Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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マダガスカルでよくわからなかったこと

山田重周 (外務省)

1 はじめに

 本稿は、私がマダガスカルに滞在していた時期(2012年6月~2016年2月)に、マダガスカルで生起したいくつかの出来事を振り返りながら、私個人とマダガスカルの知識人の私信を参照しつつ、マダガスカルで生じる雑多な現象を整理するための認識論的視座(というのが大仰であれば、雑多な現象を整理するためのある一つの「補助線のひき方」)を提示することを目的としている(注1)。


2 問題の所在

 私がマダガスカルに滞在していた時期は、2009年の政変により創設された暫定政権が、国際社会から憲法手続きに則った「正統」な政権ではないとの批判を受け、ドナー国・機関からの支援が減少していた時期にあたっている。同時期、マダガスカルは、政治・経済的に様々な問題に直面しており、同問題から脱却するための方途につき議論がなされていた。

 マダガスカルでは、2009年の政変以外にも1972年、1991年、2001年に「政変」が生じ、政治・経済的問題が発生していた。その経緯もあってか、私がマダガスカルにいた当時、「マダガスカルで繰り返し発生する政変の原因は何か」との問題設定のもと様々な論考が、内外の研究者によって発表されていた。

 例えば、Afrique Contemporaineのマダガスカル特集号(2014年3月号、注2)では、独立後数回にわたり生じた政変が周期的なものであるとすれば、そのような状況を生じさせる政治経済構造が存在するのではないかとの問題設定のもと、マダガスカルでは、王国期から現在に至るまで、表面上の政治経済的体制の変化(王政、植民地、共和政/アジア的生産様式、植民地経済、社会主義的経済、自由主義的経済など)にも関わらず、少数の支配的集団が実権を寡占するという政治社会的構造が共通して存在しているとの議論がなされている。

 また、マダガスカルには、特定数のエリート集団が存在しており、時の政府が、これらの集団の利権を損ねる政策を採り始めたときに、裏から介入して政変を起こすというやや陰謀論的な説明もある。さらに、政変が生じた1972年、1991年、2001年、2009年は、それまでに比べて経済が上向きになってきた時期であるが、その際に経済上昇の恩恵に与ることのできなかった人々が政変を起こすといった議論もあった。

 しかし、これらの説明では、「少数の支配的集団」「エリート集団」などが具体的にどのような「集団」を指示しているのかが明確に示されることはない。例えば、マダガスカルでは、上述の論考以外にも、インド・パキスタン系の企業ファミリーが政変を起こすという言説がある。経済を牛耳っている彼らの権益と対立するような政策を時の政権がとろうとすると、大きな抵抗にあうというのである。この言説が流布するさいには、私自身は失念してしまったものの、具体的なファミリーの数も明言される。しかし、その言説を受けて、具体的なファミリーを列挙してくれとの私のリクエストに対し、具体的な回答が返ってきたことはなかった。

 漠然とした何らかの「集団」の存在を議論の出発点に措定し、マダガスカルの政治経済構造を説明しようとする試みは、「エリート集団/非エリート集団」「支配集団/非支配集団」という対立図式で説明を行うことから、わかりやすく俗耳に入りやすいことは間違いない。しかしながら、これらの説明は、自身が措定する「集団」そのものに関する具体的な記述を欠いており、その行論が空虚な基底に支えられているという点が問題である。

 このような問題意識から、次節以降、私がマダガスカルで生活していた時期に生起した出来事を概観した上で、マダガスカル滞在時に交流のあったマダガスカル人との私信を参照し、なんらかの「集団」の存在を前提とした説明体系を相対化しつつ、マダガスカルで生起する雑多な諸現象を整理するための「補助線」というかマダガスカル社会の特徴を検討していきたい。


3. マダガスカル政治危機からの脱出への道のり

 私のマダガスカル着任2か月後の2011年8月、前年のロードマップ署名に続き、大統領選挙日程が発表された。その後、大統領選挙日程は、2度にわたり延期される。2度目の延期の際には、ラジョエリナ(Andry Rajoelina)暫定大統領、ラヴァルマナナ前大統領夫人であるララウ女史(Lalao Ravalomanana)、ラチラカ(Didier Ratsiraka)元大統領の立候補を認めるかどうかということが、国際社会を巻き込んだ大きな争点となった。

 この問題に対し、アフリカ連合(AU)及び南部アフリカ開発共同体(SADC)を中心とする国際社会は、上記候補の立候補を認めるべきではないとする方針(Ni-Ni方針)を打ち出した。一方で、立候補者の資格に関し口を挟む国際社会の対応は「内政干渉」なのではないかとの批判が、マダガスカル国内で多数報告された。

 例えば、2013年5月16日の報道によれば、ラジョエリナ暫定大統領派の議員が「国際社会に対し、マダガスカルの主権侵害をやめること、そしてマダガスカル国民はマダガスカル国民の立場で大統領を選択すること」を訴え、国際社会に対する批判を展開している。

 同月22日には、国連事務所に向かって、国際社会による内政干渉を批判する幟やプラカードを掲げた市民がデモ行進した。その数は、報道ベースで約600名だったといわれる。また、一部外交団関係者には脅迫電話がかかっているとの報道もあった。

 6月24日には、La Gazette紙が、国民議会議員選挙の前に大統領選挙を実施するよう要請する国際社会に対し、「マダガスカル人は屈服しない」との見出しで、国際社会の干渉を批判する論説記事を掲載した。

 7月23日には、ラヴァルマナナ派関係者が次のように述べ、国連に対し働きかけをする用意があることを表明した。「我々は、マダガスカル情勢に関する審議を国連安保理に付託するつもりである。SADC及びAU平和安全保障理事会は、制裁を用いて脅迫を行いつつ、自らの面目を保とうとしている。」

