Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「ジオハザード―マダガスカルのサイクロン―」

蟹江 由紀 (三浦半島活断層調査会)

はじめに

「ジオハザード」とは、地すべりや火山噴火などの地質災害や、海流の大蛇行などの水理・気象災害、地震などの地球物理災害などを総称する用語で「豪雨で裏山の崖が崩れた」というような小規模なものから「巨大隕石の衝突」など、地球規模的な「ジオハザード」まで、さまざまなものを含む(国際惑星地球年IYPE,2008)。

世界の地質情報を交換し、統一見解を示す万国地質学会議は、オリンピックの年に開催される地質のオリンピックとも言われている。2012年第34回(オーストラリア・ブリスベン)大会のメインテーマは、「ジオハザード」であった。人間の予想をはるかに超えた自然災害「3.11東北地方太平洋沖地震」は、地球科学の常識を変えた。自然災害を防ぐことはできないが、被害を減らすこと「減災」はできると。こうして、ジオハザードに対する取り組みがスタートした。


三浦半島活断層調査会

首都圏のベッドタウンである三浦半島は、90年前の関東大震災で甚大な被害を被った。にもかかわらず、被害の情報は、きわめて少ない。東京湾要塞司令部の管轄内にあった三浦半島は、1945年の終戦まで、「海岸線と地形」の情報を隠蔽するために民間人は地形図の使用と所持をかたく禁止されていた。教育用として、昭和11年に「三浦郡教育会」から、要塞司令部許可済みの神奈川県三浦半島地図(三浦郡教育会, 1936)が各小学校に配布された。おおまかな海岸線ではあるが、地下資源(石油埋蔵)の可能性のある地質情報までも記載されている(逗子市立逗子小学校所蔵)。1945年の終戦間際には、米軍が相模湾沿岸から上陸することを想定して、城ヶ島・観音崎・逗子披露山と大﨑には砲台が建設され、逗子西海岸や鎌倉稲村ヶ崎の海食崖には、防空壕とトーチカが、負の遺産として現在も存在している。

半島内の写真撮影も厳禁で、スナップ写真ですら東京湾要塞司令部の検閲を受け、許可を必要とした。地形図が存在しなくとも、地層露頭の調査や歴史地震等の資料から、三浦半島に活断層が存在していることは知られていた。横須賀市自然博物館の地球科学部門の学芸員であった蟹江康光は、1991年に三浦半島の活断層を明示した地質図を博物館から発行した。その4年後、活断層に起因した「兵庫県南部地震」(1995・平成7年)が発生した。半年後に地域住民と数人の研究者とで、三浦半島活断層調査会を結成した。「活断層」という地質・地震用語が市民権を得たのは、この時からである。「減災の普及活動」と「三浦半島地質図の改訂に向けた調査」を、今も続けている。巨大地震に遭遇する確率は非常に低いが、毎年必ずやってくる台風は、我々の生活に大きなダメージを与える。雨台風による洪水・崖崩れ・地すべり、満潮と重なる高潮被害、強風による被害など、その被害は計り知れない。


マダガスカルのサイクロン

インド洋で発生する強い熱帯低気圧「サイクロン」は、毎年マダガスカルに甚大な被害を与えている。蟹江康光は、2004年2月にサイクロン・エリタ(Elita)の被害を目の当たりにした(図1)。マハザンガ(Mahajanga)に上陸したエリタは、東海岸に抜けた後、ふたたび向きを変えて島を横切り、ムルンダバ(Morondava)にまで達して消滅した。根の貧弱なバオバブの巨樹はサイクロンで簡単に倒され、幹線道路を塞いだ(図2)。コンクリート製の電柱も倒され、停電が続いた。マハザンガ州有数の米どころであるマルヴアイ(Marovoay)は湖と化して、塩害も懸念された。追い打ちを掛けるように翌月には、カテゴリー5の巨大サイクロン・ガフィル(Gafilo)が、インド洋側の北東海岸から南西海岸にかけて縦断した。このサイクロンは、マダガスカル南端で弱い熱帯低気圧となり、消滅した。


図1

図1:
2004年2月に発生したサイクロン・エリタ.


図2

図2:
根の貧弱なバオバブはサイクロンで倒され、道路を塞いだ.到着時、住民は皮を剥いでいた.2004年2月.

