と風合いの糸となった。

次に、マダガスカルの土着化した家蚕の糸の特徴を活かす染織法を試みた。マダガスカルの家蚕糸は細く光沢がある。マダガスカルでは一般に平織(縦横の糸を一本ずつ交差させてゆく織り方)をしているが、糸の特性を活かすために繻子織(経糸か緯糸どちらかの糸の浮きを非常に少なくし、経糸または緯糸のみが表に現れているように見える織り方)にしてみたところ、優れた光沢をもつ織物ができた。また、マダガスカルでは、精練段階でセリシンをあまり落とさないまま製織することによって、張りのあるショールを織っているが、海外市場では柔らかく手触りのよいショールが好まれる傾向にある。そこで、マダガスカルの家蚕糸で製織した後、再度充分に精練してみたところ、日本産の家蚕シルクにはないソフトな風合いの織物となった。

銀色の繭をつくる野蚕ランディ・ブラは、これまで美しい糸はとれないといわれてきた。しかし、実験の結果、製糸と精錬の方法次第で、さまざまな風合いの光沢ある糸が作れることがわかった。

以上の実験から、マダガスカルの野蚕糸、家蚕糸ともに、精練、前処理などの技術を向上させ、糸の特性を活かした製織技法を用いることによって、日本などの海外市場を開拓する可能性はあると考えられる。


むすび:シルク生産の持続的発展に向けて

先に述べたように、野蚕シルク織物の生産地では、伝統的な野蚕織物のランバ・メナが高騰して売れなくなり、多くの織工が安価な輸入綿糸による綿織物の生産に移行している。それによって、野蚕繭の採集放棄とともに野蚕種が生息する森林の保全放棄が引き起こされている。マダガスカルのシルク生産を継承し発展させるためには、野蚕・家蚕双方の国内外市場の確保と森林環境の保全が不可欠だと思われる。

マダガスカルへの外国人ツーリストの増加と欧米における天然繊維への関心の高まりによって、近年、野蚕シルクのショールやマフラーの海外向け市場が形成されてきている。その影響をうけて、首都の中産階層のマダガスカル人のあいだにも、家蚕織物のみならず野蚕織物が、おしゃれ着として使われるようになってきている。従来の伝統的な儀礼用のシルク織物の需要に加えて、クリスマスの贈り物としてシルクのショールやマフラーなどの需要も増加しつつある。野蚕シルクのランバ・メナの生産は依然として低調であるのに対して、家蚕シルクの織物や家蚕と野蚕の交雑織物の市場は好調なのである。

マダガスカルのシルク生産の強みは、ランバ・メナとランバ・フィタフィという「伝統」に基づいた国内市場が確保されていることにある。今後、家蚕シルクも野蚕シルクも、国内市場と海外市場それぞれの嗜好に合わせた製糸や精錬、染色、製織の方法を工夫することによって、さらなる需要が見込まれる可能性がある。こうした新たな需要の拡大によって、伝統的な養蚕技術や織物技術が継承されるとともに、生息地の森林保護が進むことが期待される。



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