 メディアの論調にどの程度影響を受けているのかは不明であるが、国際社会が認めない候補者以外の候補者の支持者でも、「今、マダガスカルで、ラジョエリナとララウを交えた選挙を行えば、同2名が二次投票に選出されることは間違いない。同2名を外して選挙を行うことにどのような意味があるのか」と、国際社会の対応に不満を持つ人々がいた。

 大統領選挙後も、政治は安定を回復しなかった。首相選出に3か月かかったり、その後、議会内で多数の議員が大統領派を表明したこともあり「独り勝ち」が懸念されていたラジャウナリマンピアニナ大統領(Hery Rajaonarimampianina)に対し、国会議員らが弾劾決議を採択したり(それまで大統領支持派とみなされていたものも弾劾する側に回った)、内閣不信任案が提出されたりと、政治は引き続き不安定な状態にあったとの印象がある。


4 マダガスカル知識人との私信

 さて、前節で紹介した批判は、「誰が立候補できるかに関してまで国際社会にとやかく言われたくない」とする、いわば具体的な問題への「内政干渉」に対する批判であるのに対し、私が不定期的に意見交換を行ったあるマダガスカル人歴史学教授は、より抽象的なレベルでの「内政干渉」を問題とするかたちで、マダガスカルに対する国際社会のコミットを批判していた。

 マダガスカル政治経済上の問題を、「ファンジャカナ(fanjakana)」と「フイトゥンドラナ(fitondrana)」という二つの概念の乖離から説明することができると考えている。「ファンジャカナ」とは、歴史・文化環境に規定された国のあり方であり、「フイトゥンドラナ」とは、表層的な政治体制を意味する。

 現在マダガスカルに存在する、あるいは国際社会が要請する政治体制は、選挙の実施、国民議会の創設など、制度的な基準を満たすことのみを重視した規範的なものにとどまっており、「ファンジャカナ」に根差したものとなっていない。

 台湾の政治学では「儒教的民主主義」という概念が重要になっていると聞いている。東アジアに存在する国家の民主主義は、いわゆるルソー的な意味での個人間の契約によって成り立つ社会を前提としておらず、東アジア社会特有の歴史・文化に根差している/根ざすべきであるという議論である。「儒教的民主主義」を持ち出すまでもなく、西欧諸国の中においても、英国、ドイツ、フランスの民主主義体制はそれぞれ異なっており、マダガスカルでも、規範的な民主主義ではなく、マダガスカルの歴史・文化環境に根差した民主主義体制を築き上げることが必要である。


 この「内政干渉」批判は、個々の事象に対する国際社会の介入に対する批判というレベルを超えている。すなわち、国際社会が良しとする「民主主義」は、結局のところ各国の社会・文化的状況を考慮に入れておらず、民主主義体制といわれる「ゲーム」の体裁を整えることに躍起になっている。そのなかでは民主主義の至高の目標、例えば「議論を尽くして物事を決める」「民意が最高の権力」「大多数に利益が分配される」という実質的な理念の実現は後回しになっており、現状から理想の実現にいたるまでの近道についてもまったく考慮されていない、という問題提起であろう。


 「民主主義」「民族自決」などの「普遍的概念」は、19世紀後半あるいは20世紀前半に西欧を中心に作り上げられ、その後、西欧社会の地理的な拡大とともに広まった。こうした「普遍的概念」に対する批判は、特段目新しい現象ではないのかもしれない。「個々の文化的価値が統治及び政治参加パターンなどの社会・政治経済組織の様態を決定する(べきである)」とする同教授の批判も、大きな流れの中に位置づければ、現代世界におけるグローバリズムへの反作用としての政治経済的地域主義がマダガスカルにおいて表面化した事例として整理することもできよう。このため、同教授の言明は、マダガスカルの知識人・政治家・国民のあいだで高まっていくであろう政治経済的地域主義(「ナショナリズム」)の流れをくんだ西欧諸制度への異議申し立ての兆候として理解することも可能であろう。

 他方で私は、同教授の言明が、「ファンジャカナ」と「フイトゥンドラナ」というマダガスカル語の概念区分を出発点としていたこともあり、同言明を、そのような大きなコンテクストに位置づけることには関心が向かなかった。むしろ、マダガスカルの「ファンジャカナ」の特徴は何なのかという、あくまでもローカルなレベルで同教授の言明を理解する方向に関心が向かうことになる。この観点から、その後、同教授と数回メールのやり取り行うこととなった。


 最初のメール(文末参考1)は、私から送信したものである。フランス国際ラジオ放送の番組の中での同教授の発言「(2013年12月の大統領選挙第2回投票の候補者である)ラジャウナリマンピアニナとロバンソン(Jean Louis Robinson)は、全く異なる経済勢力、社会的セグメントを代表している」に言及しつつ、両候補はそれぞれどのような経済勢力・社会セグメントを代表しているのかと質問している。  これに対し、返信メール(文末参考2)で教授は次のように述べた。

 両候補それぞれを支持する層を明確に白黒つける形で名指すことはできないが、ラヴァルマナナ(Marc Ravalomanana)に支持されているロバンソンは、製造業を中心とする自由経済主義者に、ラジョエリナに支持されていたラジャウナリマンピアニナは、紫檀密輸業者・バニラ輸出業者などの輸出入産業に携わっている人々に支援されている。ラジャウナリマンピアニナの支持層は、かねてから、マダガスカルにおけるフランスの利権と結びついていたという。ここでは、マダガスカルには経済的な面で、「製造業的な分野」と「輸出入的な分野」が併存しており、それぞれに携わる人々の間には対立があるということが示唆されている。