暴風と豪雨は、風化の進んだ準平原で土砂災害をもたらした。また、インフラ整備の不十分な市街地では、停電の中で大洪水が生じ、貧弱な建物は倒壊した。行政は、気象予報のやり方や建築基準など、災害対応以前の方針も定めていかねばならない。マダガスカルでは、自然災害を減らすために、まだ多くの取り組みが必要である。

2012年7月、マダガスカルへ渡航直前に、首都近郊の小学校がサイクロンにあったと、一枚の写真を日本在住のマダガスカル人から見せられた。その被害は、2012年2月のサイクロン・ジョバンナ(Giovanna)によるものということであった。サイクロンの詳細を調べる間もなくマダガスカルに到着。空港から北西に約6kmに位置する、サイクロン被害のあったフィアカラナ(Fiakarana)を訪れた。

「1910年創立」と記念プレートのついた校舎は、屋根がほとんどなくなり、トタン板1枚だけが、かろうじてくっついていた(口絵1-2, 5)。校庭を囲むコの字型の校舎のうち、東側一棟に被害が集中していた。全6教室中、3教室が使用不能となり、午前と午後の2部授業で急場をしのいでいると言われた。

植民地時代の1910年に周辺地域の分校を統合して作られた公立小学校で、児童数300名。教師は各学年1名ずつの計5人(マダガスカルの義務教育は小学校5年生まで)。学校長は、校舎に隣接する官舎住まいで、校舎の管理を行っている。校長先生に案内され、4年生のクラスを訪問した(図3)。今、「私に何ができる?」自問自答しながら、自己紹介を行い、日本の小学校に「サイクロン被害を受けたフィアカラナ小学校を紹介する」ことを約束した。

数日後に、校長先生宅から電線を引き、「日本の小学校」と「3.11震災」の写真を液晶プロジェクターで生徒らに紹介して、再訪を約束した。


図3

図3:
7月10日に4年生のクラスを訪問した.この日には日本語からマダガスカル語への通訳が行われ、スムースにあいさつできた.自己紹介をした後、私に何が出来るのか?とりあえず、「日本でフィアカラナ小学校紹介する」ことを約束した.


最強のサイクロン・ジョバンナ

マダガスカルでの休日を利用して、東海岸のヴァトマンドゥリ(Vatomandry)を訪れた。サイクロン・ジョバンナによる被害で半数以上のホテルが休業中。やっと見つけたホテルも、仮営業中であった。オーナーによるとサイクロンは「トゥアマシナ(Toamasina)~マナカラ(Manakara)間を2往復した」、いや「4往復した」と言い、インターネットで、サイクロン・ジョバンナを検索したところ、マダガスカル全体がジョバンナに覆われている画像が現れた(図4)。日本の1.6倍の面積をもつマダガスカル。自然の脅威に圧倒された。


図4

図4:
サイクロン・ジョバンナ気象衛星写真.アフリカ情報ブログ村IhanashiK.exblog.jpより転載.


フィアカラナ村

ジョバンナの猛威と被害状況を確認するため、クリノメーター(方位磁針)と歩測によるフィアカラナ村の地図を作成した(口絵1-4)。


口絵2

村の東西南北の玄関口には、マリア像が設置されている。西玄関口には、聖母マリアと石のモニュメントが神聖な空間を作り出している(口絵1-1)。集落の周囲には、「浅くなってしまったかつての濠」が掘られ、バルコニーをもつ二階建ての家は、イメリナ王国時代からの建築様式を色濃く反映している(図5)。


図5

図5:
空から見たフィアカラナ村の旧市街地.(Google Earthの画像).


旧メインストリートから北に延びる道路は、マハザンガに続く国道4号線に通じている。旧市街の西にはプロテスタント教会、東にはカソリック教会跡があった。小学校を併設するカソリック教会は、児童数が増えたのか、旧市街の外に移転していた。このカソリック小学校(図6)の500m東に、被災した児童数300名のフィアカラナ小学校がある(図7)。首都に通じる東の玄関口には、大きなノコギリを三人掛かりで板を切る製材屋(口絵1-3)と生鮮食材を並べた露店が並んでいる。日曜日ともなると、正装した家族連れがフィアカラナ村の教会を目指して登ってくる。


図6

図6:
カソリック教会付属の小学校.


図7

図7:
屋根がなくなったフィアカラナ小学校.

空港に近いこの村の主産業は牛を主体とした牧畜で、南から丘に上る沿道に畜産農家が集中し、自給用の畑や水田は、南北側に分布する。

南のマリア像は、暴風で破壊され、沿道の民家(図8)と牛舎(図9)は、半壊していた。サイクロン・ジョバンナがもたらす強風は、南から丘に上る道路を駆け上がり、ファイアカラナ小学校の屋根を吹き飛ばして、小学校北部の北斜面を下っていったようだ。


図8

図8:
村の南側で被災した民家.


