深澤秀夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
1981年12月17日
日本より冷凍運搬船に乗ってマハザンガ港に到着。
12月23日
空路首都アンタナナリヴに入る。この日から、アンタナナリヴ郊外のアンパンドリアヌンビに在住するマダガスカル人の家庭に下宿。
12月30日から1月3日まで
の年末年始休暇を下宿先の家族とともに、アンタナナリヴから西に218km行ったツィルアヌマンディディの町の近郊で過ごす。
その後1月22日から2月12日まで、
北部畜産事業のためディエゴスワレスに駐在しているJICAの冨永氏を訪ねて雨季のただ中のマハザンガ・ディエゴスワレス・アンバンザ・ヌシベを一人で旅行する。この間、マラリア予防薬としてMP錠を携行していたものの、マラリアにそう簡単に罹患するものではないと考えていたため服用していなかった。
1982年3月8日(月)
- 午前中、マダガスカル大学アンタナナリヴ分校に出かける。この頃から頭に芯があるようなにぶい頭痛を覚える。
- 午後、ツァラララナの郵便局に手紙を投函に出かける。
- 頭痛鎮静化するどころか6時頃から一段とひどくなり、夕食を食べてすぐの9時過ぎに床につく。
3月9日(火)
- 明け方の3時に頭痛で目が覚める。バッファリンを1錠服用。少し楽になったように思えたが、しばらくするとまた頭痛が激しくなる。検温37.8度。
- 朝食のお粥を食べる。
- 午前中は頭痛のためベッドに横になっている。
- 昼食ビフテキ・アナツンガ(小松菜)のル・マザーヴァ(マダガスカル風のスープ)・リンゴのデザート。ビフテキ二切れとご飯を少し食べる。
- 午後これまでに経験したことのないひどい頭痛に悩まされる。体温38.4度。悪心も加わる。
- 心臓の鼓動に応じて頭が割れるように痛むため、タオルを頭にきつく巻いてこめかみを指で抑える。それでも耐え難い。
- マラリアの罹患を疑い、日本から持参したクロロキン製剤を4時30分に4錠服用。
- 夕食は頭痛と悪心と吐き気で全く食べられず。
- 10時頃から頭痛と悪心と吐き気ともにやわらぎ始める。体温37.3度に下がる。
3月10日(水)
- 朝検温、36.9度。頭痛も少し芯が残るような感じにまでおさまる。
- 夕食を全く食べていなかったため空腹を覚え、牛乳とジャムをぬったパンの朝食をおいしく食べる。
- 7時クロロキン2錠服用。昨日よりはよほど気分が楽になる。
- 昼前検温、36.9度。
- 昼食。牛肉とアナツンガのルマザーヴァ・リンゴのデザート。ご飯もおかずも平常の三分の二ほど食べる。
- まだ、眼底から上にかけて頭痛が残る。
- 午後になって再び頭痛と悪心が昨日ほどではないにせよぶりかえす。
- ご飯の臭いにさえ吐き気を覚え、夕食はデザートのバナナを一本食べたでけで済ませる。
- 夜体温37.3度、脈拍80。
3月11日(木)
- 4時30分に目を覚まし検温、36.3度、脈拍58。クロロキン製剤2錠服用。起きた直後は頭痛・悪心共になし。
- 朝食のお粥とパンを食べ、満腹感を覚える。
- 午前中も寝てはいたものの、気分は楽。
- 昼食。白インゲンと牛肉の煮込み・サラダ菜・リンゴのデザート。通常の八割ほど食べる。
- まだ少し頭に芯があるような軽い痛みを覚える。体温36.6度、脈拍64。
- 午後になると軽い頭痛とともに表現しにくいいやな気分に襲われる。
- 夕方日本宛の手紙を書く。
- 夕食後に焼きトウモロコシが出て、これを食べる。
- 『斎藤史歌集』を読んで、9時眠る。
3月12日(金)
- 午前3時に目が覚め、最後のクロロキン製剤2錠を服用。
- 7時朝食茹でたトウモロコシ・バナナ・牛乳 朝食は全て平らげる。
- 体温36.4度、脈拍70。起きた当初の気分は悪くはないが、まだ頭の前部から頭頂部にかけて痛みが残っている。
- 午前中は、洗髪と日本に送る荷物造り。
- 昼食。カボチャの葉と豚肉の煮込み・リンゴのデザート。頭痛のせいでいまひとつ食が進まず。
- 体温36.3度、脈拍66。熱は完全に下がり、天気も良いが、気分はすぐれず。
- 5時体温36.6度、脈拍70。
- 夕方になると体温が上昇し、頭が重く不快な気分の傾向が続く。
- 夕食。白インゲンの煮込み・昼の残りのカボチャの葉と豚肉の煮込み・生レモネードとリンゴのデザート。夜は東の空に上がった満月を少し過ぎた月を部屋の窓から眺める。
この1982年3月の発熱と頭痛については医師の診断を受けてはいないものの、その症状およびクロロキン製剤の服用の効果が速やかであった点から考えて、マラリアの罹患によって引き起こされた可能性が高い。この後、クロロキン製剤をマラリア予防のために定期的に服用することを心がけるようになり、マジュンガ州はもとよりフィアナランツア州やタマタヴ州を旅行するもマラリアを疑わせるような発熱等にみまわれることはなかった。そのため逆に、クロロキン服用の予防効果を過信しすぎた結果、二年後に次に述べるような危険な状態と遭遇することとなった。
(続く)
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