 「製造業的な経済活動」と「輸出入業的な経済活動」をどのように分析概念化することができるのか検討できていないが、マダガスカルを記述する際に有効な道具立てとなりうることから、参考までに紹介するとともに、今後、同概念を更に検討する必要があることを指摘しておきたい。

 続いて、私から、マダガスカルにおいて西欧的な民主主義制度がうまく接ぎ木されない理由(というか、マダガスカル社会の特徴)の一つは「中間集団の欠如」なのではないかとの問題提起を行った(文末参考3)。

 同メールの中で、私は、「中間集団」を「個々人と国家の間に位置する政党、政党内の派閥、国会会派、企業、労働組合、企業連合、地方行政単位、商工会議所、教会、結社、民族などの社会的グループ」と定義した上で、「理論的には、中間集団の不在によって、個々人の原子化が生じる。そこで強力なリーダーが出現すれば、抵抗する拠点や権力の分立がないため、統制力が強まる。しかしそれがなければ、原子化の中で無統制な不安定に陥ることとなる」と論じ(注3)、マダガスカルでは、「中間集団を創設する」か「中間集団が不在であるという状況を所与のものとして、そのような状況に適合的な政治体制(善意の開発独裁・軍事政権の樹立など)を導入する必要があるのではないか」と主張した。

 これに対し、教授からは、「「中間集団」が指し示すものを市民社会や「真の政党」と解釈するのであれば、結局、西欧には存在しマダガスカルには存在しない「集団」を規範的にマダガスカルに導入しようとしているだけではないか、そもそもマダガスカルの個々人は原子化しているわけではなく「中間集団」は存在する」(文末参考4)との返信があった。


 マダガスカルの「ファンジャカナ」を理解するために、私は、「中間集団」という集団の存在を前提としたうえで、教授に質問をしていた。しかし、そもそも教授は、マダガスカル文化に根ざした政治制度を構想する際に言及した東アジアの民主主義に関し、「いわゆるルソー的な意味での個人間の契約によって成り立つ社会を前提としておらず、東アジア社会特有の歴史・文化に根差しているという議論である」と、集団論としてではなく、個々人がどのように他の人々と結びついているのかいないのかという論点から議論を行っていた点に留意したい。

 教授の指摘に最大限寄り添うのであれば、マダガスカルの特徴を検討するためには、「中間集団」の欠如・機能不全という「集団」ありきの議論ではなくて、「個々人の結びつきの在り方」あるいは「個々人と集団の関係」という形で、つまり「集団」の在り方そのものを問題とする問いを設定する必要があったのかもしれない。


5 マダガスカルの集団(「民族」・「社会階層」)

5-1. 民族

 以上のような問題意識のもと、本節では、マダガスカルの「集団」のあり方を検討していく。

 まずは、アフリカ諸国の政治情勢を説明する際に、有意義であるケースが多い「民族」という集団概念が、マダガスカルの政治経済構造を説明する際に有効な導きの糸となるかを検討する。

 あるジャーナリストは、2013年の大統領選挙の前に、「メリナ(Merina)」/「非メリナ」の対立は、選挙戦で重要なポイントと以下のような説明を行った。

選挙においては、「メリナ・中央高地」及び「非メリナ・沿岸地域」という「民族」・「地域」カテゴリーが重要な要素となる。第二回投票で、中央高地のメリナ出身候補と沿岸部の非メリナ候補が争うことになった場合、同カテゴリーを軸に国民が二分される。但し、同カテゴリーは恣意的なものであり、例えば、沿岸地域出身の候補者は、たとえ民族的にはメリナであっても、自らを沿岸地域の候補者と打ち出すことで、沿岸地域住民の票を獲得しようとする。ハジョ副首相(Hajo Andrianainarivelo)、ピエロ外相(Pierrot Rajaonarivelo)が民族的にはメリナであり、ヴィタル元首相(Albert Camille Vital)が非メリナであるが、沿岸部地方生まれのピエロ外相は、民族的にはメリナであるにもかかわらず自らを非メリナ(沿岸部地域)の代表として位置づけるであろう。


 また、ラジャウナリマンピアニナが大統領に選出され、首相を任命する際には、大統領が中央高地(メリナ)の出身であれば、首相は沿岸部(非メリナ)の出身でなければならないという不文律が言及されていた。実際に、首相候補として名前が挙がる人は、沿岸部(非メリナ)出身者であった。その後、首相に任命されたクール・ロジェ(Roger Kolo)は、長期にわたって欧州で生活しており、マダガスカル語もおぼつかないといわれていたが、彼が首相に任命されるときに、この不文律が参照されていたことは間違いない。

 他方、これ以外の局面では、「民族」という切り口でマダガスカルの政治情勢が説明された例を私は知らない(政治経済情勢の分析ではなく、政治的な実践において、2002年の政争の際にラチラカがこの「民族」概念を利用したと言われているようだが)。

 2001年大統領選挙に関する論文では、ラヴァルマナナとラチラカという「メリナ」・「非メリナ」の候補に対する投票行動に関し、沿岸部でもラヴァルマナナが優勢だった地域が多々あり、「民族」は投票行動に大きな影響を与えていないと結論付けている。2013年末に行われた大統領選挙の第1回投票においても、「メリナ」のラジャウナリマンピアニナ大統領が、沿岸部出身の候補者を抑えて、チュレアール(Tulear)及びマジュンガ(Majunga)で1位の票を得たとも聞いた。そもそも2009年の政争は、両アクターとも「メリナ」であり、「民族」という切り口による説明は有効ではない。