図9

図9:
廃墟となった牛舎.

調査をすすめるうちに、「旧市街」、「カソリック小学校」、「創立100年以上の公立小学校」など、それぞれが私たちの生活域である逗子市街と同じ方角に位置することに気づき、夕陽に赤く染まっていた公立小学校が、無性になつかしくなった。幕末から明治期に来日した、フランス人技術者(横須賀製鉄所の建造物の設計を指導)たちは、週末を逗子で過ごした。そして、明治22(1889)年に横須賀鉄道(横須賀線)が開通すると、横浜や都心に住む外国人の移入がはじまり、富士山の真下に江の島が浮かぶ景観は、逗子の旧市街となった。海浜の洋館群は、1923(大正12)年の関東大震災(1923年)による津波で、すべてが流失した。津波は、標高5mの砂丘を越すことはなかったが、市街の平地はいたるところで地盤液状化が起き、住宅のほとんどが倒壊した。1872(明治5)年創立の逗子小学校では、先生が校舎倒壊の犠牲となられた。幸い児童は始業式後に下校で、犠牲者はなかった。

2012年8月18日に帰国後、逗子市と協働で開講した「ずし子ども減災大学」の開校式で、フィアカラナ小学校の様子と子どもたちの動画を紹介した。翌2013年1月の防災とボランティア週間に開催する「災害写真展」では、「マダガスカルのジオハザード」を特集した(口絵1-5)。私たちは、あと半月で、再びフィアカラナ小学校を訪れる。そして昨年と同様、帰国後に「ずし減災大学」を開校し、小学5年生以上の生徒と大人も一緒に「減災」を学ぶ。今年は、高さ8mの津波に襲われた、鎌倉市に隣接する逗子市立小坪小学校が会場となる。



文献
国際惑星地球年(IYPE),2008.HAZARD日本語訳.16ページ.IYPE日本事務局(産業技術総合研究所内).
三浦郡教育会,1936.神奈川県三浦半島地図.




「ジオハザード―私たちに今できること マダガスカル中央高地東部、アラウチャ湖周辺の活断層とガリ地形」

蟹江 康光 (三浦半島活断層調査会)

はじめに

マダガスカルでは、日本列島のような密に分布する活断層は、これまでほとんど知られていなかった。しかし、旅行と地質調査を繰り返すうち、ゴンドワナ大陸由来の安定した地塊からなると思われていたマダガスカルでも、活断層と考えられる新期の火山活動を含む活構造が各所にあることも判明し、住民の生活に大きな影響を与えていることが明らかになってきた。すなわち「ジオハザード(大規模な地球物理的な活動によって人間がこうむる災害)」である。 アラウチャ(Alaotra)湖は、アンタナナリヴ(Antananarivo)の北東約100km に位置する、マダガスカル最大の湖である。直接結ぶ交通路はないので、東方116kmのムラマンガ(Moramanga)まで移動してから北上し、133km離れたヴヒディアラ(Vohidiala)に至る。道はここから、湖はさらにその北にあり、北東のアンバトゥンドゥラザカ(Anbatondrazaka)と北西のムララヌ・クロム(Morarano Chrome)を経由して、アンパラファラヴラ(Amparafaravola)へ分かれて延びる。両道は、いずれも北上して湖を取り囲み、湖の北端で合流する(口絵2右上)。湖は南南西―北北東の軸の長さが110km、幅50km、水深は減水期には1mもない。河川から運ばれる流入泥で、年々浅くなっている。湖周辺はマダガスカル最大の米作地帯で、ティラピアなど淡水漁業も盛んであるので、流入泥は農水産業に大きな影響を与えている。

一方では、客貨物の輸送にも問題があった。ムラマンガとアンバトゥンドゥラザカの間には、当時の国鉄MLA線が走っている。MLAは、ムラマンガとアラウチャ湖の頭文字をとった名称である。私が2001年この路線で列車旅行をした時には、線路の切り割りに生々しい崖崩れの跡がいたるところに見られた。列車は徐行運転を繰り返し、142km を5時間以上かけて走った。当時は、雨季で道路通行が不可能になるので、鉄道は重要な生活路線であった。翌年から鉄道の運行は休止され、マダレールによって再開されたのは、2010年であった。このころには雨季でも通行可能な道路も整備されるようになり、湖西方のクロム鉱山から鉱石が鉄道で輸送されるようになっていた(蟹江康光・蟹江由紀,2013)。