 また、ここで、「民族」が「カテゴリー」として言及されていることに留意したい。

 さらに、「民族的」にはメリナであるピエロが、沿岸地域出身であることから、自らを「非メリナ」の代表として位置付けることが可能であるという事実から、マダガスカルにおいて、少なくとも政治の分野では、「民族」は「集団」を構成しているというよりは「範疇」として認識され機能していることを読み取ることができる。


5-2. 社会階層

 メリナ社会を始めとするマダガスカル社会には、「貴族」「平民」「奴隷」の社会階層が存在する。例えば、中央銀行総裁には「貴族」出身者のみが就任するという不文律があるなど、現在の政治・経済・社会構成に対して社会階層が影響を有するとする言説が存在する。ある知り合いは、この「社会階層」がマダガスカルの政治に持ちうる影響に関し、以下のように話していた。

 大統領職には「社会階層」に基づいた不文律は存在しないが、「奴隷」出身者が就任することは難しい。1975年に大統領に就任したラチマンドラヴァ憲兵隊司令長官(内務大臣、Richard Ratsimandrava)は「奴隷」階層出身であったため、就任6日後に暗殺されたと言われている。

 当地には、大きな影響力を有している貴族階層出自の家族が存在し、政治的に成功するためには、彼らの支持を取り付けることが重要である。ラヴァルマナナ前大統領は、これら家族を無視した政策を推進したため、任期半ばに倒されたと言われている。


 「奴隷」階層と結婚したら祖先の墓には入ることができないなど、社会生活を送るうえで同階層が意味を有している局面はまだ残っているようであるが、私個人は、「社会階層」を参照して政治現象を説明した例をこの一例しか知らない。


5-3. 政党

 マダガスカルでは、選挙・議会で重要な単位となる「政党」が、いわゆる「民主主義」が期待するあり方とは異なるとする言説が流布している。以下、マダガスカルにおいて、「政党」はいかなるものとして認識されているのか確認したい。


2013年12月アンタナナリヴ大学教授(法学)

 国民議会選挙に関し、有権者の多くは、候補者の顔と名前が一致しておらず、首都では大政党の候補者に投票する傾向が、地方部では知っている人物に投票する傾向が強い。  マダガスカルの政党は、イデオロギーではなく党首の人間性を基盤に組織されており、どの政党が自由主義的政党か、社会主義的政党か、保守的政党かはっきりしておらず、各政党間の政策に大きな違いがあるわけではない。


2014年4月元閣僚

 マダガスカルでは、特に地方部において、政党ではなく人物に投票する傾向があるため、ラジョエリナ暫定大統領を党首とするMAPARは、先の国民選挙の際に、これら地方の当選が確実視される名士を自党候補者として取り込むことで49議席を獲得した経緯がある。つまり、そもそもMAPARの国民議会議員団は結束力のない集まりであり、分裂するのは当然と言える。


RINDRA HASIMBELO RABARINIRINARISON, JEAN-AIME A. RAVELOSON

 マダガスカルにおいて、一般的に、ある政党の歴史は、政治の進展、さらには創設者のパーソナリティと結びついている。政党創設者は、党内においてクライアントシステムのパトロンである。彼は、自他ともにリーダーとしてではなく、親のような存在(ray aman-dreny)とみなされている。(中略)彼の辞職あるいは逝去は、しばしば、当該政党の衰退、消失、分裂の原因となる(注4)。


 これらの言明では、マダガスカルの各政党は、一人の人間(党首)と別の人間との結びつき(経済的なのか血縁的なのか地縁的なのか政治的なのかにかかわらず)の集積によって形成される「集団」だと認識されている。さらに、その結びつきが切れると、集団自体の一体性が脆弱になると考えられていると言うことができよう。


5-4. 国家

 このような個人と集団の関係に関する言説は、「政党」にのみ限ったものではない。先行研究で指摘されているチラナナ(Philibert Tsiranana)の事例、すなわちマダガスカルの政治家は「父親」として国民に対面するという事例や、家族的結びつきを表現する理念「fihavanana(友愛・連帯)」が国民的統合の理念として援用・多用されるという事例(注5)も、「国家」「国民」という集団が上記の政党と同じく「個々人と集団の関係」の原理で想起されている/打ち出されていることの帰結とみることができよう。このような言説においては、国家を家族として読み取り、国家元首と個々の国民を「父親」・「息子」「娘」という個々人間の結びつきを強調する用語によって提案することによって、国家という集団の一体性が確保されようとしている。

 さらに、誰に聞いたのか失念したが、例えば、「マダガスカル人はチームプレイが苦手」との説を提示されたこともある。この言明も、解釈によっては、個人と集団との関係が「政党」におけるのと同じように脆弱であることを主張しているのかもしれない(注6)。


6 結語

 さて、これまで、マダガスカルの「集団」についてつらつら考えてきたのは、「マダガスカルで繰り返し政変が発生するのはなぜか」という問いをきっかけとしていた。

 以上の考察を終えた今、この問いに対し、第2節で見たような何らかの集団を前提とした回答とは異なる形で、答えることができるのではないか。

 以上の論考を経た今、私の回答は以下のとおり。


 マダガスカルでは、「集団」は個人の結びつきの集積にすぎず、このため、政治に普段特段関心を示さず政権批判もしない人々が、なんらかのきっかけで、それまでの結びつきを突如絶って、別の結びつきを選択し、一見ファナティックというか暴力的な形で、事態を変化させてしまうことが生じうるため、政変が生じやすい。

 例えば、第2節で、大統領弾劾決議に大統領派に属するとされていた議員も多数が、決議案に賛成したとの事例を見た。これも、大統領派という「集団」を知らず知らずのうちに自分が思い込んでいる「集団」と同じようなものと理解していたために、大きな驚きであったが、マダガスカルの「集団」のあり方を理解した後であれば、このような事態が生じる背景を理解できるのかもしれない。

 いずれにせよ、上記の論考を踏まえて、以下の2点をマダガスカル社会の特徴として指摘したい。
(1)マダガスカルにおいて、「集団」は、ある個人を中心とした同個人と他の個々人との結びつきの集積をその構成原理としている。
(2)このため、マダガスカルの「集団」は、一体性・主体性・永続性が確保されにくい。
 このマダガスカルの「集団」のあり方を補助線とすることで、マダガスカルにおける様々な事象を「より上手く」説明することができるのではないだろうか。

 さらに、上記の補助線を参照して、未来予想をあえてすれば、今後、また何らかの機会に、今まで政権を支持していた人々が、突然、支持をやめて政権に異議申し立てを瞬間的に行い、その後、国民は一気に再び政治に関心を示すことがなくなるという事態が再発する可能性は十分にある。その発端が経済情勢の悪化なのか、テレビ局の閉鎖なのか、どのような現象であるかはともかくとして。


(注1)本稿における記述はすべて筆者の個人的見解であり,筆者が所属する機関の見解や立場とは何ら関係がない。
(注2)De Boeck Superieur2014.
(注3)「中間集団」に関しては小熊2014を参照。
(注4)RINDRA HASIMBELO RABARINIRINARISON, JEAN-AIME A. RAVELOSON 2011, p.2
(注5)大統領選挙第2回投票直前の2013年12月18日に行われたラジャウナリマンピアニナとロバンソンの候補者討論会の際には、この「fihavanana」という語が、両陣営併せて計9回も使用されていた。
(注6)マダガスカルでは、「世帯」・「家族」という「集団」においても、「集団」自体がアプリオリに存在し、個々人がそこに属しているのではなく、個々人の集積が、結果的に「集団」と呼ぶことのできる単位を構成しているとする議論もある。例えば、森山は、マダガスカルの「民族」の一つであるシハナカに関する民族誌の中で、マダガスカルには家族名が存在せず、特定の名の通世代的な共有がその集団の永続性の証となることはないこと、家屋においても、個々の世帯が世代を超えて特定の家屋を継承し保持しなければならないわけではないこと、世帯内において、夫妻の双方はそれぞれに相続によって耕地を得ており、世帯が耕地の所有の単位ではないことなどを例示しつつ、「シハナカの世帯を集団として把握することができるにしても、その集団はそれ自体として個々の成員の生死を超えて存続する永続的なものではなく、また永続的であることを期待されてもいない。」【森山1996:157】、「シハナカにおいて(・・・・)世帯それ自体はここに分裂と成長、消滅の過程にあって、固有の属性を保守しつつ個々人の生死を超えて存続する社会集団となりえない(・・・)。」【同:160】と述べている。



引用文献
De Boeck Superieur (ed.)2014 Afrique contemporaine, 2014/3 - n° 251
小熊英二 2014 「総論」、『平成史』(小熊英二編著)pp.13-97、河出ブックス
森山工 1996『墓を生きる人々――マダガスカル、シハナカにおける社会的実践』、東京大学出版会
RINDRA HASIMBELO RABARINIRINARISON, JEAN-AIME A. RAVELOSON 2011 Les partis politiques malgaches a travers les regimeset gouvernements successif, FRIEDRICH EBERT STIFTUNG.



文末参考1. 2015年5月29日:山田発教授宛て私信

Bonjour Professeur,
(中略)

(2) En ce qui concerne la situation politique de Madagascar, vous avez dit dans votre interview pour RFI en 2013 que ≪les deux candidats (Hery Rajaornarimampianina et Robinson Jean-Louis) representent des forces economiques distinctes, avec de differents segments de la societe se reconnaissant en chacun d’eux≫.

Dans ce contexte, je souhaiterais savoir si l’on peut appeler ces ≪forces economiques distinctes≫ ou ≪differents segments de la societe≫ qui soutiennent chaque candidats avec certaines termes sociologiques ou politologiques (liberaliste-conservateur-democtrate, riche-pauvre, la zone urbaine-la zone rurale, fonctionnaire-non fonctionnaire, jeune-vieux, merina-non merina, diplome-non diplome etc. par exemple). Et dans le cas affirmatif, je souhaiterais connaitre quelles ≪forces economiques distinctes≫ ont soutenu Hery et quels ≪segments de la societe≫ ont soutenu Robinson lors des dernieres elections. De plus, je souhaite egalement savoir quelles ≪forces economiques distinctes≫ ou quels ≪segments de la societe≫ soutiennent actuellement Hery, Ravalomanana et Rajoelina.
Bien cordialement.
YAMADA

(日本語意訳)教授
(中略)

(2)2013年のフランス国際ラジオ放送の先生へのインタビューの中で、先生は、マダガスカル政治状況に関し、「二人の候補者(ラジャウナリマンピアニナ及びロバンソン)は、異なる経済勢力、社会セグメントを代表しており、それらの経済的勢力及び社会セグメントは、両候補者のどちらかに自らを見ている」と述べています。

 この点に関し、この「異なる経済的勢力」あるいは「異なる社会的セグメント」を、なんらかの社会学的あるいは政治的用語(例:自由主義者・保守主義者・民主主義者、富裕層・貧困層、都市生活者・農村生活者、公務員・非公務員、若年層・老人層、メリナ・非メリナ、高学歴者・低学歴者)で呼び表すことはできますでしょうか。