アラウチャ湖の東西両側は、標高約1000m以上の山地に挟まれ、湖付近は地溝帯地形とされる(Brenon, 1956)。地溝はグラーベンやリフトヴァレーとも呼ばれ、いずれも「溝」を意味する。その名のとおり、細長く落ち込んだゾーンである。アンカイ―アラウチャ地溝帯と呼ばれるこの南北の溝は、もともと pit meridian of Ankay-Alaotra(アンカイ―アラウチャ南北陥没帯)と呼ばれるほどの規模であったが、現在のような地溝帯に拡大した。

衛星写真を用いた研究によると、アラウチャ湖面積の減少は、大雨などの自然災害で周囲山地が浸食され、土砂が流入したことが原因とされた(Bakoariniaina et al., 2006)。これらの報告をふまえて、ヴォランティアらが山地植林を行って土砂の流出を防ぐ必要性が叫ばれていた。

マダガスカルの大地溝帯は、アフリカ―ソマリア・プレートとインド・プレートの境界延長とされる(Kusky et al., 2007)。2008年にアンタナナリヴ大学理学部で開催されたゴンドワナ・シンポジウムでもポスター発表(Ratsimbazafy et al., 2008)があり、エクスカーションで現地観察できた(蟹江康光・蟹江由紀,2009)。Kusky et al.(2010)は、この地溝帯をアラウチャ地溝帯と呼び替え、活構造であると報告した。一方で、アンツィラベ(Antsirabe)西やアンツィラナナ(Antsiranana)の地溝帯に分布する新生代後期から第四紀に噴火した火山群は、マントル起源の噴出物とされる化学組成から、ゴンドワナ大陸が分裂した後の259万年前(新第三紀と第四紀の境界年代)に活動を始めた。これも、アラウチャ地溝帯の活構造の形成に現在までの時代に関係したものであろう(Bardintzeffet al., 2010)。マダガスカル語でラヌ・マファナと呼ばれる温泉も、この地溝帯の中に湧出している。


口絵2

地質

マダガスカル中東部には、古い地層や岩石が分布する。もっとも古い岩石は、約31億~約25億年前(原生代)のアントゥンジル(Antongil)岩塊で、緑色片岩や角閃片岩などの変成岩類からなり、北東海岸を取り巻くアントゥンジル湾やアラウチャ湖西方のブリーヴィル(Brieville)などに分布(Collings, 2000)する(図1,口絵2-1)。地球が生まれた年代は46億年前であるから、アントゥンジル岩塊が、いかに古いかを理解できよう。このように古い地質は、日本列島にもちろん存在しない。これより新しい地層として、約25億~約18億年前(始生代前期)の堆積岩類はイトゥレム(Itremo)層群あるいはイトゥレム・シート(Cox et al., 1998)と呼ばれ、これは中央高地の中・南部などに分布する(図2)。この地質ができたのも、日本列島に存在しない古い古い時代のことである。


図1

図1:
マダガスカル最古(約31億~約25億年前,原生代)のアントゥンジル岩塊の分布.北東海岸を取り巻くアントゥンジル湾やアラウチャ西方の中―東域に分布している.(Collings, 2000,Fig. 1を転載).原図に「イトゥレムシート」と「アントゥンジル岩塊」を加筆.


図2

図2:
約25億~18億年前(始生代前期)のイトゥレム層群の分布.中央高地の中-南部に拡がる.(Cox et al., 1998, Fig. 1を転載).原図に「イトゥレム層群」を加筆.)


アラウチャ地溝帯

Kusky et al.(2010)によるアラウチャ地溝帯は、アラウチャ湖集水域と南のマングル(Mangoro)流域を含む低地帯で、南南西から北北東へと延びている。東はアンダシベ(Andasibe)近辺にまで及んでいる。Kusky et al.は、アラウチャ地溝帯の中で、南北系正断層群の分布を人工衛星画像から判読している(図3)。一方、ガリ(雨裂)地形は、断層に沿って密に分布していることを判読できる。断層付近にはマグニチュード4.5以下の地震が発生していることも報告されている(Kusky et al., 2010,Fig. 16;図4)。


図3

図3:
アラウチャ地溝帯における南北方向の密な正断層群の分布を読める.断層線横に書かれた短小線は正断層の沈降側.(Kusky et al., 2010, Fig. 8を転載)


図4

図4:
ガリ地形の分布と断層.ガリは断層に沿って分布していることを判読できる.(Kusky et al., 2010,Fig. 16を転載)