 もし、社会学的あるいは政治学的用語で呼び表すことができるのであれば、先の大統領選挙第1回投票時に、いかなる「経済的勢力」がラジャウリマンピアニナを支持し、いかなる「社会的セグメント」がロバンソンを支持したのでしょうか。また、どのような「経済的勢力」あるいは「社会的セグメント」が、ラジャウナリマンピアニナ、ラジョエリナ、ラヴァルマナナを支持しているのでしょうか。
敬具
山田



文末参考2. 2015年5月29日:教授発山田宛て返信

Cher monsieur
(中略)

je reponds de suite a votre question et precise que les frontieres ne sont pas nettes. La realite n'est pas blanche ou noire, donc ce que je dis est tres schematique

Robinson, qui a ete soutenu par Ravalomanana, represente les interets de celui ci, Ravalomanana symbolise le liberalisme a Madagascar, il reste un heros self made man pour beaucoup de Malgaches, issu du monde rural en particulier sur les hautes terres centrales, d'Ambatondrazaka, au nord jusqu'a Fianarantsoa au sud...


Il a grandi sous la Premiere Republique qui est sans doute la periode la plus idealisee par beaucoup de Malagaches pour l'aisance materielle...donc il a des references de ce qu'est un certain bien etre social mais avec une grosse teinte de liberalisme, du travail,... a noter que dans le milieu economique, le liberalisme est tres limite, les entreprises veritablement productives sont peu nombreuses, Ravalomanana a su creer un marche national ce qui est a la base de sa reussite avant d'acceder au pouvoir (c'est dans mon livre sur le coup d'Etat)


Hery qui a ete soutenu par Rajoelina jusqu'a ce q'il le "trahisse" represente plus, au niveau economique, le secteur le plus retrograde de l'economie malgache, celui de l'import export (les trafiquants de bois de rose etaient des exportateurs de vanille)... speculateur.... auquel sont lies les interets francais a Madagascar car c'est un reseau herite de a triode coloniale. Les Francais n'ont pas su renouveler leur reseau, ceux qui les renseignent sur la situation malgache sont issus de ce reseau...


voila tres schematiquement....
dans la crise actuelle... il faut tenir compte de ces aspects..
je peux vous faire des notes plus developpees mais cela prend du temps....

cordialement

(日本語意訳)教授
(中略)

 ご質問にお答えさせていただきますが、(ラジャウナリマンピアニナ及びロバンソンをそれぞれ支持している「経済的勢力」の)境界線はそれほど明確なものではありません。現実は、白黒つけられるものではありません。このため、以下の回答は図式的なものとなります。

 ラヴァルマナナに支持されているロバンソンは、ラヴァルマナナの利益・関心を代表しています。ラヴァルマナナはマダガスカルの自由主義のシンボルです。また、彼は、多くのマダガスカル人にとって、北はAmbatondrazakaから南はFinarantsoaまで広がる中央高地農村地域出身でありながら、自力でのし上がったヒーロ的存在です。

 彼は、生活にゆとりがあったため、多くのマダガスカル人によって、最も理想的な時代であったと考えられている第1共和政期に育ちました。このため、彼は、自由主義、労働に色濃く特徴づけられてはいますが、社会的安楽とは何かについて参照点を持っています。ラヴァルマナナは、(政治的)権力を握る前に、自由主義的要素が限定されており、真に生産的な企業がほとんど存在しない経済環境の中で、国内市場を創設することができました。これが、彼の成功の原因ですが、この点に留意する必要があります(この点に関しては、私の著作の中で論じられています)。

 一方、ラジョエリナを「裏切る」までは、ラジョエリナの支持を受けていたラジャウナリマンピアニナは、経済面は、マダガスカルの最も反動的なセクターである輸出入業者(紫檀の密輸業者は、(もともと)バニラ輸出業者でした)、投機家を代表しています。これらの分野は、植民地期の三角貿易のネットワークを受け継いでおり、マダガスカルにおけるフランス利権と結びついています。フランス人はこのネットワークを維持しつづけることはできませんでしたが、フランス人に対しマダガスカル情報を提供しているのはこのネットワーク出身者です。  かなり図式的ですが。

 現在の危機においては、以上のような局面を考慮に入れる必要があります。

 時間がかかるかもしれませんが、上記論考をより発展させたメモをあなたのために作成してもかまいません。

敬具



文末参考3. 2015年6月3日:山田発教授宛て私信

Bonjour Professeur,

Je vous remercie infiniment de votre reponse.

En fait, d’apres vos explications sur les problematiques du systeme politique a Madagascar, la lecture de certains articles ou livres a ce sujet (bien qu’elle ne soit que d’un style tres sommaire) ainsi que les entretiens que j’ai eus avec les chercheurs et journalistes malgaches me font penser que l’une des raisons non moins essentielles de l’instabilite politique ou la stagnation economique a Madagascar se situerait dans l’absence ou le non-fonctionnement de ≪Corps intermediaire≫.

J’entends dire par ≪Corps intermediaire≫, des groupes sociaux et humains situes entre l’individu et l’Etat, independants et autonomes, constitues naturellement ou par accord delibere en vue d’atteindre un objectif commun aux personnes qui les composent (partis politiques, fraction au sein d’un parti politique, groupe parlementaire au sein de l’Assemblee generale, entreprises et syndicats, groupe d’ entreprises, divisions administratives du territoire, chambres de commerce et d'industrie, eglise, associations et ethnie etc.) suivant la definition usuelle de ce terme.

L’absence ou l’importance de ≪Corps intermediaire≫ est deja evoquee dans certains articles traitant les problemes auxquels Madagascar fait face pour assurer la stabilite politique et faire developper son economie. Cependant, j’ai l’impression que la plupart des mentions sur l’absence de ≪Corps intermediaire≫ a Madagascar dans ces articles ne sont qu’une sorte de remarque que les auteurs evoquent d’une maniere sommaire sauf avec quelques exceptions.

Et ces auteurs ont tendance a traiter, au moins a mes yeux, ce probleme comme un element secondaire qui renforce a posteriori l’instabilite deja existant de Madagascar. Mais, je pense que ce probleme n’est pas un simple element secondaire mais plutot l’une des origines essentielles de cette instabilite de Madagascar. De ce point de vue, je voudrais faire un petit commentaire sur cette absence de ≪Corps intermediaire≫ comme suit:

Theoriquement, l’absence de ≪Corps intermediaire≫ debauche sur l’atomisation de chaque individu. Elle pourrait faciliter le renforcement du pouvoir du gouvernant, consolide par l’absence de base de resistance ou celle de la separation des pouvoirs, resultat logique de l’absence de ≪Corps intermediaire≫. En revanche, au cas ou l’on n’arrive pas a avoir un leader puissant et charismatique, cette absence pourrait produire un etat de non-controle et d’instabilite du a l’atomisation des individus.

Je dirais que le fait de n’avoir pas pu obtenir de reponses claires aux questions que j’ai posees a plusieurs reprises depuis mon affectation a Madagascar en 2012 pour savoir quelles couches sociales ont soutenu M. Ravalomanana et quelles categories sociales ont soutenu Rajoelina lors de la crise en 2009 (c’est egalement le cas pour la crise en 2002) montre bien qu’il n’est pas pertinent de presupposer, pour decrire la situation politique malgache, que la politique d’un pays se realise toujours par les interactions des representants de certains categories sociales determinees, autrement dit ≪Corps intermediaire≫. Probablement, je n’ai pas su poser la bonne question adequate pour comprendre la situation malgache. En tout cas, cette situation, contrastant bien avec la situation politique japonaise ou occidentale pour laquelle cette presupposition serait toujours efficace pour mener une analyse bien que l’on commence a assister a l’atrophie de ≪Corps intermediaire≫ depuis ces dernieres annees au Japon, suggerait l’absence de ≪Corps intermediaire≫ a Madagascar.

(中略)

Au cas ou le≪Corps intermediaire≫ ne fonctionne pas, chaque individu atomise peut eventuellement et soudainement changer de camp a cause du manque d’ideologie, du contrainte vis a vis des amis et peut-etre a cause d’un versement de pots de vin.

(中略)

Je ne sais pas actuellement comment on peut situer cette specificite sociologique de Madagascar qui est l’absence de ≪Corps intermediaire≫ dans le contexte historique et culturel de la Grande Ile. Cependant, si on doit s’employer a construire un systeme politique plus stable en tenant bien compte de ces donnees sociologiques de Madagascar, je dirais qu’on est appele a considerer l’une de deux options suivantes:


1. Creation de ≪Corps intermediaire≫ Pour eviter l’etat de non-controle et de l’instabilite due a l’atomisation des individus, il est a recommander de creer quelques Corps Intermediaires a travers la creation de parlementaires bicameraux, promotion de la decentralisation, creation des partis politiques digne de leur nom, creation des fractions au sein d’un parti politique, groupe d’entreprises et syndicats etc. Si certains sont deja prevus dans la constitution actuelle, il faut l’appliquer dans les meilleurs delais.

(中略)

En tout etat de cause, de ce point de vue, ca vaut le cout meme d’ examiner la possibilite de remplacer le systeme actuel presidentiel par un regime parlementaire qui necessite l’existence de plus de ≪ Corps intermediaire ≫ que le systeme presidentiel.


2. Concentration de pouvoir

S’il est impossible de creer le ≪Corps intermediaire≫ a cause des raisons historiques ou culturelles, on doit construire un systeme solide et durable sans Corps intermediaire. Au cas ou il n’ y aurait pas de Corps intermediaire, un leader puissant et charismatique est appele pour avoir la stabilite politique comme on l’avait confirme en haut . Pour avoir un leader puissant, on est oblige d’oter quelques prerogatives telles que la proposition de decheance du president aux deputes. En outre, en tenant bien compte le fait que tous les leaders malgaches assez puissant au moins au debut ont tous connu la perte de son emprise sur la scene politique et economique au bout de quelques annees, je ne m’etonnerais pas si quelqu’un propose l’apparition d’un dictateur ou d’un regime militaire de bonne volonte pour que Madagascar puisse assurer la stabilite politique et connaitre son developpement economique (Je connais une personne qui pretend que le systeme politique plus adequat a Madagascar est celui de monarchie mais deplore en meme temps qu’il n’y ait personne ou de famille qui puisse assumer le role de trone).

Cordialement.

YAMADA

(日本語意訳)教授

 お返事いただきありがとうございます。

 先生のマダガスカルの政治状況に関する御説明をお聞きし、また同主題に関するいくつかの文献(簡素な内容なものばかりですが)を読み、また、マダガスカル人研究者・記者と意見交換を行った結果、私は、マダガスカルの政治不安定あるいは経済的停滞の本質的な原因の一つは、「中間集団」の欠如あるいは機能不全にあるのではないかと思うようになりました。




 私は、「中間集団」という語を、この語の一般的な定義に従い、「個々人と国家の間に位置する政党、政党内の派閥、国会会派、企業、労働組合、企業連合、地方行政単位、商工会議所、教会、結社、民族などの社会的グループ」という意味で用いています。