著者は、2008年のゴンドワナ・シンポジウムのエクスカーションに参加し、この地域に関するさまざまな知見を得た。ムラマンガ手前の下り坂道のマングル川を眺める露頭では、一見火山灰層のような白色細粒堆積物が破砕帯粘土(断層面に沿って岩石が細破されて粘土状になったこと)であるとの説明を受けた。次にムラマンガから北上してアンブヒマナ(Ambohimana)峠付近で、マダガスカル語でラヴァカ(lavaka)と呼ばれているガリ(雨裂)地形が多いことに驚かされた(口絵2-2)。移動の車中からの観察によると、アラウチャ湖西方のムララヌ・クロム付近では、ガリの分布に方向性がある(口絵2-3)。それに沿う湖の水深は、ガリ地形からの流入泥のため浅かったが、群生した水草のために淡水魚が豊富なことは理解できた。アンバトゥンドゥラザカでは、農村家屋の背後に必ずと言えるほどガリ地形を望めた(口絵2-4)。水辺に群生するカヤツリグサ科の植物は、淡水魚に住みかを提供していることを、理解できた(口絵2-5)。

上記の白色細粒堆積物は、インド洋に面する直線的な東海岸線と併行して数帯が分布していることも観察できた。東海岸線の方向は、アラウチャ地溝帯と併行的である。


まとめに代えて

1. アラウチャ湖の西方やムラマンガなどに、マダガスカル最古の原生代の岩石が分布する。

2. 南北に細長いアラウチャ湖は地溝帯に位置する。

3. アラウチャ湖には、南北方向に分布する正断層群が密に分布する。

4. これら正断層群に沿って、ガリ地形が密に分布している。

5. ガリ地形は、住民の生活基盤や交通路に大きな影響を与えており、時には災害(ジオハザード)をもたらしている。

6. 一方で、アンツィラベ西やアンツィラナナの地溝帯に分布する火山群は、マントル起源の噴出物とされる化学組成から、ゴンドワナ大陸分裂に関係したものとされている。ここでは、付記するに留める。



引用文献

Bakoariniaina, L.N., Kusky, T.M. and Raharimahefa, T., 2006. Disappearing Lake Alaotra: monitoring catastrophic erosion, waterway silting, and land degradation hazards in Madagascar using Landsat imagery. Journal of African Earth Sciences, 44, 241-252.
Bardintzeffet, J.-M., Liégeois, J.-P. and Bonin B., Bellon, H and Rasamimanan, G., 2010. Madagascar volcanic provinces linked to the Gondwana break-up: Geochemical and isotopic evidences for contrasting mantle sources. Gondwana Research, 18, 295-314.
Brenon, P., 1956. La Graben du Lac Alaotra, Madagascar. Scientific Council for Africa, South of the Sahara, 107-115.
Collins, A. S., 2000. The Tectonic Evolution of Madagascar: Its Place in the East African Orogen. Gondwana Research, 3, 549-552.
Cox, R., Richard, A., Armstrong, A. and Ashwal, L. D., 1998. Sedimentology, geochronology and provenance of the Proterozoic Itremo Group, central Madagascar, and implications for pre-Gondwana palaeogeography. Jour. Geol. Soc. London, 155, 1009-1024.
蟹江康光・蟹江由紀,2009 . マダガスカルの地質調査35年間 -2008年に初めて開催されたゴンドワナ・シンポジウムに参加して-.SERASERA, 20, 9-13.
蟹江康光・蟹江由紀,2013. 鉱物資源 ★レアメタルと宝石鉱物★.281-285. 飯田 卓・深澤秀夫・森山 工 編,マダガスカルを知るための62章.352ページ. 明石書店.
Kusky, T. M., Toraman, E. and Raharimahefa, T., 2007. The Great Rift Valley of Madagascar: An extension of the Africa-Somali diffusive plate boundary- Gondwana Research, 11, 577-579.
Kusky, T. M., Toraman E., Raharimahefa, T., and Rasoazanamparany, C., 2010. Active tectonics of the Alaotra-Ankay Graben System, Madagascar: Possible extensionof Somalian-African diffusive plate boundary- Gondwana Research, 18, 274-294.
Laville, E., Pique, A., Plaziat, J-C., Gioan, P., Rakotomalala, R., Ravololonirina, Y. et Tidahy, E., 1998. Le fosse meridian d'Ankay-Alaotra, temoin d'une extension crustale recente et actuelle a Madagascar. Bull. Soc. Geol. France, 169, 775-788.
Ratsimbazafy, T., Randriamandimby, A., Rakotoarimanana, R. and Ranoeliarivao, S. 2008. Suivi de I'evolution des sois nus aux alentours du Lac Alaotra et sa liaison avec I'ensablement du lac. Symposium national, 18. Fac. Sci. Univ. d'Antananarivo.

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