 「中間集団」の欠如あるいは重要性は、マダガスカルが政治的安定を確保し、経済を発展させるために直面している諸問題を扱ったいくつかの論文で既に提起されています。しかしながら、いくつかの例外はありますが、私の印象では、これらの論考の中で「中間集団」の欠如は、ごくごく簡単に指摘されるにとどまっています。また、これらの論考は、「中間集団」の欠如を、既に存在している不安定性を事後的に助長する二次的な要素として扱っているとの印象を受けてます。しかし、私は、この問題は、二次的な要素などではなく、マダガスカルの不安定さの原因なのではないかと考えています。この「中間集団」の欠如に関し、以下のとおり考えます。









 理論的には、中間集団の不在によって、個々人の原子化が生じます。そこで強力なリーダーが出現すれば、抵抗する拠点や権力の分立がないため、統制力が強まる。しかし、強力かつカリスマ性を持ったリーダーがいない場合は、原子化の中で無統制な不安定に陥ることになる。









 2012年のマダガスカル着任以降、私は、2009年の政治危機において(2002年の政治危機のケースでも同様ですが)、どのような社会階層がラヴァルマナナを支持し、どのような社会カテゴリーがラジョエリナを支持したのかに関し、幾度も質問をしてきましたが、明確な回答を得られなかった経験があります。私の質問に明確な回答がなかったという事実は、マダガスカルの政治状況を記述する際に、ある国の政治とは、常に、いくつかの社会階層(つまり中間集団)の代表の間の相互的な交流によって成立していると前提することは適切ではないということを示しているのかもしれません。おそらく、自分は、マダガスカルの政治状況を理解するために、適切な問いをたてることができていなかったのかと思います。いずれにせよ、私の質問に明確な回答がなかったという事実は、マダガスカルにおいて「中間集団」が存在していないことを示唆しているのではないでしょうか。




(中略)

 中間集団が存在しない場合、原子化した個々人は、場合によっては突然に自らの立ち位置を変えることがあるのかと思います。立場を変える際の原因としては、イデオロギーの不在、友人関係、賄賂などを理由とするのかもしれませんが。

(中略)

「中間集団」の不在というマダガスカルの社会学的特徴がマダガスカルの歴史・文化の中でどのような意味を持っているのかよくわかりませんが、このような特徴を前提として、マダガスカルにおいて、より安定的な政治システムを構築するとすれば、以下の2つの方法があるのかと思います。




1. 「中間集団」の創出

個々人の原子化に起因する無統制及び不安定を回避するためには、例えば、二院制の国会、地方分権の促進、「政党」と呼ぶに値する政党の創設、政党内の派閥の創設、企業連合組織及び労働組合の創設などを通じたいくつかの中間集団を創設する必要があるのではないでしょうか。もし右にあげた中間集団の創設が、既に憲法内で規定されているのであれば、早期に憲法を適用するべきでしょう。


(中略)

 場合によっては、現在の大統領制を、より多くの中間集団の存在を必要とする議院内閣制に変更することを検討することも一案かもしれません。





2. 権力の集中

 他方、もし歴史的・文化的な観点から、「中間集団」を創設することが困難である場合、中間集団なしで、確固とした持続的なシステムを構築する必要があります。上述のとおり、中間集団が存在しない場合、政治的安定を確保するためには、強力でカリスマティックなリーダーが要請されます。強力なリーダーを得るためには、例えば大統領弾劾決議提議権のようないくつかの特権を議員からはく奪する必要があるでしょう。また、これまでマダガスカルでは、政治的指導者の全ては、当初は権力を有していたのにもかかわらず、数年もすると政治的・経済的影響力を失っているという事実に目を向けた場合、善意の独裁あるいは軍政が、マダガスカルの政治的安定及び経済発展には望ましいと提案する者がいても、驚くべきことではないかもしれません(私の知っているある人は、マダガスカルに最も適合的な政体は君主制であるが、王位を担うことのできる個人・家族が存在しないのが残念と言っています)。

敬具

山田



文末参考4. 2015年6月3日:教授発山田宛て返信

Cher Monsieur,

je suis d'accord sur votre constat sur les corps intermediaires ....mais encore une fois, nous sommes dans une demarche normative.... c'est dire que ces analyses auxquelles vous faites reference font le constat de l'absence de corps intermediaires (espace publique de discussion, societe civile dans le sens gramsci... etc...) ...ils font reference a des corps intermediaires qui existent dans les pays occidentaux (je ne connais pas le Japon pour m'exprimer) ...ces corps intermediaires (CI) existent et les individus ne sont pas du tout atomises...mais ces CI ne sont pas institutionnalises et restent dans l'informel (meme sir les hommes politiques s'en servent car il leur faut se brancher sur la societe). On est donc dans une sorte d'Etat schizophrene;;; facade occidentalise mais fonctionnement indigene;;; confine dans l'informel... et les institutions sont incapables de prendre en charge les demandes des gens ...

ceux ci ne sont pas du tout atomises meme si la societe malgache est tres fragmentee et cloisonnee...

(中略)

cordialement

(日本語仮訳)拝啓

 あなたの中間集団に関する議論に賛同します。

 他方、このような論考においても規範的な手続きが問題となってしまっています。あなたが参照している中間集団(公的な議論空間、グラムシ的意味における市民社会)の欠如に関する分析が、西洋に存在する中間集団(私は日本に関しては承知していません)を参照しているのであれば。(マダガスカルには)中間集団は存在しており、個々人は、原子化など全くしていません。これらの中間団体はインフォーマルなものではありますが(政治家も社会に接続される必要があることから、彼らは、これらの中間団体を利用してさえいます)。つまり、我々は、外観は西洋的ですが、現地風にインフォーマルな領域で機能しているという、ある種分裂病的な社会にいるということでしょう。このため諸機関は、人々の要求に応えることができません。


 マダガスカル人は原子化などされていません。たとえ、マダガスカル社会は非常に断片化しており、分断しているとしても。

(中略)

敬具

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